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Who Am I | 平野 幹(vol.1)

【平野 幹/タトゥーアーティスト】
1978年 東京都出身。
幼少の頃にゆでたまご、鳥山明、手塚治虫などの漫画に影響を受け、絵を描き続ける日々を送る。
中学生にMTVを観て音楽を始め、20代は東京を中心にドラマーとして活動後、ライブペイントツアー、絵画作品の個展を各地で開催。有数のブランドにもグラフィックを提供。
30代は 香港、マカオ、台湾を中心に世界各地で壁画制作やペイントショーで活動。ジャッキーチェンのショーなどにも参加。ブルックリンの塗料会社「ベンジャミンムーアペイント」のサポートを受ける。
30代後半に サーフカルチャーにどっぷり浸かる。レジェンド ケリー・スレーターがイラストをアイコンに使用。THE SURFER'S JOURNALにイラストを提供。
40歳にしてタトゥーアーティストとしてのキャリアもスタートした。

Instagram:@kan_hirano


幼少期からどんな時間を過ごしていましたか

自分の世界にいるのが好きで、気づいたら絵ばっかり描いてた。
只々楽しかった。
小学校になると、権力や暴力が増えてきて組織だったものが苦手だと、子供ながらにハッキリしてたね。指図されたり、意見を押し付けられるのがとにかく嫌だった。
俺の場合は多分、その辺りからアイデンティティが芽生え始めてたんだと思う。
中学校で、親父が長い闘病後、他界したのも大きかったかな。長い間トラウマだったし、それ以来 死について沢山考えた。
18歳で流行りのデザイン学校に行ったけど、都内のクラブに入り浸って、そっちこそが勉強の場だった。
DUBやジャズからディープハウスまで、ジャンル問わず聴きまくってたね。
インターネットも無いから、自分で「探すこと」、これがすごい重要だった。動かないと、情報も友達も何も手に入らない時代だったから。
ハタチになってもしばらくぶらぶらしてたけど、この社会にはいつも腹が立っていた。
相変わらず俺の中で音楽だけはリアルだったし、絶対音楽で変えてやる!って、次期店長だった仕事を辞めて、バンドに明け暮れた。金なんて無いからニ年位ヒモもやった。
少し食える様になってからは、一年の半分近くライブツアーする生活で、フェスやライブハウスで色んな人に出会って、どんどん世界が広がっていった。
そのつながりはさ、今でも沢山生きてる。
TVにも全て台本があるってことを知ったのもその頃で、生き方が随分変わったかな。
自分の目で見たものだけを、信用する様になったね。


絵、音楽、そしてタトゥーアーティストとしてのキャリアをスタート

音楽を辞めて、しばらくグラフィックや絵画、壁画を仕事にしてたけど、40歳でタトゥーのキャリアをスタートした。
新たにいろいろと学んで、音楽をやってた時よりも、よりリアルな経験に感じてる。ライブ感が好きなんだと思う。
サーフィンも、天候やコンディションがすごく大事で地球のバイブを味わえるんだ。
旅なんかもまさにそうだね。それが生きがい。
だから、そんなライブ感が存在するタトゥーは天職かも。
肌と肌でコミュニケーションをすごい取れるし、精神や身体の事も学べる。
それにさ、タトゥーを入れれば、それだけ差別が減ってゆくと思うんだよね。
少なからず反骨精神につながる。
ノリの良い 布教活動(笑)だね。
次のステップとして、海外に住みたいなって強く思ってる。金を追って ガンガン行こうぜ!って気持ちはさらさら無いけど、もっと自分らしく生きたいって願望はある。
でも、一番の学びは、いつも近くにいるパートナーとの絆にあるんだよね。


幹さんにとって、パートナーや、周りの仲間の存在とは

みんな自分を肯定したい。それは分かる。
でも、所詮は全部 他人からのアドバイス。
近道も正解も存在しない。
誰も信用するなってよく言うけど、それも間違ってない。
俺は人に助言できるほど人間できてないから、しないし、聞かないかな。
やっぱり自分でケリつけるしかないからね。
それよりマジで子供みたいにくだらない話ができて、気が合う友達の存在がいつもサポートしてくれてるんだよね。
今も常に沢山力をもらってる。
俺の仕事はほぼ つながりしかないから。もうそこからは感謝しかない。
みんなそれぞれの時間の中、自分が主役。
それでも一歩引いたり、共有したり、与えられる側になって、その喜びを感じている人が美しいよ。



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