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川田利明 開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学

世田谷区で10年以上前、ある一人のレスラーがラーメン屋を開業した。私が好きなレスラー、川田利明である。店名は、麺ジャラスK。その川田が、ラーメン屋経営の苦闘を語った書籍を出し、買って読んだ。

タイトルが長い。

"開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学"

である。

ビジネス書はあまり読まないのだが、これは川田の本と言うことで、手に取って読んだ。

数年前、台風が首都圏を直撃し、多摩川の水がひっくり返ったことがあった。私が住む横浜から、京急とか東海道線で多摩川を渡るときに、河川敷にはホームレスのテントが見える。あれは一体どうなったのかと思うが、急いで畳んで難を逃れたか、もしくは流されているはずだ。学生時代から会社に入ってからの一時期、漠然と自分だってホームレスになるかも知れないと思っていたのだが、これをいみじくも、上述川田の書籍を読んでまた思うに至った。

川田はファイトスタイル同様、ほぼ意地で店を続けてきたことになるが、その経営は苦難を極めている。そもそも前のラーメン店から居抜きで店を始めようとしたが、期待していた「前のラーメン店の残骸」が殆ど無い状態だったそうで、初期投資が嵩んでしまったらしい。ここからは「二択あれば苦しい方を選ぶ」かの選択を続け、瞬く前にレスラー時代の収入で買ったベンツ3台を売却し、運転資金に充てると言う経営を余儀なくされた。川田は「ベンツ3台をスープに溶かす」などと上手いこと形容しているが、そんな呑気な状態では無かったはずだ。

川田は「とにかくラーメン店を開くなんて安易な考えは捨てろ」と読者にこれでもかというくらい強調しているが、同じくらい強調しているのは「企業に守られて生きていることをしっかり理解しろ」ということだった。川田自身も全日本プロレスと言う会社に守られて生きてきたのを、ラーメン店を出してから実感することになったそうだが(末期は全日も大変で、給与が払われていなかったらしい)、今会社で少々の不満があっても、辞めて独立して何かをやるのは冷静になって考えた方が良い、特に料理が得意だからと言って飲食店、その中でもラーメン店だけは絶対にヤメロ、と言うのである。

私自身、これまでも「気付いたらホームレスになっていた」的な本をよく読んだが、転落した人には会社に不満があって辞めてみたものの、その後上手くいかず、結局今は上野公園に住んでいる、と言うパターンが多いと言うことだ。

川田の本を読んで、この「感じ」を思い出した。

あと、この本を読んで思ったのは、とにかく個人経営の飲食店の経営は大変だと言うこと。営業時間は夕飯時だけであったが、本書によるとランチを始めたらしく、営業時間外も仕入れだの仕込みで多忙で、休日も仕入れをして、さらに仕込みをしているらしい。

さすがに製麺だけは外注だが、それ以外は全て自分でやっており、こんなに大変な思いをして商売をやって、果たしてこれは商売と言えるのか!?と言う思いだった。

具体的に「こんなに大変なのかよ」と言う一例は、メンマの仕込みである。川田の店は、乾燥メンマを使っている。乾燥メンマは、沸騰させた水に漬けて、その後さらに再沸騰して、漬ける…と言う作業を2日間続けるらしい。3日目には何度も何度もそれをすすいで洗って、やっと味付けが出来る。つまり、仕込みに3日も掛かるらしい。あのメンマに。さらに、この工程を繰り返すと、店内がメンマ臭くなるようで、これは店を閉めている時間にしか出来ない。

個人経営のラーメン店などを見る目が確実に変わり、例えばあの台風での被害が大きかった武蔵小杉に店を構える「ラーメン屋けん」が横浜橋商店街にあったとき、異様に短い営業時間はこういう事情だったのか、と思い知った(けんも川田の店同様、夫婦で取り仕切っていた)。

喜多見にある川田の店、「麺ジャラスK」は、コロナ禍にもめげず、営業を継続している。頑張って欲しいとは思う一方…少しでも体を大切にして欲しい。仕事で行き詰まったとき、あなたの試合を後楽園ホールなどでライブで見て、気が晴れた一ファンとしてのお願いでもある。

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