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母になって、楽に人をゆるせるようになった


だれかにひどい言葉をなげられたり、
嫌われていると感じたりすると、

そのひとをゆるす

ってすごくむずかしい。

わたしは感情をあまりおもてに出さないタイプなので、その場でうまくもやもやを解消することができず、長いこと引きずってしまうことが多いです。

でもこれがすごくつらくて、夜眠れなくなったり、次にそのひとに会うのがずっと怖くなったりしてしまいます。原因があきらかにわたしにないときでも、攻撃を受けたと感じると心をシャットアウトして逃げ出してしまいます。

ほんとうは相手にも、そのときの事情があって、どうしようもなくイライラしてしまっただけかもしれないのに。この人はひどい、合わない!と、わたしもまた相手を否定してしまう。

最近も、特になにがあった相手ではないのですが、やたらに苦手意識を感じてしまう方と関わる必要があり、会うのがものすごく怖くて眠れないほどの日々をしばらく送っていました。

ですが、以前あることをきっかけに見出していた「人を即座にゆるす方法」を思い出し、もちいてみると、とても楽になれたんです。

その方法とは、「相手が赤ちゃんだったときの姿を思い浮かべること」。

怒りを感じてしまうその相手も、かつてはちいさなかわいい生まれたばかりの赤ちゃんで、お母さんの胸にだかれていた。お母さんはその赤ちゃんを心の底から愛していて、「生まれてきてくれてありがとう」、「元気で健やかに育ってくれればそれだけでいい」、そう心から思っていた・・。

ただ、そんな情景を思い浮かべるんです。そうすると、

そんな大切な存在なのに、怒りなんて向けてごめんね

そう思える瞬間がおとずれたんです。

ちなみに、この方法を思いつくきっかけとなったできごとというのは、4ヶ月の息子を抱いて山梨へ電車ででかけようとしていたときのことでした。

わたしと息子だけの旅行だったので、ベビーカーに荷物を載せて、息子を抱っこ紐で寝かせていました。その大荷物で電車に乗ると、よろめいて男性の足をふんでしまい、あやまる間もなく怒られたんです。「ベビーカーはたたまないと!」と。

世界的に見たらありえないけれど、日本ではよくあるできごと。こんな言動に対する批判をSNSなどでみることも多いですよね。

社会的におかしい!と批判することは簡単、ですが、わたしの心はそれでは癒されませんでした。助けてくれなかったまわりの人にも幻滅してしまい、その男性にたいする怒りで胸がいっぱいになり、つい涙してしまいました。当時はちいさい息子の子育てでいっぱいいっぱいだったんです。

それで、寝ている息子のおでこに顔を近づけて、なんとか気持ちを落ち着かせようとしていたところで、気づいたんです。

「あのひとも赤ちゃんだったんだ」と。この人も、わたしが息子に対して思う気持ちを受けて育ってきて、大切に慈しまれて、ただ存在していることに感謝されてきたんだ。

そう思うと、赤ちゃんであるそのひとが、自分の息子と重なって、そのひとのお母さんはわたしと重なって、わたしの中で癒しが起きたのを感じました。

相手こそが問題のあるひと、だと思っていたのに、その問題を心にもっていたのはわたしだったかもしれない。相手をうらんだり変えようとしたりするのではなく、ただ自分のみかたを変える。そのパワーを思い知ったできごとでした。

今回は、あのときのように一方的な攻撃を受けたわけではなく、どうみてもわたしのなかの不安やトラウマを相手にうつしてしまっている状況だったのですが。

彼のあり方をゆるさないと。そう思ってこの方法をまた試してみることにしました。

そうしたら。

きのう、ついに会合の日があり、あんなに恐れていたというのに、にこやかに別れることができたんです。がんばってね、などとすら言ってもらえて、こちらも心からの感謝の気持ちをお伝えすることができました。

本当に、受験前のようなしぬほどの緊張で苦しかったのですが、よい締めくくりができてよかった。

人に対する怒りとか、恐れとか、不安とかは、結局は自分のなかだけにあるもの。だから、自分がまず安心する、そのことが大切なのだとつくづく思ったできごとでした。安心するためにたすけになったのが、わたしにとっては「相手の赤ちゃんの姿をイメージすること」だったんですね。

みんな同じように生まれて死んでいく存在なのだから、上も下もない。みんな同じように価値がある。

それにしても、自分がこんなふうに何かを怖がることなんて、めったにないことだったので、我ながら驚きました。母や夫に打ち明けると、なにかトラウマがあるんでしょう、と言ってくれ、原因はたしかに思い当たるところがあるのですが、それでもびっくりでした。

引越しのストレスもかなり影響していたのだと思います。

なにはともあれ、自分がリラックスしているということが、人間関係においてとてもとても大切だということが、たしかだとわかったできごとでした。

子どものような、嫌なときは泣いて好きなときは無我夢中になるような生き方をしていきたいなあと、つくづく思います。

今朝のお散歩で。
まっすぐな子どもの姿にはたくさん気づかされる。


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