見出し画像

死にたいなら死ねよ、私。

「死にたいなら死ねよ、私」
憂鬱に溺れる夜、言い聞かせている言葉。
その言葉は、時に自分を追い込み、時におまもりになる。



今日も死にたい。
これじゃあ毎日死にたいみたいに聞こえるけどそうでは無い。
でも、ここ1週間は死にたい。
何者にもなれない私。
特別な才能もなく、不登校のくせに勉強もせず起きる→食べる→スマホ→食べる→スマホ→寝るを繰り返すことはや1年。

この1年は心の時が止まっていたと思う。
ぐーたらしてるだけなのに、この瞬間も世界は回っていて、同級生たちは青い春を謳歌し、私はなりたくもない“大人”になってゆく。
その事実だけで死にたい。
それなのに受験、勉強、高校、進路、将来、風呂、掃除、歯磨き、とかの 当たり前の弾丸は私の心を貫く。

心の痛み止めは 歌と作詞と大好きな作家さんの大好きな本だけ。
でも私には唯一無二の歌声も、特別な感性も、美しい文章を理解できる力もなかった。
私が持っているのは、中途半端な辛さに沢山のインターネットの仮面アカウント
それと幸せだった過去たちだった。

ずっと、私は選ばれた女の子だと信じて疑わなかった。
幼稚園の頃は誰よりもかわいくて、誰よりも才能があって、誰よりも幸せだと思ってた。
運命の女神様が、私だけに微笑んでいると感じていた。(今思うと人生初の黒歴史)
でもそれは、親が見せてる幻覚だった。
ファッション誌のオーデイションを受けても、運が良けりゃ第一面接落ち。
スマホを開けば才能がある人たちが星の数ほどいる。
青春は一瞬で真紅に染まりましたよ。



あーあ。なんて息が詰まる世界。


そんなくだらないことしか考えられない夜は、自分にこう言い放つ。
死にたいなら死ねよ、私。
手が震えるなら生きろ。
未練があるなら生きろ。
それは、立派な生きたい証拠だから。

その言葉は、時に自分を追い込み、時におまもりになる魔法の言葉。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?