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3分50秒小説『私をすりぬけてマンションから飛び降りた猫』

 マンションの屋上へ、階段を昇る。扉には鍵が掛けられている――と、皆思っているようだが、実は掛かっていない。錆びてとても重くなっている。それだけだ。力いっぱい押せば開く――最後に鍵を掛けた人が、押してみたら開かないから、鍵を掛けたと勘違いしたのだろう。
 たまに学校に行く振りをして、屋上に行く。私だけの秘密の場所。空を独占する。あの雲もあの山もぜんぶ私だけの物、ここにいる間はね。
 セーラー服のリボンは、蝶の振りをしているけど、どこにも飛んでゆけない。その気も無いらしい。だから色褪せて臙脂色、私と同じだ。

「今日も自殺ごっこする?」
 誰に聞くわけでも無い。自問してるのかも分からない。マンションの縁に立って、小声で「来ないで!来たら飛び降りるから!」ぼそぼそ言うだけ。そうして後ろを振り返り、誰も止める人は居ないことを確認して、ほっとする。いつでもこの生活を終えることができる。その権利を、山の上にのっけて、眺める。でもまんざら、ただの遊びでもない。半分は本心。

「”死ぬ理由がある人”と”生きる理由が無い人”どちらの方が自殺しやすい?」
 スマホの中の人に聞こうかと思ったけど止めた。もしも「認識できませんでした。もう一度言ってください」なんて応えだったら、きっと本当に飛び降りてしまう。ちなみに、私には死ぬ理由は無い、そして生きる理由も無い。

「本当に飛び降りたらどうなるんだろ?」
 私の足下、コンクリに埋もれて、ママはYouTubeを見ている。そのスマホの向こう側、窓ガラス越しに、私が逆さまに落ちて行ったなら、ママは私を叱ってくれるだろうか?いや、きっとYouTubeだと思うかな。

「ねぇ、そこに居るの?」
 私は、マンションの縁、膝を抱える。うずくまり、膝と顔の間の空間、小さな闇を見つめる。「そこに居るの?」。
 そこがどこで、誰を探しているのかも分からずに、ただ問う――答えが返って来た。

「にゃー」
 猫?
 膝から脱出して、振り向く、猫だ。駆けて来る。私目掛けて、首輪をしている。飼い猫?鈴がしゃしゃしゃと鳴って、だめ!ぶつかる。
「危ない!」
 叫ぶと、猫は私をすり抜け、マンションから飛び降りてしまった。慌てて覗き込む。
 猫は、私を見つめながら、地球の引力に吸われ遠ざかっていく。口元が笑っている。でも目は笑っていない。悲しそうでもあり、ただ薄っすら濡れているだけにも見え、誰かの目に似ていて、それが、私のようにも思え、ママにも思え、いや、友達や、先生や、売店のおばちゃんにも似ていて、私の心を見透かして、諭すわけでも、叱るわけでも、寄り添うわけでもなく、ただ傍にいる感じで、それが妙に暖かくて、私は、目の奥が冷たいのにぐっと酸味を帯びた熱で圧迫される感覚がして、思わず叫んだ。

「死んじゃダメ!」
 猫は、目を一瞬流し目にして、ふわりと宙を返して着地、走り去った。
 私は急いで階段を駆け下り。辺りを見渡す。猫は居ない。でもあのスピードで掛けて行ったのだ。きっと無事だったのだろう。

「本当に猫だったのかな……」
 今、見たことが信じられなかった。私は、幻を見たのだろうか?

ちりん
 靴の先で鳴った。見ると銀の小さな鈴。拾い上げる。
 冷たい。でも暖かい。歪んだ私が映る。でもきっとこれが私のまっすぐな姿。だから、だから、うん。もう自殺ごっこは止めよう。

「ありがとう」
 ”にゃー”を期待してつぶやいてみた。でも返事は無く、きっと今見上げたら、猫が落ちて来そうな気がして、私は足早に学校へ向かった。


「鈴?今でも持っているよ。」
 鈴を見せた。
「ありがとう猫ちゃん」
 彼の目が潤んだ。嗚呼、あの猫の目は、この人の目だったんだ。
「うん」
 彼の肩に頭を乗せて、一緒に鈴に映った。

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