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弁護士が「人の幸せ」を本気で目指したら国際プロコーチになった話ー前編ー

はじめまして。
国際プロコーチ&弁護士の中原ありです。10年ちょっと前に弁護士になり,数年前に国際コーチ連盟認定プロコーチになりました。そして今は,「コーチング」と「自己理解」を本格的に学べるオンラインスクールを運営しています。

私は「Well-Being」という概念を大切にしています。Well-Beingとは,WHOが定めた健康の概念で,「すべての人が精神的・身体的・社会的に満たされた状態」のことです。私は一人残らずWell-Beingであることを本気で願っています。弁護士になったのも,コーチになったのも,スクールを始めたのもすべての根幹はWell-Beingなのです。

本記事では,そもそも私がなぜWell-Beingを大切にしているのか,なぜ弁護士になったのか,その歴史について書き綴ってみます。


1 いつから幸福,WELL-BEINGを考え始めたのか? ―出雲の田舎で世界中の幸せを叫ぶ?―

 物心ついたときからずっと「幸せ」について考えています。島根県出雲市という地方生まれの私は,田んぼのあぜ道が通学路でした。 出雲は神々の国とされ,そこかしこに神なるものを感じます。10月のカレンダーは「神在月」,幼稚園の学芸会の演目はイザナギイザナミといった日本の神話でした。 

遠足で通った出雲大社でも,毎夜寝る瞬間にも,必ず世界中の人が幸せになりますようにと祈っていました。というと美談のようですが,その裏には自己保身の思いがありました。親が異常に厳しくて自己否定感の強かった私は,自分の幸せを祈るとなんとなくバチがあたりそうな居心地の悪さがあったのです。とはいえ,毎晩世界中ひとりひとりの幸せを祈っていると,それなりに板につく?ものです。いつしか,とおりすがりの民家の灯りをみても,ああこの灯りのもとに生きる人が,今この瞬間に幸せを感じているといいなとごく自然に思うようになっていきました。

2 2歳の娘を抱えて土砂降りの中を裸足で飛び出した

厳しい親元を離れたい一心で大学受験。大学ではろくに勉強せずギリギリで卒業,新卒で広告代理店マーケティング室,社長秘書として勤め,テレビなどのメディアやイベントの関連業務に携わったり,海外の合弁会社の社長出席に伴い海外出張など,どちらかというと社会の華やかな世界を見ました。私の目に映っていたのは,いわゆる社会の表側でした。 

その後,結婚してすぐに娘が生まれました。が,夫の両親との同居生活にはもろもろあり,どうしようもなくなった(ように当時は思われた)私は,大嵐で大雨のある日裸足で家を飛び出してそのまま帰ることなく離婚。実家も遠く,実家の手をどうしても借りたくなかった私は,2歳の娘を抱えて,給食のおばちゃん,大学病院医事課,国立民族学研究所の秘書などの仕事をしながら必死で働いて娘を育てました。このとき,実に多くの人に助けられ(何より娘に支えられ)ました。そして,自分が社会というものについてなーんにもわかってはいなかったことを思い知らされるのです。

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3 毎日こんなにたくさんの人が亡くなるなんて

大学病院での仕事はとりわけ私にとって大きな経験となりました。なにしろ,毎日たくさんの人が亡くなります。また,医療費を払え(わ)ないひと,事故で突然に足を失う学生,結婚式を来週に控えて乳がんが見つかる女性,病院職員に暴言を吐く人,司法解剖を拒否する遺族,命の灯を消して臓器を提供するひとと受け取って生きるひと。様々な生死と生きる困難を目の当たりにして,寄り添うだけでなく,本当に役に立てる「力」があればと感じるようになりました。

そのころ,その病院で以前私の主治医だった先生が亡くなります。30代,癌,ゆっくりと話す穏やかなひとでした。その時,明確に,私はこれからどうやって目の前の人に関わっていくべきだろうかと考えました。 

4 苦しい人の思いは,時に置き去りにされる

このころ事故や事件で死亡した方の遺族を支える被害者ボランティアの活動にも参加していました。そのプロセスで,事件が社会問題化するにつれて,被害者遺族の気持ちが次第に置き去りにされるという事態が起きることに気が付きました。

もちろん,記者会見などで積極的に表に出る遺族もいらっしゃいます。しかし,被害を受けた遺族の中には,自分たちが社会的な活動や発信を行うことに抵抗がある方もおられます。その場合,被害者を支援する団体が社会活動の主体となって担うことになります。この時に,被害者遺族自身の気持ちや感情が,活動の活発化についていけないということが起き得るわけです。ある事件を背景にして,社会の問題意識が高まり,結果として法や制度の改正に至ることは評価されるべき変革なのでしょう。しかし,第一に救済されるべきは被害者,遺族,そしてその心情です。

それは,病院で生きることに大変さを抱える人たちも同じです。医療や福祉を含めた社会制度改革も必要です。しかし,同時に,あくまでそのひとりひとりの人生に寄り添い何ができるかを真剣に考える人も必要なのです。

私は,そういった困難にさらされるひとたちの心情を置き去りにせず,かつ,しっかりとした支援ができる,何か力のようなものが欲しいと思いました。

5 とはいえなぜ唐突に司法試験なのか?

法学部出身ではない私,司法試験を受けるなんて別世界のことだと思っていました。しかし,このころ,私は,上記の経緯で目の前の人のために役立てる「力」のようなものが欲しいなどと妄想中。そこに飛び込んできたのが,「ロースクール新設」という文字でした。日本にも,ロースクールができる,法学部でない人にも司法試験受験という道が開かれる,というニュース解説が添えられています。

 「ああ,これだ」と思いました。法律の「ほ」の字も知らない状態(憲法9条を中学校の社会科の時間に習ったぞ,くらい)でしたが,最初にやったのはお金の計算。ロースクール学費案内と預金通帳を並べて,電卓をたたくと,受験一回で合格すればちょうど学費と生活費を賄える額だという結論に。「ああ・・・これはやるしかない」。

こうして,働いて貯めた有り金をはたき,「ひとりひとりの幸せ」に寄与できる力を持つ弁護士にという思いでロースクール進学。落ちたら親子で路頭に迷うと自分を追い込み続けた3年の平均睡眠時間は3時間,子育てと勉強でボサボサぼろぼろの生活を経て合格しました。合格順位は論文43位と悪くないものでした。 こうして、弁護士になったわけですが,弁護士生活はさらにいろいろな人生との出会いの連続。そこで,私は痛烈な発見をしてしまうのです。それについてはまた次回。

読んでいただいてありがとうございます。今日もみなさんが幸せであることを祈り,心からのエールをお送りします。well-being first. 

https://claris-russell.com/


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