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3分0秒小説『2mmの不安定な虹』

 コンテストとか応募したことないけど、してみようかなって、1週間くらい練って、今書き終えて、応募しようとしたら、締め切りが2019年の10月だったことに気づいた男の作品です。とほほ……。


 ヤドクンの事を覚えてる?夏祭りのヤドカリ釣りで釣ったヤドカリ。1回300円、10回やってやっと釣れた1匹、ペットショップに行ったら200円で売ってて二人で笑ったね。あのヤドクンです。
 彼が亡くなりました。君と別れてからちょうど1年、そんな記念日があるのか知らないけど、いわばお別れ記念日の日に、ヤドクンは旅立ってしまいました。すべて僕のせいです。

 ヤドクンの殻の色を君は気に入っていたね。どうしてもあの子を吊りたいって、紐の先に付いた餌のポップコーンを振って、ヤドクンの鼻にごんごんぶつけながら君が言うから、僕は何個も何個も100円玉を財布から出す羽目になり、泣きそうでした。
 でも確かに、ヤドクンの殻は綺麗でした。淡いエメラルド色で、所々が真珠のように白く光沢があって、光を浴びると2mmくらいの虹を表面に浮かべて、ヤドクンが動くたび、虹が一緒に動くのが面白くって、二人でずっと眺めていたよね。

 君が出て行って、僕は一人でお世話をしていました。君が欲しがっていたヤドクンなのに、君は連れて行こうとしなかったね。君はヤドクンの殻が好きだっただけなのかな?いや、責めてるわけじゃないよ。でもそう考えると、胸の下の方がきゅっと痛みます。ひょっとしたら、僕もヤドクンとおんなじだったのかなって――勝手に一人で思ってる。

 新しい貝殻を入れておくべきだったんだ。ヤドカリは、成長する度に、一回り大きい貝殻に住み替える。知ってはいたけど、思いが至らなかった。そして何もしなかった。分かっているよ。結局、僕のそういうところが嫌で君は出ていったんだものね。

 今朝、ヤドクンは干乾びていました。もう限界だったんだろうね。殻がきつ過ぎて、苦しかったんだろう。だから夜中に抜け出し、内臓を剥き出したような体を白い砂に塗れさせ、這い回り、幾筋もの乱れた線を砂に描いて、命を失った。
 プラスチックの水槽には、彼が探していたものはもともと入っていなくて、それが僕には他人ごとには思えなくって涙が、彼の体に落ちた。涙は彼を潤すことはなく、体を伝って砂に吸われていった。

 引っ越すことにしたよ。君と暮らしたこの部屋、ここに留まっていると、いつか僕の心は砂に塗れて干乾びてしまう。
 ヤドカリは、成長したら新しい殻に移る――でも僕は、成長したいから新しい殻に移ろうと思います。順序は逆かもしれないけど、そうします。

 ヤドクンの殻ですが、今はどんなに強い光に当てても、どんなに角度を変えてみても、虹は浮かんできません。多分隣に君が居ないからだと思います。でも引っ越し先に持って行く予定です。たぶん一生手放しません。僕にとっては、大事な思い出だから。
 たった2mmの不安定な虹、そんな虹でいいから輝いて、それを誰かと一緒にいつまでも眺めている未来が、お互いに訪れることを信じています。じゃあね。

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