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8分0秒小説『お感情を払ってください!』

 カウンターに突っ伏した男、肘がこつん、空の徳利を倒す。店主が唇を歪め溜息。徳利を摘み上げ、カウンターの内側に引き込む。
「お客さん、お客さんっ!すいませんが閉店のお時間です。起きてください」
「 ん?あ……あんがぁって?」
「うちはもう閉店です」
「え?この店たたんじゃうの?」
「いえ違います。今日はもう店じまいです」
「そですか」
「お感情お願いします」
「ぐか?」
「だいぶ酔われてますね。お感情をお願いします」
「感情?……そんなもンもっちゃいなぇ」
「駄目ですよ。感情の無い人間なんていないですから、とにかくお願いします」
「感情、感情ってうるせぇなぁったくぅ」
「お客さん!感情を払って頂けないなら――」
「わーった!……わーたよ。払いますよ。払えばいいでしょう?いくら」
「えー、しめて『過去最大の哀しみ』でお願いします」
「は?高過ぎじゃねぇ?『過去最大』っていくらなんでも――」
「そうおっしゃられても、実際それだけ飲み食いされてますから」
「『哀しみ』なの?哀川翔の哀しみ?普通のあの『悲しみ』じゃなくって?」
「はい、哀川翔です。過去最大の」
「何だよ過去最大の哀川翔って?ここで俺ぇが『モーニカーんー』とか歌えばいいんか?」
「それ、吉川晃司です」
「あ、そ。それにしても『過去最大』かぁ……」
「お願いします」
「ふー、分かった。分かりましたよ。じゃあこんなのはどうだい?『高校三年の時に失恋した感情』」
「すいません、うちはクレジットカードと失恋系の感情でのお支払いはお断りしておりまして。失恋系以外でお願いします」
「そなの?失恋が駄目となるとあとは……『哀しみ』って意外にねぇからなぁ……じゃあ『部下が俺の悪口を言ってる場面に出くわしちまった時の感情』ってのは?」
「はー、ちょっとお会計が足りませんね」
「まじかよオイ仕方ねぇな。じゃあ細けぇのねぇから、大きいのになるけどいいか?」
「ええ、構いません」
「ちょっと長くなる」


 小学校6年。友達がふざけて、超合金のマジンガーZのロケットパンチを俺目掛けて飛ばした――あのバネ仕掛けでグーパンチが飛ぶやつな。それが馬鹿笑いしていた俺の口ン中飛び込んで来て、どんぴしゃ喉の穴をすり抜けて、つまり飲み込んじまった。
 一緒になって笑っていた友達の笑顔が凍り付いた。あの顔は一生忘れねぇ。マジンガーZ、亡くなったお爺ちゃんが買ってくれた形見だって言ってさ、Zの手首の不格好な断面を見つめて、涙ぐむもんだから俺ぁ申し訳ねぇって、なんとか吐き出そうとした。でも「おえー」しか出てこないわけよ。
 で、仕方なく次の日うんこで出るだろうって、トイレで気張った。うんこは出たけど肝心のロケットパンチが出てこなくってさ。友達に謝って「明日は絶対に出すから!」って次の日、その次の日、何日も過ぎて、しまいに何か月も過ぎたけど一向に出てくる気配がないわけ。
 たまに「おっ出た!」って喜んでうんこ掻き分けて引っ張り出してみたら、「ロケットパンチにそっくりな堅てぇクソ」だったりしてな。
 小学校卒業と同時に、友達が新潟に引っ越すっていうから俺ぁ、「もし出てきたら絶対に連絡するね」って言って連絡先聞いて別れた。
 しばらくは手紙でやり取りしてたんだけど、ある時手紙が住所不明で返ってきてねぇ。電話も掛けたけど繋がらなかった。その時俺は、もう社会人になってたな。共通の知人とかに尋ねたけど、連絡先分からなくて、そのうち諦めちゃった。俺に知らせずに引っ越したってことは、友達も諦めたんだろうなって。

 時は流れて三年前のある日、俺がロケットパンチを誤飲してから実に三十五年経ってから、前の晩、産まれて初めてパクチー食ったせいかなぁ、なんかやけに今日は屁が出るなぁって「ぷっ」、小っちゃい屁だったんだけど、パンツん中で同時に「めりっ」て音がした。「あーあ、やっちゃった」ってトイレでパンツ降ろしたら「ごきんっ」「え?」見ると例のロケットパンチが床を殴った音だった。
 俺ぁ目を疑って何度も何度も「堅てぇクソ」じゃねぇかって確認したんだけどやっぱりロケットパンチだった。で、今更なんだけどさ、その友達に返したいって思って、興信所とか探偵とか色々当たって友達を探した。

