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【苦痛の大学6年間を振り返る】人間関係・研究室・就活地獄

こんにちは、大学院理系修士2年ヨウジです。
今回は辛く苦しんだ大学6年間を振り返りたいと思います。
思い返すと、早いようで短い大学6年間でした。
前の大学を辞めて期待を膨らませて入学した今の大学は僕にとっては厳しいものとなりました。
主に人間関係や研究・就活で悩んだ大学生活でしたね。

学部1年(人間関係の苦悩)

実家を旅立ち、一人暮らしの生活を始めた大学1年次、希望を持って大学の入学式に出ました。入学式までの道中、自分から他の人に声をかけた記憶があります。以前中退した大学の記憶があるので次は失敗できないと心に強く誓っていました。今思うと、この信念があったからこそ辛い大学生活を辞めずにここまでこれたのだと思います。学科のオリエンテーションでは他の人に声をかけ自分から仲間の輪を広げました。サークルや部活の見学にも行き3つの団体に入りました。当初は順調なスタートだと感じていました。大学生活に慣れてきた頃、友人関係に違和感を感じ始めました。どこか心の奥底で孤独感を強く感じていました。僕は人に心を開くのが苦手みたいです。毎日大学に行ってもどこか寂しい思いで過ごしていました。一人暮らしの影響もあり、さらに孤独感を深めていきました。組織に馴染みづらい僕はサークルなどに1年の前期で段々と顔を出さなくなり、次第に居場所がなくなっていきました。

学部2年(塾講師になり人生が輝き始める)

その時、何か動き出さないといけないと強く自分に言い聞かせ、やっと塾講師のアルバイトを始めたのが大学2年の後半でした。天職かと思うくらい塾講師は自分に向いていると思いました。教えるのが楽しくて、またそのことに生きがいを感じ、自分の存在意義を見つけられました。

学部3年(外部の大学院進学を志望)

そこから3年次に入り塾講師を継続している時は自己肯定感を感じて日々の生活が輝いていました。しかし段々とシフトに入れなくなり9月頃にアルバイトを退職します。そこからまた孤独感を感じ始め鬱状態に陥りました。ここで人生2回目の心療内科に行きました。しかしお薬は得られませんでした。医師からはひきこもっている生活をやめるよう言われました。進路のことを考え始めていた当時、外部の大学院進学を掲げていました。やりたい研究をするためや環境を変えて新たな人間関係を築きたかったからです。その時、急にやる気が出始めました。大学院進学を期に将来を変えるチャンスが訪れたと思ったからです。大学院の研究インターンシップに参加したりラボ訪問の活動に精を出していました。でも上手く事が運ばなくて外部進学を諦めます。

学部4年(没頭した研究生活)

大学4年次になると研究室に配属され先輩たちがいる環境におかれました。同期という存在ができて新鮮だったように思います。中々、研究室にも馴染むことができませんでしたが、研究に楽しく没頭できたので良い経験ができました。本望ではなかったのですが、研究が楽しいから内部進学でも良いと思って進学を決めました。また塾講師のアルバイトを始めたので、4年次は大学6年間の中でもとても有意義な時間になりました。

修士1年(カウンセリング・心療内科・不登校)

大学院修士1年次、臆病な自分はたまに刺激を求めたくなる性格ということもあり、大学公認の学修支援団体に所属しました。大学生の相談や悩みに対応する業務です。塾講師と同じように自分が誰かに求められる環境ができたので嬉しかったです。研究においてはコロナ禍で中々思い通りに進捗を生めなかったのがストレスになっていました。やれる範囲で研究を頑張りました。修士1年までは研究に人間性を捧げていた記憶があります。9月下旬、人間関係の悩みから睡眠障害に苦しみ、初めて大学のクリニックを訪ねました。そこで大学のカウンセリングを紹介されました。このカウンセリングは今でも続いています。ここでの女性のカウンセラーに恋してしまったのは大学生活の中でもかけがえのない思い出です。決して叶わない恋だけど出会えて良かったと心から思います。心療内科にも通院し双極性感情障害と境界型パーソナリティ障害だと診断されました。自分でもそうだろうなと思っていたので腑に落ちました。精神安定剤を服用する生活がここから始まりました。修士1年の後半になると就活を意識し始め資料作りを楽しんでしていたことが懐かしいです。SPIの勉強などが楽しくて夜遅くまで問題と格闘していました。でも3月の就活本格解禁から研究への拒絶感が発端で就活の志望進路に迷いが出始め精神がボロボロになりました。何とか企業への応募だけはと力を振り絞って頑張りました。先輩後輩の卒業式にも行けないほどに体が壊れてしまい、ここから大学不登校になりました。

修士2年(就活地獄)

修士2年になってからも継続して研究室に行けなくなりました。指導教員との話し合いで、一旦、研究をストップし就活一本で頑張るという方向性に決まりました。有難いことに物理的な負担はかなり減りましたが就活一本でも物凄く辛かったです。面接が怖くて仕方ありませんでした。オンライン主流での就活には助けられました。例年の対面就活だとまず間違いなく体が動かなくなっていたと思います。6月中旬に就活終了宣言をしたのですがなんとか製薬企業に内々定を頂き、そこで就活を終えました。精神安定剤を勝手に断薬していた頃があり大学に自殺を示唆する連絡をしたり、時には頭がおかしくなりカウンセラーにこのまま家に帰らせられないと判断され大学に両親を呼ばれた時もありました。本当に大学のカウンセラーやクリニックの医師、研究室の指導教員にはご迷惑をおかけしました。冬になり指導教員と音信不通になっていた時、カウンセラーから学修支援制度の提案をされました。どうやら大学公認の制度で学業上一定の配慮をしてくださるという制度です。その制度を利用してこれまで大学不登校のまま生活してきました。進路に関しては最後まで悩み続けましたね。本当に苦渋の決断になっています。修士2年は心身ともにボロボロになった年でしたがこの苦しみをバネに頑張っていきたいです。

今後の生き方

最後に、僕の大学生活は全く順風満帆にはいきませんでしたが、失敗が多いなりに色々学ぶことがありました。逆境が蓄積されるとそれらを忘れないで強く生きていけると思っています。僕は前の大学でも心身がボロボロになり中退しひきこもりになり辛い思いをしてきて、今の大学でも辛く苦しめられましたが、だからこそ今後の未来を頑張ろうと思っています。今、逆境を目の前に辛い思いをしている全国の皆さん、どうかいつか報われる時がくると信じてこれからを生きていきましょう。僕は未来を諦めません。

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