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『玉電松原物語』坪内 祐三 読書記録(2021.06.18)

 まだ坪内祐三を読んでいる。亡くなって一年半ちかくも経つが、もう書いてはいないということが実感できない。
 昨年暮れに図書館に予約した『玉電松原物語』がやっと届いた。人気があったのだろう。坪内 祐三の遺作となった。

 自分の育った街(世田谷の赤堤・松原)の宇宙の推移の全てを描こうとした物語だ。昭和33年生まれで、赤堤の西福寺の隣に引っ越してきた36年から小学校時代を、その驚異的な記憶力で丁寧に思い起こして楽しそうに書いている。

 四谷軒牧場の牛の脱走、スーパー「オオゼキ」の盛衰、洋食屋・中華屋・寿司屋・菓子屋・書店・米屋とプラッシー・酒屋の掛取り・電気屋とレコード、映画館・そして何より大らかな赤堤小学校等々。これらが昭和39年の東京オリンピックをはさんで激変していく。なにより玉電自体が東急世田谷線と変わっている。
 街の変遷は、人々の変遷である。それぞれに物語を残したり、残さなかったりして、変わってゆく。時代の流行もまた移りゆく。野球・相撲・プロレス・映画・テレビ・音楽・マンガ。

 この自分の宇宙の推移の全てを描きつくそうとしているようだ。当時の商店街の地図を見、閉店や移転を調べ、現在の松原地域を歩き、知っている人から話を聞く。それを、驚異の記憶力で行きつ戻りつ、小説のようなエッセイのような坪内祐三の文章にしていく。そして、その眼差しは優しく楽しそうだ。太っていた坪内少年が、街を縦横に走り回る。その幸福感が伝わってくる。良かったと思う。
 本人は何時までをかくつもりだったのだろう。…1972年までと、何となく思う。

 未完、第10章のラスト2行
「その寺である時私は玉虫を見つけた。
 死んでいたけれど、とても美しかった。玉虫って本当に美しいなと思った。」


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