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澤海渡の当事者研究

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私(澤海渡)という存在を徹底的に研究した時に生まれ出るコトバをストックしています
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記事一覧

"うつ病"になれなかったかつての私へ

扉を開けるとアロマの香りがした。 入るとふかふかのソファーが待っている。 オルゴール…

⇄のある社会を目指して

これまで現代の社会を取り巻く課題(宿命感etc)やそこに対しての理論的な解決策(自己と社会…

「普通」を追い求めていたかつての私へ

子どもの頃から私は「普通」というものに憧れていたのだと思う。 「普通」にみんなとお話しす…

不登校になるとは“宇宙に放り出されること”なんだと思う〜元不登校生から見た不登校…

想像してみてほしい。 目が覚めたら暗闇の世界にいることを。 体が自由には動かせない、宙に…

「愛してる」を知りたくて〜“知らない”からこそ“わかる”こと〜

前回記事はこちらから⬇︎ 『「愛してる」を知りたいのです』そう彼女は言った。 彼女はコト…

他者の想いをコトバにするということ〜ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観て〜

手紙とは自己の想いをコトバにしたためること。 でも、自分の想いって思った以上に自分ではわ…

「障害」とは何か〜澤海渡の当事者研究〜

「障害」とは誰が決めるのであろうか。「障害」とは私なのだろうか。 例えば、私は「ASD」という診断を受けている。公的な空間で私が「ASD」と名乗れば、私は「ASDの人」という認識を得るだろう。 では、「ASDの人」とは何を意味するのだろう。「ASD」という言葉そのものは記号であり、それそのものに意味はないからである。 推測するに、「ASD」という言葉から想起するのは、「コミュニケーションができない、不器用、特定の物事への執着」などだろう。確かに私を構成する要素の一部にそれ