見出し画像

【 自作小説投稿 】「白い世界」

 雪の降る昼下がり。空は薄曇りで、一面に
白い空間が拡がっていた。ただ、レンガの建
物だけが鈍いこげ茶色の肌をこちらに見せて
いた。子供は少し裏通りに入ったパン屋の前
で、鉄柵を使って遊んでいた。パン屋の中で
は母親が店主のおばさんと立ち話を始めていた。

 子供が鉄棒のように廻って遊んでいる間に、
随分と雪が激しく降るようになってきた。ふと
それに気付いた子供は、白い、湯気のような息
を吐き出しながら、鉄棒遊びを止めた。濡れて
これ以上おなかの所を汚すとあとで着心地が悪
くなってしまうだろうと思ったからだ。決して
母親にしかられないようにと考えた訳ではない。

 もう5~6m先も見えないほど目の前は真っ白
になっていた。そんな真っ白な道の向こうを、
子供はずっと見ていた。母親の立ち話はまだと
ても終わりそうにない。パン屋の窓からは、暖
炉の燃え盛る炎の、クリームのような色が漏れ
ており、外の色と混ざり、優しい香りを送って
きた。子供はその白を見ながらも、その色彩に
飽きてきていた。目の前に拡がるのは、いつも
の街の路地裏なのか、生まれる前に見た、想像
を許されているようでいて何を想像することも
出来ない世界なのか。子供は、自分の心臓の鼓
動を手のひらで確かめながら、風邪と雪の冷た
さを肌で感じていた。

 その時だった。少し横に何かが落ちてきたの
は。ふとその音にとらわれて一瞬、前から眼を
離した。ただへこんだ跡だけが残っていたのが
わかる。再び目の前を見た時、そこには色彩を
なくした世界はなかった。道ばたに転がる濃い
灰色の麻袋のような塊が一つ、まるで新たな時
を告げているかのように見えたのだ。雪は一層
激しく降り積もり、その灰色の塊さえも包み込
もうとしているようだった。

「おじさん‥‥誰?」

 子供は肩の雪をサッとはらい、その塊を
見つめ続けていた。

「‥‥空は、この世界をもう一度消し去るた
 めに、光しかない地層に、私たちをうずめ
 ようとしているんだ。」

 塊は子供の問いかけに答えることもなく、
ただ子供を見据えながら、そう言った。そして、
その塊は薄汚れた服におおわれた手を目の前に
さしのべて、手の甲で雪を受け止めていた。す
ると、その塊の前の雪に、紅い点のようなもの
があらわれた。空から紅い液体が落ちてきてい
たのだ。塊はつぶやく。

「‥‥炎も、生命も、乱れるような紅から生ま
 れてくるんだ。‥‥もし君が望むのなら、
 どんな色でも落とそう。」

 子供は、真上を見上げた。ただ、白い雪
だけが自分に降り続いてきていた。

 その時突然、その子供の上に少し黒ずんだ
紅い液体が一斉に降り注いだのだ。身体じゅう、
そして子供の周りじゅう、一面が黒ずんだ紅に
染まった。その子供は、しばらくじっとしたあ
と、白の中にある塊の方を向き、うつろな眼を
しながら、少し微笑みを浮かべて、こう言った。

「うん‥‥君が望んだんじゃない。僕が望んだ
 んだ。君に会いたいと。」

 安らぎに似た、柔らかな微笑みだった。

 「坊や、お家に帰るわよ。」

 母親が、パン屋の店主との長話しを終え、
店から出てきた。

 「うん。」

 子供はふりかえり、母親のいる方へ走り出した。
そこにはもう、黒ずんだ紅に染まった子供の姿は
なかった。帽子を深くかぶり直し、マフラーを首に
まわした子供の後ろ姿が、降り積もる雪の中、路地
へと消えていった。

「ま、待ってくれ。そういうことじゃないんだ。」

 塊は必死に手をのばす。しかし、あの子供はもう
決して振り向いてはくれなかった。

 雪は激しく降り続いた。灰色の塊は、いつの間
にか雪にうずもれて、ただの白い塊になっていた。


(1999年執筆)
見つけられた誤字脱字のみ訂正。
漢字変換無しなどは当時の自分の
判断を尊重しそのまま残しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?