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【もう迷わない】のぶ代ドラえもん最高映画ランキング【全25作】

※本noteはアニメのスクリーンショットが大量に掲載されています
※全ての作品のネタバレを含みます
※チェックはしていますが間違った情報が掲載されている可能性があります

のぶ代のドラ映画を全て見ました。この世の全てののぶ代ドラ映画Tier表が気に入らなかったので俺が書く。


25位 アニマル惑星

とにかくやかましい映画。うるさすぎる。

シナリオやキャラクター以前に痛烈な環境破壊批判がめちゃくちゃにうるさい。人間は愚か系をこれでもかと見せつけてくるのでただただ純粋なウザさだけが残る。一から十まで教師や親に説教され続ける感覚。

人間は愚かをやりたいがあまりキャラクターが崩壊している。

まず映画冒頭でのびママが「裏山の緑を守る運動」と称してゴルフ場建設のために裏山の森林を切り拓く計画に反対し、町内会の人員を集めて抗議運動を扇動していく。

抗議運動を扇動するのびママ

もういきなりキャラ崩壊の兆しを見せているが、50分後、のび太ドラえもんに対して化石燃料の使用によって「森林が切り拓かれ砂漠化が進み飢餓状態に苦しむ子供が増えている」「空気中の炭酸ガスが増加し、「天気がおかしくなる」、と説教をし出すシーンがある。

のび太に説教するのびママ

これだけならまだ母親のロールプレイングをやりたいだけのやつで納得できるが、議論はさらにヒートアップしていき、人間が森や水を侵すことで動物たちが死に絶えているという現状をのび太に突きつけ、対するのび太は「知らなかった。人間がそんなに迷惑かけていたなんて」と返す。明確に言わされている。

人類のせいで死に絶えた動物たち

そしてついにのびママは「地球を守るためです」とのび太の部屋ののび太の勉強机をのっとり、「お勉強」を始める

人類に未来はあるか・・・

普通に居間で勉強しろでしかないし、わざわざ息子の部屋の勉強机を占領し、「勉強」と称して実際のところただの読書をやってみせる様ははなはだ滑稽で自然派ママへの大いなる一歩を踏み出している。

のびママからしてこんななので当然メインシナリオもやかましい。

『アニマル惑星』では自然豊かな惑星「アニマル星」で暮らす住人を侵略しにきた宇宙人「ニムゲ」との戦いが描かれる。

「アニマル星」はエコロジーと科学技術がお互いを侵すことなく共存できている理想郷として提示されている。対するニムゲたちが暮らす星は環境汚染が進み、防護服のような姿に身を包まなければまともに生活できない。

アニマル星
ニムゲ

当然、「アニマル星」は地球における豊かで守られるべき自然の象徴であり、ニムゲはそれを破壊しようとする愚かな人間のメタファーである。つまるところ、アニマルたちは自然的で、素朴で、純真で、貴い、善意の塊であり、対するニムゲは人工的で、粗暴で、野蛮で、下賤な悪意の塊として写像されている。

ニムