機械では表せない生命そのもの:(M,R)システム 【Robert Rosen "Life Itself", ALife Book Club 6-5】

こんにちは!Alternative Machineの小島です。
今回(最終回)は、機械論的には扱えない生命そのもの("Life Itself")にせまっていきます。

前回はローゼン流のメカニズムと機械の定義、そしてそこから導き出されるメカニズムの性質についてお話しました。

性質 1:各メカニズムには最大モデル(M_max)がただひとつ存在
性質2:各メカニズムには、最小モデルの集合({M_min})がただひとつ存在
性質3:この最大モデルは最小モデルの直和と等価

これをふまえて、ローゼンの「生命は機械であらわせない」という主張に迫っていきます。

機械としてあらわせないもの

これを達成するためにローゼンはまず、機械を関係生物学的に記述するところから始めます。
まずはローゼンのいうところのメカニズムと機械についておさらいしておきます。

メカニズム(Mechanism):自然システムであって、そのすべてのモデルがシミュレーション可能であるもの
機械(Machine):メカニズムであって、そのモデルの少なくとも1つが数学的機械(mathematical machine)であるもの。

機械であるためには、数学的機械、すなわちチューリング機械(コンピューター)として表せる必要があります。ローゼンは、機械を関係生物学的に扱うためにこれを利用していきます。

以前お話したように、チューリング機械はテープと、ヘッドの二つで構成されています。テープには入出力を書いたり消したりでき、ヘッドはそれを読んで処理を行う部分です。ざっくり言えば、テープはソフトウェア、ヘッドはハードウェアに対応します。ここから機械のやっていることはざっくりと「入力(ソフトウェア)」をハードウェアが「出力(ソフトウェア)」に変換する作業だということができます。そしてこのざっくりした動作の描像こそが、機械の関係生物学的な記述になります。

作用因(efficient causation)

この入力と出力の関係を、入力をa、出力をb、変換の処理(ハードウェア)をfと書くとすれば、b = f(a) のように書くことができます。

ここで誰かが、「なんでbが出力されたのか?」と質問したとします。
これには二通りの答え方があります。一つはaが入力されたから、もう一つはfで処理されたからです。
ローゼンはアリストテレスにならって前者の説明を質料因(material cause)後者の説明を作用因(efficient cause)と呼んでいます。

このような説明はどんどん続けていくことができます。たとえば上の例だとaは入力でしたが、これもなにかの出力となっているならば、bと同じように質料因、作用因を答えることができます。

問題となるのは「なぜfなのか?」という質問です。これはa、bより一階層上のものであって、いまの枠組みではなにかの出力となるものではありません。つまり質料因、作用因を問うことはできません。

そのかわり、原理的にはfを出力するようなメタ的なシステムを考えることができます。この場合、fはさっきのbと同じ立ち位置になり、なにか別の処理gによって出力される対象となります。

でも、今度はこのgの質料因、作用因はこのシステムでは説明できず、さらにメタ的なものが必要となってしまいます。

作用因のループ

このメタシステムを作り続ける無限から抜け出す方法があります。それはループを作ることです

さきほど問題になったのは、fを説明するためにgを新たに導入しても、さらにこのgを説明するものが必要、、、が無限に続くということでした。

そこでさらに新しいものを導入する代わりに、これまでの登場人物で融通できないか、と考えてみます。
例えば、fとbを再登場させて、gはbをfに入力して得られるもの、つまりg=f(b)と書いてみます。
こうすると、gの質料因、作用因はそれぞれb、fとなるので、登場人物を増やすことなくgの説明をすることができています

このように内部で説明(特に作用因)がぐるぐる回ることで閉じているので、このようなものをローゼンは「作用因のループ("closed path in efficient causation")」と呼んでいます。

作用因のループがあると機械では表せない

このように作用因のループをつくることで、各部分を説明できるシステムを(関係生物学的な描像で)作れました。
ただし、ここで注意しないといけないのは、たしかに記号としては良さそうだけれど、内実としてはgというハードウェアが、bというソフトウェアをfに入力することで得られる、という特殊な状況になっているということです。

