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「住民主体」ってあんまり言わないで!

昨日とある勉強会に参加してきた。
「住民主体による支え合い」というテーマで県内外の事例の報告と講師の先生の「これからの主役はみなさんです!」という謎の叱咤激励。

住民は今までもこれからも主体です。
支援者が望むようなカタチに動いてくれていないので、「住民主体」と何度も声高に連呼しないといけない。
それはこの国が貧しくなり、公助が減り、共助や自助でやってもらわないといけないから。お金が足りないから。人々の豊かな暮らしを支える福祉に今まで以上に使えないから。

住民主体、共生社会
これは行政の縮小のために、生まれたリフレーミングワードだろう。
これ以上できないからやってくれーを、共に生きようと言い換えた。

同じグループになった自治会長さんが言った。
「地域で手助けを必要としている人は多いが、担い手が足りないからできない!」と。

そう住民が少なくなっている。
すでに住民はギリギリの中で助け合って生きている。
これ以上動けるのだろうか。

この国の社会福祉の衰退を住民に任せていくのは「住民主体」ではなく、社会福祉、地域福祉のバトンタッチだ。

「住民の意識改革が必要」????
違うと思う。
支援者の意識改革が必要だ。
住民に任せすぎない、市民の助け合いはいつ始めてもいつ終わってもいい。
しかけて、コーディネートして、住民が意のままに動くのは気持ちがいいでしょう。
でもそれは本当の主体性の発動ではない。
意識を変えるのは、住民ではなく、「住民主体」と叫ぶ人たち。

住民を変えようとしないで、このシステムを変えよう。
そもそもあなたも住民だ。

みんなでより良く生きる。
このみんなは住民も支援者も行政も、学校も研究者もだ。

住民主体って言った人はスクワット10回です

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