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苦しさの総量を減らしたい

「伝わらないをなくしたい」に続き、「苦しさの総量を減らしたい」も私の中心にある想いです。

願いと言えるかもしれません。

今日は、私が苦しさの総量を減らしたいと思う理由などを書いていこうと思います。

昨日の記事↓


「苦しさの総量を減らす」とは?

単語ごとに考えていきます。

〈苦しさ〉

ここでは、「なにかが変わることで減らせる苦しみ」を指します。

仏教でいう生老病死や愛別離苦のような「避けては通れない苦しみ」ではなく、環境や仕組み、捉え方で減らせる苦しみもあると私は思っています。

例えば転職は、自分に合った環境に変えることで苦しみを軽減させる行為とも言えるだろうし、リモートワークという仕組みによって、満員電車の苦しみから解放された人もいると思います。

私が適応障害と診断された頃は、あまりの苦しさに「どうしてこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだ」と思っていましたが、今となっては「自分に必要な苦しみだった」と思うので、捉え方で苦しみの中身が変わった、と言えるのではないでしょうか。

〈総量〉

私のイメージは、「Aさんの苦しさが減った分、Bさんの苦しさが増える」というシーソーのようなものではなく、みんなの苦しさを集めた「苦しさバルーン」が存在していて、そのサイズ=総量という感じです。

苦しさバルーンが小さくなるイメージ

〈減らしたい〉

苦しさが全てなくなればいい、とは思っていません。苦しさを経験することでしか気づけないことがあるし、それ自体は生きていくうえで必ずあるものなのだろうと思います。

でも、苦しいことがあまりに多いと、そこから学びを得ることすらままならないようにも思います。苦しさの価値を最大化できるバランスがあるんじゃないかな、と。

だから、「なくしたい」ではなく、「減らしたい」です。


Aさんの苦しさが減ることで、苦しさバルーンがちょっと小さくなり、Bさんの苦しさも減ることで、さらに小さくなる。

私がやりたいのは、苦しさバルーンを小さくすることです。


なぜそうしたい?

苦しさが減れば、本来の優しさを発揮できて、良い循環が生まれると思うからです。

とても印象的だったのが、新卒で就職した会社の配属先にいた、二年目の先輩です。

その方はとても視野が広く、細かいことに気がつく方でした。一年目でわからないことだらけの私が、今なにに困っているのか、手に取るようにわかっていたと思います。

私自身、その先輩が気にかけてくれていることを感じていました。

でも、その先輩も業務量が多く、自分のことでいっぱいいっぱいな状態だったので、私のフォローをしたいけどできない、という感じでした(それでも私がどうしようもないときは、駆けつけてくれました)。

この先輩のことは、今でも忘れられません。感謝と同時に、気づいているのに手を差し伸べられない状況へのやるせなさを感じ、悔しくなります。

助けてもらえたからできたことがあって、それが他にも影響する。フォローし合える環境の方が、格段にやりやすくなると思うんだけどな。

良い影響も悪い影響も連鎖すると私は思っていて、どうせ連鎖するなら良い影響が連鎖した方が、なにかいいことが起こりそうだなって思うんです。

それぞれの得意なことや良いところを存分に発揮できる空間を作りたい。そんなことも、常々思っています。


さらに振り返ると、私は幼少期からずっと、苦しそうな母を見て育ってきました。

母を見ていると私まで苦しいし、そんな母に負担をかけないように手のかからない子でい続けたし、両親は兄のことで手一杯だから、私は家の中で孤立していました。

母があんなに苦しまなければ、私は孤立しなかったのではないか、母の愛情をまっすぐ受け取れたんじゃないか、そんなふうに思っているのかもしれません。


このあたりはいろんな想いがありすぎて、まとまりがなくなってしまいました。「現時点での私の考えはこんな感じ」ということで、これからまとめていきたいと思います。

ご感想や「苦しさ」に関するお悩みなどありましたら、コメントや公式LINEInstagramのDMでご連絡いただけると嬉しいです!

お読みいただき、ありがとうございました!


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