そして、実は(ローゼンによれば)、このようなシステムは機械で表せないのです。

詳しい証明は省きますが、ざっくりと説明するとこんな感じです。

さきほどのシステムでは、fというハードウェアはaをbに変換する役割と、bをgに変換する役割の両方を担っていました。つまり、2つの異なった動作があるということは、これはすくなくとも2つのモデルが含まれていることになります。

よって、これは最小モデル(M_min)ではないので、メカニズムの性質からfをさらに分解して、f=f_1+f_2のようにできます。ところが、fを分割したとて、先程のループの構造は残ったままなので、同じ議論を繰り返すことで各f_1、f_2にも少なくとも2つのモデルがあることになり、さらに分解可能となります。

そして、これが永遠に続きます。よって、このシステムにおいては最小モデルが作れない、よってメカニズムの性質に反する、というのが証明の概略です。

(以前お伝えしたように、この本の数学的な正しさには疑問符がつけられているので、話半分ということでお願いします、、)

作用因のループが「生命そのもの」

というわけで、やっと本書のメインの主張を示すことができました。
すなわち、機械論的には扱えないものがある、そして「作用因のループ」画素の一例である、ということです。

ただ、もともと知りたかったのは「生命そのもの」だったはずです。最後にそことの関係を見ていきます。

例:(M,R) system

ローゼンの主張は、生命がなぜうまく理解されないかの理由は、生命の本質("Life Itself")が機械論的に書けないものだから、ということでした。

この機械論的に書けない、ということがこれまでの議論でやっと具体化された(作用因のループ)ので、今度はこれと対応するような生命でのプロセスがあるかが問題です。

その厳密な議論はないのですが、本書に書かれている生命っぽいシステムである(M,R) システムをご紹介します。

代謝(Metabolism)

(M,R)システムも、上で作用因のループの例で紹介したものと似たシステムになっています。

まずはある入力aを出力bに変換するf(b=f(a))があります。
これを物質aをbに変換するものと見立てて、ローゼンは代謝(Metabolism)とよびます。これが(M,R)システムのMの部分です。

修復 (Repair)

続いて、今度はbを入力としてfを出力するg(f=g(b))を用意します。

これをローゼンは修復(Repair)と呼びます。代謝を起こしているもの(f)を作っているので、代謝システムを維持するものとしてこの名前なのかなと推測します。
そして、これが(M,R)システムのRです。

複製(Replication)

最後に、fを入力としてgを出力するものを用意します。そしてこれをbが担っていると仮定します。(g=b(f))
これを複製(Replication)とローゼンは呼んでいます。これも(M,R)システムのRになります。

こうすることで、すべての要素に作用因がつき、「作用因のループ」が完成しました。よって、このようなものが生命システムに内在していれば、機械論的には表せないのです。
そして、ローゼンはこのような構造が生命そのもの("Life Itself")を形作っていると考えたのでした。

まとめ

「生命そのもの」は機械として表せないというローゼンの主張をみてきました。
(大変お疲れさまでした。)

ただし、初回にお伝えしたように、ここでの「証明」の厳密さには疑問符があり、すべてを額面通りにとるべきではなさそうです。
このあたり、もうすこし突き詰めてみたかったのですが、もはや研究になりそうなので、ここで一旦終わりとします。
もし万が一興味がある方がいればぜひご連絡ください。一緒に研究しましょう。

(部分に分けられないことをシステムの特性と考えるという観点では、意識の理論として知られる統合情報理論との関係がありそうに思います。たとえば、この論文では、コンピューターのようなトランジスタの集合だと部分に分割できてしまうため、「分割できない状態」を再現できないといったことが論じられています。これはローゼンのsimulabilityの議論とパラレルな部分がありそうです。)

次回予告

ローゼン"Life Itself"は今回でおしまいとします。
次回まだ決めてないのですが、一回軽めの番外編を挟もうと思っています。
ぜひまた来週もご覧ください!

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