 見つかったよ。新潟だった。俺は、休みを取って新幹線乗ってすぐ会いに行った。綺麗に吹いて消毒したロケットパンチ大事に胸ポケットいれてさ。
 で、調べた住所に着いてベルを鳴らした。女の人が出てきて「主人は先週ガンで亡くなりました」って。
 俺……その場にへたり込んじゃったよ。呆然自失ってやつだ。で、その女の人、まぁ友達のカミさんだわな。「主人が死ぬ間際に、友達の山野辺って奴が俺を訪ねてくることがあったら、渡してやってくれって言われているものがあるんです」って奥に引っ込んで、何持ってくるのかと思ったら、例の超合金のマジンガーZだった。
 俺……胸ポケットから、ロケットパンチを出して、「ごめんな」って言って、そっとZの腕に嵌めてやったんだ。そうしたら何十年も経っててバネっちゅうか、横に付いているスイッチみたいなのがバカになっちゃったんだろうね。ビーンって……ロケットパンチ、俺の胸に目掛けて飛んで来た。
 それがなんとも言えない弱い力でね、俺の胸を叩いた。友達に叩かれたような気がした。恨みにも感じたし、許されたようにも感じたし、叱責というか「お前ガンバレよ」って、言われた気がして……ま、そんな感情だ。それを”哀しみ”と呼んでいいのか、今の俺にはまだ分からない。でもたぶんそうだと思う。うん、決して冷たい哀しみでは無い……俺にとっては暖かな哀しみだな。


「今のでお感情、足りるかい」
「お客様……ちょっと待ってください。すいません。なんでだろ。涙が止まらない、いや、ちょと感情が多すぎます」
「そっか、じゃあごちそうさん」
「いえ、お釣りを」
「お釣り?」


 小学校三年、夏でした。
 子猫を見つけちゃったんです。草っ原に段ボールが投げてあって中に1匹だけ。連れて帰らないと確実にこの子は死んでしまう。
 一緒に居た幼馴染の女の子が、「私の家で飼う」って連れて帰ったけど、お母さんに凄く怒られて、「じゃあ俺が飼う」って、でも私の家も同じでね。二人とも途方に暮れてしまったんです。

 空も暮れてしまい。女の子と子猫と一緒に、採石場にぽつんとある電話ボックスの中で、何を待つわけでも、誰を待つわけでもないのに、閉じこもって、ただただ時間が経つのを待っていました。空に星が必要以上に出ていて、虫の鳴き声が、星の鳴き声に聞こえました。二人のお小遣いを合わせて買った子猫用の餌をあげて、紙皿でお水をあげました。
 猫は私たちの顔を見て、小声で鳴きました。まだ正式なニャーではない掠れた声で。その眼には、不安も恐れも無く、ただただ命を宿して濡れているという事実を、私たちに突き付けていました。そう、不安も恐れも感じていない。私達を信頼しきって、女の子の腕に頬を埋めて、それを見ているだけで、私は、自分の無力さがやるせなくって、今すぐ大人に成りたいって思いました。
 深夜になって、女の子が怖いって言うから、抱きしめました。すごく自然にそうしてしまいました。子猫がお互いの胸の間に挟まって、小さな寝息で熱を宿していて、それはまるで二人で小さな心臓を共有しているようで、女の子の腕が、私の腕に接していて、信じられないほどすべすべしていて、蚊に刺されて赤くなっている箇所の膨らみを感じた瞬間、思わず飛び退きそうになって、目が合いました。女の子の目も、子猫と同じで、生きていて濡れていて、私はキスをしました。
 その子のことが好きだったのか、正直分かりません。でもあの瞬間、自分がこの世界に存在していることを、はっきりと自覚したのを覚えています。長い間水中で息を止めた状態から、水面に顔を出して存分に空気を吸った――そんな感覚がしたんです。
 その子?ええ、お客さんと同じ、しばらくして引っ越してそれっきりです。
 猫?私たちを見つけたお巡りさんが、交番で飼うことにしてくれました。


「今のが、感情のお釣りになります」
「……ぐっと来たよ。でも、今のじゃお釣りが多過ぎだ。前の嫁さんとの子供がさ、男なんだけどね。小学校3年生になって、電車に乗って一人で俺に会いに来た時、俺は失業中で……」

 夜が更けてゆく。

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