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『猫を棄てる 父親について語るとき』村上 春樹 読書記録(2021.02.01)

 「時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。-中略-歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。」
 ここ書いてある「時が忘れさせるもの」とは、父親との関係のことでは無い。それは、確執が生じたときの生の感情(怒りや悲しみや反抗心などの直接の気持ち)は薄れてきたということだろう。父親に小説家になることを告げてから頑固な二人は交流もなく、できるだけ実家に関わらないように過ごして20年以上経つうちに父は亡くなってしまう。父親のことは、「時が忘れさせる」どころではなく、いつか向かい合いケリを着けなければならないこととしてずっと背中に貼りついたお札のようなものだったであろう。しかし、村上春樹もすでに70歳を超える。いくらフルマラソンを走れるくらい健康とはいえ、残りの時間を数え、ここでやろうと…。多分、つらい時間だったと思う。
 村上春樹が、父親のことに全く触れてこなかったのは、父が日中戦争に従軍し過酷な戦争のなかで、捕虜の処刑の現場にいた、または直接手を下したかもしれない…ということを薄々でも聞いていたからだろう。だからこそ父や実家・親戚とは疎遠にしてきただろうし。エルサレム賞受賞スピーチや戦争被害者に対しての態度に関する発言に影響を感ずる。
 『文藝春秋』掲載にあたっては、覚悟を決めて、実家・親戚・お寺、そして軍歴証明書を取り寄せて入隊から戦線・除隊、その後の教職と細かいところまで調べている。父と自分・家族そして親戚の膨大な歴史だから、もちろん掲載しているのはそのごく一部であろう。その調べて掲載していくということが、自分にたいするバンソーコーになったと思う。
 高 妍のイラストについては、何だろうかと考えてしまった。村上 春樹が自分で選んだ絵だろう。自分で依頼して打ち合わせしたかもしれない。

 これは、謝罪と和解ではないか

 表題の『猫を棄てる』というのは、父と二人で砂浜に猫をすてて、家に帰ったら猫は先に戻っていた、という優しい思い出だから

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