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新宿ベルクで味の形を楽しむ


先週末、夫と東京に行った。

2日間の限られた時間の中、メインの用事の前後に行きたいところを無理やりくっつけた。
その一つが新宿ベルクでのランチ。

ベルクについては、この3冊が家の本棚にある。


『味の形』 迫川尚子 著
『新宿駅最後の小さなお店ベルク』井野朋也 著
『食の職 新宿ベルク』迫川尚子 著




昔飲食店を営んでいたこともあり、
ベルクのような時間をかけて熟成された
アナーキーな雰囲気が漂うお店には
強く強く惹かれる。



お昼どき、ベルクは当たり前に混んでいた。


エッセン・ベルクというランチセットを注文するつもりでカウンターに並んだけれど、
ちょうど私の前に並んでいた人で終了してしまった。
じゃあ、他の軽めのセット(ジャーマンブランチ)と卵かけご飯”味の形スペシャル”を注文。

ほんとうはすごくビールが飲みたかったけど、
午後に大事な予定があるのでぐっと我慢した。

席はいっぱいなので、
立ち飲みのカウンター席でいただく。

カウンターへ運んできたままの状態で
写真用にお皿を整えずに
そのまますぐに撮影した。笑

写真で見るとごちゃごちゃの昼食で面白い。
トレイに乗らないので、コーヒーの下皿は無し
という自由な状態。

「味の形スペシャル」と「ジャーマンブランチ」



『味の形』の本に出てくるのは、
ベルク副店長 迫川尚子さんの
「味覚に形を感じる」という共感覚。

本の中にあった説明によると、

共感覚とは?

きょうかんかく。シナスタジアともいう。

文字に色を感じる、音に色を感じる、味覚に形を感じるなど、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく、別の感覚領域におよぶ知覚が生じる現象全般のことを指す。

共感覚者は十万人にひとりの割合で存在する、とも言われるが、2,000人、200人にひとり、などとする研究もある。

『味の形』 迫川尚子著 より


迫川さんは味の形が分かる人で、
丸い味、四角い味、三角の味など
頭の中で味を自由に組み合わせられる。

ワインの味を「雨に濡れた犬」に例えられたり、
スープの味を「ちょっと肉の脂が人見知りだよね」とか、「透明な湖の底に沈んだマリモみたい」と言われたりする。


羽根屋「煌火」純米吟醸生原酒を飲んだときの
一番最初のイメージもこうだ。

「溌剌、羽が生えて飛んでく飛んでく、
 輪が連なっていくような、シャボン玉、
 空があって、強さがあって、プチプチはじける、
 しっかり、切れがいい、甘ったるくはない、
 浮遊感、上にあがってく・・・」

『味の形』 


私は迫川さんのような純度が高すぎる感覚は持っていないけど、味のイメージを持つときに少し似たような感じで捉えることがある。

ただ単に味の薄さや濃さではなく、
例えばかぼちゃとか紅茶の茶葉の味が
おとなしいけれど芯が強いとか、
やんちゃで元気だとか感じて、
それを生かして調理の手を加えるのが好きだ。





ベルクで食べた「味の形スペシャル」という玉子かけご飯は、五穀米、コーン、レンズ豆、バター、トマト、玉子2個がのっていた。

唐辛子しょうゆをチャッとまわしかけ、
よく味わってカミカミモグモグ食べ、
コーンのつぶつぶの甘さが口の中にじんわり広がったとき、急に懐かしい味を思いだした。

* * *

昔、夫と25年間飲食店を営んでいたが、
最初はまず私一人でインドカレーのお店を開いた。
30年前なので、スパイシーなインドカレーだけでは集客が偏る不安があったため、食べやすい日本の洋食屋さん風カレーも別に一種類用意していた。
(これは洋食屋の叔父からレシピを伝授してもらった)

この洋食風カレーの方は日替わりで具を変えて
いた。
根菜たっぷりカレーにしたり、牛すじ肉を煮込んだり・・・

でも、慣れるまではこの「日替わり」が大変だった。


材料の用意や仕込みの段取りに余裕がなくて焦っていたある日、もうヤケクソのような気持ちで、
「コーンとベーコン」のカレーという、自分ではアウトなメニューを出してしまった日があった。
センスが無さすぎてあかんやろ!と思ったが、
ほんとうに余裕がなかったのだ。

お店の入り口はガラス張りだったので、
外を通る人がよく見えた。

準備をしているとき、決まった時間帯に通る
ダンボールを積んだリヤカーを引くおじさんがいた。
長髪で前髪をパツンと潔くカットされていたので印象に残りやすい外見。
痩せているのに、ダンボール山積みのリヤカーを
軽やかに引かれる姿を近辺でよく見かけていた。

