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飛んでいったもの、流されていったものは取りに行かない、という啓発について

帽子とかサンダルとか、飛んでいったものや流されたものを取りに行きたい、という気持ち、人間の習性としてあると思います。(動物もですね!)

そもそも、備わってるものだと思います。

だから、咄嗟のときに、取りに行くのはいたって自然なこと。

だからこそ、啓発が大事だって思います。

流されたもの、飛んでいったもの、を取りに行かない。

向こう見ずな私は、小1で歩道でボール遊びをしていて、(今はしない、と子ども達から指摘を受けます。昔、よくしてました。)車道にボールが転がっていき、取りに行きました。そして、トラックに衝突。

だから、じゃないですが、取りに行っちゃう気持ちがよくわかります。

いま、大人になって川で遊んでいても、自分の場所よりも上流で遊んでいる方のサンダル、ビーチボール、浮き輪などが流されてきて、お子さんが夢中で追いかけてくる、ということが度々、あります。海でも。

「止まってね、拾うからね。」と声をかけて、拾うけれど、流れによっては、自分も少し追いかける形になることもあります。

だから、目の前にあって、諦めるということが、なかなか難しいということも、すごくわかります。

でも、相手は自然なので、

無理に取りに行かない

また買えばいい

ということを思うようにしています。

命を懸けて取りに行かなくても、物であれば、また買えばいいんだ、その言葉で少し、冷静さを取り戻せるのです。

泳ぎが好きなこともあります。ここは私が、と思ってしまうこともあります。だから泳ぎの得意な息子にも、何度か話しています。
命を懸けて、取りに行かないで。また買えばいい、って唱えて。と。この間も久しぶりに話したら、ハッとした顔をしてました。また買えばいい、そっかー、と。下の子達にも話します。

海や川だけでなく、帽子もボールも。夢中で取りに行くのは本能だと思います。大切だからお気に入りだから、の前に、つい駆け出してしまう。

だから親が怒るから取りに行っちゃったわけではないんじゃないかなと。

怒られるからと、取りに向かったわけではないから、
二重に苦しまないでほしいな、と思います。

取りに行ったことも自然なものであれば、その子のとった行動が親に怒られるから、だけではないと私には思えます。

取りに行くこと自体が自然なもの。だからこそ、啓発が大事だと思うのです。同じ状況になったときに〜物が流されたとき飛んでいったとき転がっていったときに〜頭の片隅に、取りに行かなくていい、という気持ちが出てくるように。

(写真はどちらも都内。秋川です)

水遊びのときに脱げない靴を履いたり脱げにくい飛びにくい帽子を被ったりする、それももちろん大事なことです。

※4月17日追記

#サンダルバイバイ
を合言葉に水辺の事故から子ども達を守る活動をされている団体のtweetです!

https://twitter.com/aqua_project721/status/1379805528755372035?s=19

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