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『○○仕舞い』

先日、恩師より故郷の特産「富有柿」が届いた。

富有柿

毎年、この時期に
「郷の味が懐かしいだろう…」と送って下さる。
新年明けまで大切に恩師が丹精込めて育てた「富有柿」を御相伴させて頂く…
そう!恩師は「先生」を定年退職後、農家を継いでおみえだ。お米、野菜達、そして富有柿。
プロの農家だ。
「ご自宅用の柿」を分けて下さる。傷があったり、ヘタが黒くなったり
それがまた〈美味い〉😁

故郷を離れて…あと数年すれば40年となる!

恩師と再度交流は、東日本大震災後…7年ほど前からだ

シングルマザーになったのをきっかけに
故郷を離れて「子育て、仕事」のみの生活になった…親友とも不義理だが年賀状のみの関係になっていた…
親友Yがアルバイトで稼いだ「餞別」と「趣味の油絵」と「息子の成長」を心の糧として「生活」をしてきた。
息子が成長し、手が離れご縁があって「我宅主人(アルジ)」と息子の許可を得て一緒になった。

「東日本大震災」は…そこそこ「苦」が付いてきた…
親友Yが…電話をしてくれた…そこで初めて本当に声を出して涙を流したように思う…

そこからまた親友Yとも交流が再開!
3年程経ったある日…
「ねぇ○!そろそろ先生に連絡取ってくれない…実はさ…先生さ…私の患者さんなんだよね…」と親友Yに伝えられた…

先生が忘れていると困るから…
最初の連絡は…葉書にさせて貰った。
「生きてます!」とその一言を大きく力強く書いたのを覚えている。
着いた頃…我宅に電話が…
「○○か!Yちゃんに無理にお願いをして電話番号を聞いた…責めんとってね…」と恩師が伝えた…
私は言葉が出なかった涙と鼻水が止まらなかった…
「よー生きとった!よー生きとってくれた…」と恩師も涙声だった…
それから…交流再開で今が在る!

今年の暑さは「実り」にまで大きな影響を与えた…
恩師「今年の柿は、まだ色付きが悪いんだ。」
我「うんうん!こちらも林檎がね…」
恩師「全国的やからな…まぁ食べたってね!
   立派な林檎が今日届いたぞ!
   ありがとうな…大事に食べるわ。
   ところでよー!そろそろ年賀状仕舞い
   を考えとるんやわ…もう直ぐ80やで
   細かい事が面倒になって来た…」
我「うんうん!うちのばぁちゃんも
  そう言っとるで分かるよ…
  ええよ!先生!今年は買ってまったで
  今年は俺は(昔から自身の事を俺と言う)
  出すから…先生はええから
  これで最後で…
  これからはメールにしよか!ね!」
恩師「そうしたってくれるとありがたいわ」

と…いろいろな事が○○仕舞い!
されてゆく…
親と同じお年頃の「恩師」からのお願いを
寂しさと…負担軽減と…全て「順番に…」ならば…受け入れるしかない…
こうして…「順番」に感謝し…自分自身の覚悟へと結ぶ…

毎年…「今年が最後!かも…」と届く富有柿
に…感謝のみで在る…

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