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何もしてないと涙ばかり出るから

amahare studio オープンの日、弟に担いでもらい車に乗って、道路からスタジオを見にきてくれた父。

昨日から、バタバタと決めることが次から次へと投げかけられてて、何かに集中していると寂しさをふと忘れるのだけど、わずかな時間でも何もすることがないと、父のそばに座って線香を立てながら人目も憚らず涙を流す時間を繰り返しています。

葬儀社さんはやはりその手のプロで、当たり障りなく寂しさを誘い過ぎず、業務的になり過ぎず、淡々となり過ぎずお通夜や葬儀のことが決まってゆきます。

1月4日 13:40 享年73歳
父が永眠いたしました。

お父さんの肌も髪も声も忘れたくなくて、いろんな気持ちを忘れたくなくて、今は何もしてないと涙ばかり出てくるから、ただただnoteに徒然と綴っています。何してていいかわからない。

2023年7月31日、「ちょっと長い旅に出てくるよ。留守を頼むな」といって施設に入所しました。リハビリ頑張って走って帰ってくるから待っててくれよ。といってたんです。

私はこの日、本当にたくさんたくさん頑張って働いてたくさん貯金してどうにかお父さんを家に戻してあげようと心に決めたんです。全然間に合わなかった。ごめんね。

でもその頃からガクンガクンと体力が落ちてゆき、施設から病院に救急搬送されては、なんとか施設に戻れるくらいの復活し、また施設から病院へ。の繰り返し。
でもその度に面会に行くと、そろそろ走って帰れるかも。と笑わせてくれました。

思えば、あの頃から復活具合がどんどん弱っていくので、きっと心のどこかでは、こうなることを想像し、心の準備はしていたはずなのだけど、いざ心臓の止まったドライアイスでカチカチになった父を目の前にしても、なかなか現実的に受け入れられることではないものです。

1月4日の朝に連絡があり、急いで病院に駆けつけると、父が苦しそうに呼吸器に繋がれておりました。
この光景は2023年の12月1日にも見た光景で、その時にも同じことを言われたのです。
「呼吸が浅くなっています。血圧が下がっています。いつ何があってもおかしくありません」

11月29日に胃瘻の手術をしてから容態は一気に悪化して、本来、体力をつけて体調を良くするための手術でしたのに、11月30日に面会に行った時には、意識はうつろで話しかけても「大丈夫」とゆっくり答えるのが精一杯で、あとは私がいても寝てしまう状態。
でもこの年齢で手術をしたことによる疲れだと思って病院を後にしました。
その次の日の朝12月1日、いつ何があってもおかしくないと言われ、親戚一同、病院に集まり、父の容態を見守りました。

意識はなく、体は変色し、呼吸も苦しそうで、ああもうダメなんだと覚悟はしたのですが、そこから約1ヶ月。
意識が回復し、家族なら聞き取れるような声で、私の名前を呼んでくれるほどになりました。誰もが、このまま回復してゆくんだ。と疑わない明るい雰囲気で包まれました。

本当だったら1ヶ月前にサヨナラをしていたかもしれないけれど、お父さんは、クリスマスも大晦日もお正月も、ずっと一人で戦って、生きてくれて、呼吸器で顔が傷だらけ、床ずれだらけ、点滴らだけ、飲まず食わずで1ヶ月、あんな姿になってまで頑張ってくれて、

1ヶ月前に病院に呼ばれた時に、せめて一度でも目を覚まして意識を戻してほしいと大泣きしてベッド際に崩れこむ私に、そのままのサヨナラじゃなくしてくれました。
ちゃんと願いとおり復活してくれて、希望さえ持たせ明るい気持ちで楽しく年末年始を親戚一同で過ごさせてくれて、昨日まで私は何度も何度も病院に通い、面会する時間を与えてくれました。

お父さんの生命力は本当にものすごい。
私だったらきっと一瞬であの痛みや苦しみに負けてしまうだろうと思います。

そして昨日、施設に入所してから、何かと家に帰りたいと呟いていた父が、やっと帰って来れました。

おかえり。本当によく頑張ったね。
ゆっくり休もうね。たくさん頑張ったもんね。


ものすごく寒がりだった父が、今は、ドライアイスに冷やされてお布団の中に寝ています。

1ヶ月前、心臓が動いてくれてるだけでよかった。
3週間前、目線が合うだけでよかった。
2週間前、声が出てくれてもう涙を流して喜んだ。
1週間前、このまま復活していって、またいつか家に帰れるんだと思った。

そして今、心臓が動いてなくても、肉体がそこにあってお布団に横になってるだけでいいと思っている。

明日は納棺の儀。自宅のお布団で眠れるのも今夜が最後。
数日後、家から出て葬儀場に行ってしまう。その次の日は、火葬場に行く日が来てしまう。何もしてないと、そんなんことばかり考えてしまいます。

でも、親戚のグループラインに集められる父の写真たちが、愛に溢れていてね、見てるだけで幸せな気持ちになり、父がどれだけの愛を私たちに残してくれたのだろうかと、感謝の気持ちでまた涙がまた出てきてしまうんです。


笑ってる父がたくさんで。
その横で笑ってる子供や孫もたくさんで。

プロゴルファーを目指していたらしい父は、30歳で大事故をしてからというもの、ずっと、ずっと、ずっと、後遺症との戦いでそれはそれは苦しく悔しい思いでいっぱいだったろうに、私は一度も弱音を聞いたことがなく、唯一聞いた弱音といえば、早く家に帰りたい、の一言です。
私は本当に愛されて大切にされてここまで生きて来られました。いつだって守られてるような気持ちで、好き勝手なことがして来れました。

そんな父がいなくなってしまうなんて、寂しくてたまりません。


そして、本当にたくさんの方が、お通夜や葬儀の日程を聞いていただき、私の父にまで優しい思いをくださり、本当にありがとうございます。皆様からのDMや連絡に本当に救われております。

このご時世ということもあり、またうちは親戚の人数が多いため、家族葬をとり行うことにいたしました。

皆様のお気持ちだけありがたく頂戴いたします。どうぞご理解の程、よろしくお願いいたします。





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