オペラ『遠野物語』を観て

※ちょっとネタバレあり

昨日、オペラシアターこんにゃく座の2月公演を観てきた。演目はオペラ『遠野物語』。柳田國男の有名なやつね。大学3年のころ、寮の後輩の部屋に侵入してパクって読んでみたら、難しくて最後まで読めなかった(笑)文学部なのにね、、、(パクったのはそのあとちゃんと返しました)中身としては、柳田國男著の『遠野物語』をオペラ化したというより、あくまでもそれをもとにして作り上げた全く別の作品といった趣が。

僕と同じ、大学生、もしくは20代の若い層、とくに社会との接し方がまだ定まっていなくて生き方に迷っている人が見ると、何か得られるものがあるんじゃないかと思いました。もちろん、そうでない層でも刺さると思いますけど。僕的にはタイムリーでした。

東北岩手、遠野の郷に伝わる不思議なお話。
緋い顔のおカッパ、富をもたらすというザシキワラシ、
大海嘯(おおつなみ)で死んだはずの妻とのめぐり逢い・・・・・・
それらはすべて、実際にあった出来事だという。(公式サイトより)

オペラでは、作品全体を通して、遠野で言い伝えられている不思議なお話が、主人公で遠野出身の喜善、ときには柳田國男によって語られていく。そのお話を通して、人間の本性というか、人として生きていくことの大変さ、世の中の世知辛さが描かれている。

人はみんな自分のことが一番かわいい。醜くて、汚くて、ずるくて、愚かで、そしてやさしい。そんなことを物語の中で誰かが言っていたような気がするし、全体的にそのような主題がずっと流れていたように思う。

世の中わりと本当にそうだ。

人ってやさしいんだけど、それはうまくいっている時、うまくいっている人に対してだけだ。自分より格下だと思うと足蹴にするしこき使う。成功者には取り入って、失敗すると手のひらを反すように寄ってたかって叩きまくる。

ずるいなあ、、、

作中、喜善は周りの人たちにいいように使われていく。柳田には無償で原稿を提供することになり、村では村長を押し付けられ、借金にまみれる。喜善はやさしいから、あんまり怒らない。いつでも味方でいてくれるのは、育ててくれたおばあちゃんだけ。

けど、その喜善だって、自分のことしか考えてないんだよね。柳田に遠野の話を伝えるのは、自分もいずれは作家になるためだったし、村では農作業を手伝うことをかたくなに拒否していた(病弱だからってもあったと思うけど)。

反対に、柳田も、村の人も、べつに悪い人じゃない。みんな自分のやるべきこと、守るべきもののために動いているだけだし、やさしさがある。

実際の世の中でも、本当にいい人、本当に悪い人というのはいなくて、ひとりの人間に、光の当たる誰に見せても大丈夫な面と、深い闇の面がある。自分自身も、思い当たる節があるなあ。。。

全然お涙ちょうだいな「感動シーン」はないのに、何でか知らないけど泣いてしまった。例えば、柳田といっしょに遠野の喜善の実家にお邪魔した水野先生(この人も作中すごくいい味を出している)が、おばあちゃんの炊いたご飯を一口食べて、(うますぎる)とびっくりしたリアクションを取ったところとか(笑)自分でも変なところで泣くなと思う。けどそれだけ物語に引き込まれたってことだよね。

僕みたいに、20代半ばに差し掛かって、社会のいやな面がちょっと見えてきた、まだギリギリ若者だけどもう若さを武器にはできないかな、という時期にある人たちには、刺さるんじゃないかと思います。

公演はもう少しやるみたいなので、勝手に宣伝というか、リンクを張っておきます。皆さんぜひ観に行ってみてください。

http://konnyakuza.tabigeinin.com/tono/



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