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お久しぶりnote、一瞬で涼しくなった熊谷、好きな子からの切ない報告、特に目まぐるしい日々な訳でもないですが、なんとなく感情が揺さぶられる今日この頃。
これぞ秋。を満喫しております。

先日、江口生花店のちひろちゃんが薔薇の苗をスタジオフェンスに巻き付けてくれました。痛っ痛っ。て言いながらトゲトゲの茎をこれまた素手で。

ゴム手袋を貸してあげるって言っても、大丈夫でーすって言って丁寧に作業するちひろちゃんの指先は、いまどきの女の子の指先ではなくて、私からみたら植物と共に存在している荒れ放題な指先でした。もし私がそんな指になったら気が狂ったように24時間ハンドクリームを塗りたくるだろうな。

と、

初めて出会った日も同じように、薔薇の棘をジャーーーっと素手で取り払っていて結構な衝撃を受けた日のことを思い出しました。

世の中にはこんなふうに何かを犠牲にして(指の保湿)何かに全うする(薔薇の茎をバランスよく巻きつけることに必死になる)人がいて、でもそういう人は誰かから見たら犠牲にしてるように見えるものが、自分では犠牲だなんて思ってなくて、

そんなことよりも、まっしぐらに目的に向かって進むことしか見えてない時間が、巡り巡って誰かを幸せな気持ちにしているのだと思います。

お花屋さんにしても、飲食店にしても、習い事の先生にしても、OLさんにしても、主婦にしても、その人にはその人の大事にしてることがきっとある。

私は、その人のその奥に隠されてるドラマを勝手に想像する癖があり、まあ勝手な想像なのでそれが正解かどうかはわからないけど、
ここに来るまでにどんな道を通ってきたのだろうか。とかそういうドラマを想像させてくれる人に興味が沸き、努力してきた見えない(見せない)部分がその人をとても魅力的にうつしてくれます。


我慢したり、頑張っても報われなかったり、世の中は自分の感情や努力だけではどうにもならないことだらけだけど、どうかそこに全ての感情を注がず、作戦変更しながら乗り越えていけますように。(←私も)

辛い我慢よりも楽しい努力を。

そうすれば夢は形を変えながら叶ってゆくものだと信じております。






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