当時お店があった商業地では、
ダンボールをお店の外に立てかけておくと
そのおじさんのような人が回収してくれるというナゾのシステムがあった。



コーンとベーコンの日、
お昼の時間も終わり、
お客さんもいなくなり片付けていたとき、
そのおじさんが入ってこられた。

髪型ですぐに分かった。

カウンターのドアに一番近い端っこの席に
体の半分を外へ向けるような
なんだかこちらを避けるような座り方で
「コーンとベーコン」と注文された。

お店の外にリヤカーは無かったので、
仕事の途中ではなかったようだ。
おじさんは、いつも窓から見える時と少し雰囲気が違っていた。
襟付きのシャツを着ておられたのだ。

おじさんは黙々と食べ終え、
お会計後すぐに出ていかれた。

その日から、おじさんがお店の前を通るとき、今までは素通りで淡々とリヤカーを引かれていたのが、外に置いているメニューの黒板をチラッと見ながら通り過ぎるように変わっていった。

でもお客さんとして来られる気配はなかった。ただ通り過ぎるだけ。



その後しばらく経ってから、またどうしても余裕がないのでコーンとベーコンのカレーを出した日が何回かあった。

おじさんはそのコーンとベーコンの日に何回かやって来てくれた。
やはり襟付きのシャツを着て、一番ドアに近い端っこの席に体を半分外へ向けるような座り方で。

でも他のメニューの日は一度も来られなかった。

不思議に思い、営業が終わったあとに自分の
カレーを一食分しっかり食べてみた。
コーンとベーコンを入れて。


日替わりカレーに使う洋食風のカレーのベースは結構大変な作り方をする。
野菜や牛肉を長時間煮込み、ルウとなる小麦粉やスパイスをフライパンで空炒りする作業も必要だからだ。
目が痛くなるし咳が出そうになるし、
木べらで混ぜるのに力がいる作業だった。

野菜とスパイスで作り上げるインドカレーの方がまだ楽だった。

せっかく手間をかけて仕込んだベースに
コーンとベーコンみたいな軽いものを入れる
のはもったいないよなぁと思いながら
ひと口食べてみた。

えっ?とびっくりした。
自分で言うのもなんだけど、すごくおいしかった。
コーンのつぶつぶや甘み、ベーコンのわかりやすーい化学的なうまみ。それがなつかしさに包まれたかたまりになって味に含まれている。

いや、なつかしいのは味だけではなかった。
それは、ご飯を当たり前のように母に作ってもらっていた、子どもの頃の守られて与えてもらっている安心感のかたまりも含まれていた。

子どものころお腹がすいたとき、
カリカリのコンビーフとマヨネーズが
ごはんにすごく合うと思って食べていたこと。
バターとコーンの組み合わせが大好きだったこと。
そんな子供時代に何も考えずにただ「おいしいなぁ」って思っていたことが形になって出てきたのだ。

あのおじさんはどんな形を感じて食べてくれていたのだろう。



その後しばらくしてお店を拡大移転した。
そしていつの間にか
おじさんを見かけなくなった。


今はダンボールの回収ボックスは至るところにあり、便利にリサイクルができるようになった。
リヤカー自体も見かけなくなった。



夫がお皿の向き正して撮った写真
性格のちがいが明らかだ



上の写真の透明の小皿に入っている
ポークアスピック(豚肉のゼリー寄せ)を
口の中に入れたときも、
おいしい、おいしい、好きという感じと
なんだかほっと涙が出そうになるような
やわらかさを感じた。

マイスター東金屋さんで作られているもので、豚肉の中でも特に柔らかい希少部位のみを使用され丁寧な工程の上で作り上げられたものに、化学調味料バリバリの食べ物をつなげると申し訳ない気持ちがかなりあるけれど、、、
(ごめんなさい)
やはり子供のころに素直においしいと思ったコンビーフのカリカリから飛び出すおいしさとマヨネーズが合わさった感じとか、いちごにかける練乳のミルキーさとか、自分で調理や買い物や後片付けのことを考えずに、ただ「おいしいなぁ」だけ感じて食べていたやわらかい気持ちのかたまりが味の中に入ってくる。


その頃は、今はいない父や兄と、特に兄とよくこのおいしさを一緒にもぐもぐもぐもぐ食べていたのだ。

マヨネーズ大好きな兄と。




次ベルクへ行くときは、ビールも飲んで
デザートもいただこう。
絶対に。

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