愛に結末なんてない / Modern Love

こんばんは。あるこです。

アマゾンプライムのオリジナルドラマ『Moden Love』のセカンド・シーズンがリリースされました。
ファースト・シーズンはほぼ泣きながらも一日とちょっとで見終えるくらいに気に入ったので、かなり楽しみにしていました。

※ファースト・シーズンの感想はこちらから。

以下、ネタバレ注意です。

今シーズンは前シーズンに比べて、より普遍的で身近で日常的かつ現実的な様々な愛の形が描かれていて、落ち着いた印象を受けた。

どちらかと言えば、愛の「終わり」や「終わり、そして」という部分に焦点が当たっていたように思う。

お気に入りかつ印象的だったのは、

・エピソード1 「あなたが愛したスポーツカー」
・エピソード2 「夜の少女と昼の少年」
・エピソード3 「(ダブリンの)見知らぬ乗客」
・エピソード4 「ひとりよがりな未来予想図」
・エピソード6 「こじれた夫婦の待合室」

…というか、全エピソードぐっと来てしまったので、絞るのが難しいです。

エピソード1は、故障を繰り返す古いスポーツカーに乗る女医の話。
亡くなってしまった元夫との思い出が詰まっていて、今でもそのスポーツカーに乗る時だけ、彼と話ができるような気がして、利便性には事欠くその古い車を手放せずにいる。

はい、第一話から早速泣きました。(笑)

大切なのは物ではなくて思い出なのだと割り切って、生活費のためにスポーツカーを売ったステファニー。
彼女がどうしてその古い車に拘り、大切にしていたのかを、現在の夫・ナイアルに打ち明ける。

今でも亡くなった元夫への思いが残っているのだと聞いたナイアルは、彼女のその想いを否定することなく、元夫や子どもたち、仕事で関わる患者たちとともに、ステファニーの心のほんの一部でも、自分に分けてもらえたらそれで充分なのだと言う。

「人生で二度も伴侶に恵まれた」
「運転中に目を閉じてハンドルを離した時のこと、あの時、誰かがハンドルを掴み、引き戻した。あなたに会えるように」

というステファニーの台詞に堪えていた涙がこぼれる。

ステファニーの元夫への想いは消えないと思うけれど、このシーンで、一線を引いたというか、ただ最愛の夫を失ってしまった悲しみに暮れるのではなく、別れがあったからこそ、悲しみごと自分を愛してくれる新たな人に出会えたことに対する喜びや愛にフォーカスする方へ切り替えられたのではないかと思う。

きっとハンドルを掴んだのは、亡くなってしまった夫のジェリーだったのだろう。

エピソード3は、2020年、パンデミックが始まった頃のアイルランドが舞台のお話。
ダブリンへと向かう電車の中で出会ったポーラとマイケルはお互いに惹かれ合い、ロックダウンが解除されるであろう二週間後に駅で再会することを約束する。

このエピソードをピックアップしたのは、何を隠そう、私がKit Haringtonの大ファンだからです。(笑)
彼が出ていることを知らずにセカンド・シーズンのティザーを見た時は思わず叫びました。大好きなシリーズに大好きな俳優が出る!最高!

ジョン・スノウを演じていたときから声と話し方(と困り顔)が大好きなのですが、さすがに話し方は現代風というかもっとナチュラルな感じになっていましたね。(笑)

エピソードのなかのポーラとマイケルを見ていて、私も去年のパンデミックが始まった頃は、まさかこんなに長引くとは思っていなかったし、別の国や地域の話のことで、自分や日本社会に影響が出るとも思っていなかったなぁということを改めて思い出した。

そして予想もしなかった状況に翻弄されつつも、自分も社会もいつの間にか慣れてしまっていることに、漠然とした悲しみと怖さを覚えた。

慣れるしかなかったのだけれど、その過程で何か置き去りにしてしまったものがあるような気がする。
例えばポーラとマイケルのように、新しい恋を始めたいと望んだり期待することさえ、今は感染予防の為に控えなきゃいけないと思っている。
もちろん、新しい人と会うのは気を付けなければいけないのだけれど、そういう物理的な問題ではなくて、「出会いたいなぁ」とか「恋したいなぁ」とかそういう想いや希望を知らず知らずのうちに抑え込んでしまって、

