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私が私になるまでの物語〜天職探し編〜

バスガイド→コールセンターのオペレーター→居酒屋ホールスタッフ→マッサージ師

様々な職を転々としてきた私も27歳になり、そろそろちゃんと自分に合った仕事を探さないと!そんな風に大人の階段を登りはじめた。

フリーター時代のはなしはコチラ



天職探しを始めたのである。

当時読んでいた本に書いてあったこと。

むかし得意としていたこと、昔から好きだった事を紐解くと一生ものの仕事に巡り合える

考えても考えても私には得意なことなど何も見つからなかった。

通知票の成績は常に2か3。
秀でた特技も無ければ、続いた習い事もない。

私が過去に唯一褒められたのは声だった。

バスガイドの時に1回、小学校の放送部の時に1回。

わたしはこの数少ない人生の褒め期を糧にアナウンススクールの門を叩いた(たった2回の褒め期でよう叩いたな…と思うが藁をも掴む気持ちだったのだ)

そのスクールはいわゆるタレント事務所で、声優やリポーターになりたいような人たちが集まっていて、私はそこで滑舌やら演技やらナレーションやら漫才やら色んな授業を受けた。

そして私はタレントという肩書きを手にした。

確定申告の職業欄にタレントと書くのは大変ハードルが高く、夫の親戚に「タレントの嫁さんは誰や?」と聞かれて「私です」と答えると微妙な空気が流れた苦い思い出も。

タレントらしくテレビのお仕事も数回やったがその後呼ばれることはなかった。

ラジオやイベントなど小さな仕事をポツポツともらうけれど、初めのうちはそれだけでは食べていけないので日雇いバイトみたいなものを掛け持ちしたりもした。

駅前でゾロゾロと集まってくる人たちと一緒に大型ワゴンに乗って現場に向かい、ベルトコンベアーに流れてくるものを無言で捌き、また無言でワゴンに乗って帰って行く。
車内では頭の中でいつもドナドナが流れていた。

結果的に私が落ち着いたのはブライダルの司会者だった。

ブライダルの司会は記憶に残りすぎない方がいい。綺麗すぎるのも良くない。

私にピッタリではないですか!

薄顔故に一度見た後すぐに忘れられる顔であり美人すぎない自信もある。

そんなこんなで私は数年間で400組以上のカップルの司会を務めた。

平日はラジオのレポーターなどの仕事を貰いながら週末は披露宴、そんなこんなでようやく司会で食べていけるようになりドナドナからは足を洗った。

なかにはとんでもない修羅場の披露宴もあったりしたがここに書くのは控えておく。
とりあえず花瓶やらビール瓶が割れたことだけお知らせしておきたい。

披露宴の司会というのは本当にプレッシャーのかかる仕事である。

一生に一度の夢の詰まったパーティを司るのですから。
新郎新婦はその1日のために何百万というお金を払っているのですから。

打ち合わせでは新郎新婦の夢を聞いたり時に険悪になるカップルを宥めたり。

余興の人から連絡を受けてサプライズを仕掛ける手助けをしたり。

プロフィールを読み上げる際に噛んだりでもしたら…それが一生その人のVTRに残るのである。

音楽のこの部分で登場してこの音でケーキに入刀したいと言われればそれに合わせて場を繋ぐ。

ダダ滑りの余興に対する締めコメントは?
乾杯の音頭の人を呼び出した時にその人がいなかったら?

音響スタッフや誘導係との連携をとりながら進める緊迫した数時間。

思い出すだけでゲェが出そうである。

急遽お休みなんてできる仕事ではないので祖母が亡くなった日にマイクを持って「おめでとうございます」とか言っているのだ。

沖縄に移住する事になり所属していた事務所を辞め、沖縄でも数回知り合いの披露宴の司会を務めたことはあるが、沖縄の披露宴は独特である。

乾杯の音頭の前に酒を飲む。
余興がプロ並みのクオリティ。
披露宴の時間がおしまくる。
最後は舞台でカチャーシー。
司会の話なんて誰も聞いちゃいない。

ちなみにコチラではラジオパーソナリティなど目立つ人に司会のオファーをする事が多いらしい。

目立つな!と言われていた司会とはまた違う事を求められるのだろう。

その他細かいことが違いすぎて、出産も重なり私のブライダル司会人生は幕を閉じた。

それでもマイクを持つ仕事は好きなので、今は時々知り合いからの依頼でイベントやトークショーの司会をしたり、ボランティアでPodcastをやったりしている。

市議会議員の街頭演説などを見ていると、演説だけでもやらせてくれないかな?
と思うほどにマイクを使って話す事は好きだ。

今は会社員として13年間同じ企業で働いている。
現職ゆえ仕事の詳細は書けないが、管理職という名の何でも屋だ。

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司会者として培ったスキルは社員研修の登壇などで活躍している。

かつて合コンで培ったスキルは面接官として大いに役立っている。


新業務の立ち上げなどでは子供の頃から培った妄想スキルが役立つ事もある。

どんなことも肥やしになるのだ。

ポジションが上がっていくと責任の大きさも変わり、人を育てるという立場となる。

出来れば責任逃れし続けたい人生だったがそうもいかない。

人を褒めることもあれば人生観変わるぐらいの厳しい事を言わないといけないこともある。

人に怒れないのが悩みと思い込んでいたが、いつのまにか歳をとり、口うるさいお局感をだすことぐらいは出来るようになった。

なかなかにハードな日々ではあるが、毎日くだらない事で笑い合える仲間がいるので何とかやっていけている。

様々な職を経てたどり着いたのはごく普通の会社員というポジションだったけれど、今している仕事が案外天職だったのかもしれないな…と思ったりもしている。

もう随分と歳をとりそろそろ落ち着いても良い頃ではあるが、スキアラバ他になにか素敵な仕事があるのではないかとう気持ちは持ち合わせており、薄い薄い生地を麺棒で伸ばすような気持ちで色んな事に手を出し続け、整理収納アドバイザーの資格を取ったり、Podcastをしたり、こんな風に文章を書くのもまだ松尾芭蕉になる夢を諦めていないから。

なんなら5足ぐらいの草鞋を履いて生きていきたいと思っている。

いつか情熱大陸に出る準備も一応している。
まだ、情熱の矛先は定まっていないのだけれど。

長々と書いてきた私のコラム。
職遍歴編はこれでおしまい。

次は何を書こうかしら。

結婚、子育て、そして沖縄移住。

私が私になるまでの物語はもう少し続く。


雨音


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