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なぜオードリー若林さんに惹かれるのか

『ほとんど人生は「合う人に会う」ってことで良いんじゃないかって思った。それは、家族だし、友達だし、先輩だし、後輩だし、仕事仲間だし、ファンだし、相方だし。そういった合った人にこれからも会えるようにがんばる、ってことが結論で良いじゃないかなって思った。』

オードリー若林さんの著書 "ナナメの夕暮れ" がこの結論で結ばれた時、かつてない「そうだよ、これなんだよ、、、」という感情が湧き上がってきて、心底嬉しかったことを覚えている。分かりやすく感動したのである。

若林さんは今を時めく人気MCで、オールナイトニッポンをはじめコアなファンが多いわけだが、人はなぜ若林さんに惹かれるのだろうか。心地よい雰囲気を醸成するMCとしての場回し、キレのあるエピソードトーク、大喜利のセンス、春日さんへの愛(?)、人によって惹かれるポイントは違うだろうが、自分が一番惹かれるのは言語化の才能だ。

エッセイを読んだことのある人なら分かると思うが、情景を浮かび上がらせる繊細な描写、差し出されるありのままの素朴な感情、この2つがテンポよくショートムービーのような心地のよい小世界を生み出し、引き込まれてしまう。たいていエッセイの末尾は煙のように、ふわっと後腐れなく消えていくのだが、それもまた心地よいのだ。この才能はどのように形成されたんだろう、と取り留めもないことを考えたりする。

言語化の才能のある人は、人を惹きつける。相手の感情を的確な言葉で表現し心をつかむし、何より自分の奥に秘めた感情を丁寧に描写することで、多くの人に「自分もそう言われてみると同じだわ、、何となく感じてたことってそれなんだよな、、」といった共感を生んでいく。若林さんの場合は中二病のような感情も多いのでコアなファンはたいがい男かな。

20代・30代前半を走り続けてきて、30代半ばに差し掛かり、あれっなんの為に生きてるんだっけ?と多くの人がその答えを探し求め、自分なりに納得できる形に整理しようとする。そして日々、成功者の言葉、家族の存在、といった様々なものから影響を受けて形を変えていき、結局答えなんてないよね、と天を仰ぐ。単に生きることだけであればさしたる苦労はないこの日本で、何のために生きていくのか。

「合う人に会う」

このパンチラインは自分のもやもやをすっと消しさり、紛れもなく生き方だったり何を大切にするのか、という行動を変えたのだ。余計なものが取り除かれているのに、こんなに全てを言い表しているフレーズが存在するんだ、という感動が若林さんへの畏敬の念になっている。

言語化の力も足りなく、自分の感動は全然伝えられてないと思う。若林さんだったらこの高まる思いを何て表現するんだろうか。きっと飾らない言葉で自分を深く頷かせてくれるに違いない。

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