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降車ベルの数と人との距離感について

ある日、赤い光が始めて脳に入った。
帰りのバスの中、ピーッという音で一斉に点灯する赤い光。そう、「とまります」の降車ベルだ。

今まで数百回は見てきた降車ベルだが、その日始めて気になりだした。
こんなに多かったっけ?って位、ギラギラと光っていた。
数えてみた。

前方
右側に10個、左側に8個
後方
右側に8個、左側に9個
計35個

バス一台に35個の降車ベル

えっ?!!一台に35個もあるの?!!数えてみてビックリである。
どうりで一斉に付くと眩しかった訳だ。

もう少しじっくり観察してみた。
どういう設計意図でこの数なんだろうか?

何人か鳴らしてる場面を見て気付いたのは、立ってても座っていても手の届く範囲にあるということだ。

つまり、人に頼まなくっても押せる。
激混みでなければ、自分で押せる範囲に必ず1個はベルがある。

なるほどね〜ある意味、楽だなーと思った。人にお願いするのってある意味ちょっとエネルギーが要るから。

ソウルのベルの数

ちょっと気になったのでソウルにいる友人にバスの降車ベルを数えてもらった。車種や地域によっても違うと思うけど、参考までにと思って。

結果は、16個だったという。
設置位置も上の方にあったりしてるので、人に押してもらう場面が多そうだな〜と思った。そして人に頼むっていうことのハードルが低いのかもと。

ふと、この降車ベルの数にも国民性、もしくは文化の違いが表れているかも知れないと思った。

人との心地良い距離感の違い

韓国は日本よりも人と人の距離が近いと良く言われる。
情深い、親切。でも表現を変えれば、お節介。
良い面もそうじゃない面もある。ただの特徴の一つ。

初対面でいきなり年齢を聞いてくる。上下のポジションをはっきりさせる。
家族とか住んでる所とか色々聞いてくる。最近は減ってるのかも知れないが。
ちなみに私はこういう距離感が苦手だ。ビックリしてしまう。0_0な感じ。
海外生活が長すぎて、韓国スタンダードにカルチャーショックを受けるという耐性のなさ(笑)

人と人との関係には、心地良い距離っていうものが存在すると思う。赤の他人とはここまでだけど、家族とか親しい友人とは自分の核に近い所までOKとか。でも、その見えないけど確実に存在している範囲を超えてしまうと居心地が悪くなったりと。

この距離感は社会的に側面を持つから、文化にももちろん影響されると思う。こっちではこの距離感でOKだが、別の文化圏ではNGだったり。


ベルの数はこの距離感に関連してるのかも知れないと感じた。
たかがバスの降車ベル。でも、実は奥深いのかも。面白な〜。



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