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ミシェル・クオ パトリックと本を読む

丸善のみなとみらい店の広大な店内の中で、ノンフィクションのコーナーは本棚一つ分しかない。しかし、そこに並んでいる本は、書店の選球眼の良さを物語っている、ような気がする。そこで手に取った、パトリックと本を読む、を読んだ。

この本は米国南部のアーカンソー州の、黒人生徒ばかりの底辺校で、台湾系米国人女性のエリート法学生が国語教師をすると言うもので、著者はこの台湾系米国人のミシェル・クオだ。幼い頃から学業優秀で、学部はハーバードだし、大学院もハーバードのロースクールである。この学部と大学院の間で、アーカンソー州に行っている。

アーカンソーの底辺校の状況は、とにかく「危ないアメリカ」そのものだ。ありとあらゆる「倫理」への挑戦というか嘲笑がこれでもかと展開されるが、そんな中でも著者であるミシェル・クオは黒人だらけの生徒達の心を鷲づかみにし、子供達に希望を与える、と言うのが前半の前半くらいの話だ。その後は、一番目に掛けていたパトリックという可哀相だが心優しい黒人生徒が、過って人を刺殺してしまい、拘置所に通い続けて「パトリックと本を読む」ことを通じ、パトリックの更生に力を貸していく様が描かれていく。

いやはや、こんなに良い本があるんだな、と思いながら読んでいた。これも白水社なんだ。白水社、良い訳書を出してるなあ。

生徒達と、クオは、全く違う世界の住民であるが、一つ明らかな共通点がある。それは米国ではマイノリティであると言うこと、もっと言うと、白人以外の人種と言うことだ。

クオの両親は、台湾から米国に渡ってきた台湾系米国人1世だ。米国社会で生きていけるよう、やや単細胞とも思えるほどの教育を施している。学歴こそ全て、と言うありがちな教育家庭であるが、米国でアジア系マイノリティが生きていく術を持つために、これは日本における教育重視より、複雑な問題である。だから、娘がアーカンソーに行くと行った時、父親が「ハーバードの学位をドブに捨てる気か?」と言ったセリフは、日本で民族的に圧倒的マジョリティとして暮らす日本人には、俄に理解しがたいものだと思う。これは恐らく、在日韓国人や朝鮮人なら分かることなんだろうな、と思う。

クオの描く南部の真実は、これも日本に暮らす日本人の私には、かなり衝撃的なものであった。何となく知っている風ではあったが、こんなに酷いのか、と思ったのだ。

私はこの本を、スティグリッツのプログレッシブキャピタリズムを読んだ後に読み始めた。

スティグリッツがあるところで、次のように書いている。

「この国では、アフリカ系アメリカ人が一貫して差別を受けており、十分な教育も受けられず、満足のいく住宅にも住めず、経済的な成功を掴む機会にも恵まれていない。つまり、彼らにはアメリカンドリームが無いと言うことだ。」

スティグリッツが短く纏めているこの文章を、クオはほぼドキュメンタリーと言うほどのページ数で書き連ねている。黒人の生活は、荒廃に荒廃を重ねた感じで、これだけの人口の人間が、こんな風に生活をしていると言うことが、世界で最も豊かな国で起きているとは信じられない。格差格差と言うけれど、まさかここまでとはね、と言う思いである。彼らは健康を害しており、寿命も短い。アメリカが先進国のくせにやけに平均寿命が短いというのは、これほどの格差があってのことだと思う。

十分な教育が受けられない黒人でも、クオのように諦めずに献身的に教育を施そうとする「個人」がいれば、子供達はそれなりに聡明になっていくことは、この本を読むとよく分かる。やっぱり、この手のチャンスは、なるべく平等に与えられるべきだと、読みながら思った。

この本を読んで、下の動画を思い出した。

https://www.youtube.com/watch?v=USQKcikyGJ0

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