それが今の私の鬱々とした気分につながっているような気がする。
もちろん、恋愛以外の部分も含めて。

連絡先を交換しなかった二人は、思いがけず長引いたロックダウンに再会を阻まれるのだが、マイケルはどうしてもポーラと会いたくて、彼女の家の近所で張り込むことにする。
一方でポーラはこの出会いは運命ではなかったのだと、彼との再会を諦めようとする。

エピソードの中では二人が再会できたのかどうかは描かれない。
二人の結末は不明のままだけれど、私は再会できたと信じている。

そして、セカンド・シーズンで一番のお気に入りのエピソード6。

退役軍人のスペンスは妻に不倫され、離婚を求められて、セラピーへ通うようになるが、そこで妻の不倫相手の妻・イサベルに出会う。

ややこしい立場の二人だけれど、状況を理解し合えるのはお互いしかいないと食事を共にし、そこから少しずつ惹かれ合っていく。

配偶者に不倫をされて傷ついた二人が新しい相手を見つけて前を向けたというところももちろん良いのだけれど、

このエピソードで好きなのは、スペンスもイサベルも不倫をした元配偶者を許して、ちゃんと良い関係で終わらせているというところ。

イサベルは元夫のことを子どもの良い父親として認め、息子の誕生日に彼と彼の新しい恋人を招いている。
離婚のきっかけとなった不倫相手とさえ別れて、もう新しい恋人がいるというところにも、もう「彼はそういうひと」ということを、ポジティブでもネガティブでもなく、単純に事実として受け入れている感じ。

一方でスペンスは、ジーニーとの離婚に合意する。
あの川のほとりで二人が話すシーンがとても印象的だった。

ジーニーの不倫が発覚してもスペンスは彼女と別れたくなかったようで、
自殺すると半ば脅しのようなこと言っていたらしい。
それはスペンスにとってはジーニーは人生の目的そのもので、目的を失う自分には生きる価値が無いと考えていたようだ。

軍を辞めたスペンスは、”ジーニーを”幸せにすることを任務のように思っていて、それは"二人で"幸せになることとはまた少し違っていたのだろう。
そしてそれがジーニーにとっては重荷であり、スペンスが良かれと思ってやっているからこそ、分かり合えない大きな壁になって二人の間に立ちはだかっていたのだと思う。

スペンスがジーニーに対して「幸せになってほしい」と言うと、ジーニーも「私もあなたに幸せになってほしい。お願いだから」と答える。

ジーニーはスペンスを嫌いだったから不倫をしたわけじゃなくて、覆し方の分からない分かり合えなさから逃げ出したかったのだろう。

離婚届にサインをすると口にしたスペンスに「ありがとう」と言ってハグをするジーニーの表情にぐっと来る。

彼女は離婚を望んでいたけれど、その瞬間に初めてこの愛が終わることを実感して、良かったことも辛かったことも胸の内を駆け巡って、昔と意味は変わったけれど「愛している」という想いが溢れてのハグになったんじゃないかと思ってしまった。

セカンド・シーズンを通して、私が(一方的に)感じたメッセージは「愛に結末はない」というもの。

恋愛にしても友情にしても家族や他人にしても、そこで生まれた愛は少しずつ形を変えていって、例えば破局や死別という形で終わりを迎えたかのように感じるけれど、

実際はもう二度と連絡を取ることもない元恋人や友人たちから受けた影響が自分のなかで生きていたり、

ずっと昔に亡くした大切な人のことをふと思い出した時に、自分が重ねてきた経験や人生の分だけ、思い出やその人に対する印象や想いが変わっていたりすることがある。

愛には結末はなくて、ずっと形を変え続けながら存在していくものなのかもしれない。


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