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女性性コンプレックスが大噴火している

久しぶりに仕事理由以外で、こんなに悶々とした思いをしている。すごく、すごーく自分のなかの女性性へのコンプレックスが疼いている。たぶん人生で最初に感じたコンプレックスでもあり、今なおいちばん根深い気がする。前はこんな気持ちではなくて、ノンバイナリーの要素に当てはまっているな、と思っていたけれど、よく考えると違う気もする。自分は性別で物事を考えません、みたいな態度は、人一倍気にしていることへの防御反応だったのかもしれない。

私があまりに女性性がないからか、ないものに惹かれるという理屈なのかもわからないけど、仲良い友達がみんな女の子らしくて素敵な人ばかり。日々刺激されるので、もうやめて!!!と涙目になる。友達たちは何も悪くないのに、傷口に塩を塗りたくられているような気分がする。

しんどいのに解消するための努力がやりきれてないのも、さらに別のコンプレックスを感じて、負のループにはまっている。コンプレックスがコンプレックスを引き寄せており、二次コンプレックスと化している。
理想やプライドばかり高くて、行動が追い付いてないのが良くないと思う。最近はコンプレックスを緩和するために、毎日ヘアミルクを髪に塗ったり、パックをしたり、ボディークリームを塗ったりしてる。さらに最近、ボディスクラブをお風呂でやったり、家を出る前にお花とバニラの香りのヘアオイルをつけたりしている。

でも、やっぱりまだ全然足りない気がする。

思えば、強烈に自分の女性らしさを認めてくれる異性に依存してたのも、このコンプレックスに紐づていたのかもしれない。「女の子らしくない、とか言ってたけど、すごく真面目で繊細で女性らしいところがある」とか「女性として好き」とか言われると舞い上がってしまって、気づいたら我を見失って自爆している。思い返すとその人たちはたぶん、本当に軽い気持ちで言ってただけなのはわかってるんだけど、自分で認められないから、人に認めてもらうしかなかったのかもしれない。

友だちにも相談したことがある。自分自身で女性性を感じられる瞬間を増やしていくのは素敵だけど、憧憬は根詰めてやりすぎて疲れちゃうから気を付けてね、みたいに言ってもらったことがある。あとは女性性を引き出すといってもいちばん自然なのは、自分のそういう面を引き出してくれる人と出会うことだし、自分の好きなことでもっと色々な場所に顔出してみたりするのも良さそうだよね、と話したことがある。

ひたすらクリームやらミルクやら、何故か体の表面をつるつるにしてる行動が多いけど、自分のやるべきは、もっと自分の好きなことで色んな人と接することなのかもしれない。もしかけがえのない人間関係ができたらそれはとても幸せなことだけど、私はシンプルに知的好奇心刺激されるような面白い人に会うことが大好きなので、もっと色んな面白い人に会いたいなあと思う。

それこそ、自由に色々遊ぶ会(仮)はぴったりと思ったのだが、人気投票1位の真夜中の散歩をやるにはハードルが高い。初対面の人たちを集めて、電車のなくなった時間に集合してひたすら歩くの、もし話合わない人がいたらしんどくないですか。話合わないと思ったら途中離脱するという参加者の意志を尊重したいけれど、真夜中にリリースするのも主催者として心苦しい。シンプルにまずはオフ会として人を招集して、希望者は真夜中に一緒に散歩するのが良いと思う。

また難しいのが、私が繋がっている人たちには共通点があまりないということ。色んな文脈で仲良くなった人がいるので、その人たちを一同に集めた後は何が起きるのか、共通の話題はあるのかな、とか思うと、ちょっと尻込みしてしまう。たぶん、一緒の映画を見るとか、読書会にしてみるとか、先にコンテンツを共有できた方が、場としては良さそうだなと思う。

それか非常に傲慢な企画だけど、私の過去noteでどれが好きとか、このテーマもっと考えてみたいとか、それならみんな共通していると思うけど、あまりに自分を作家扱いしている感じで、なんか変な気もする。もう少し企画を練り直す必要がありそう。

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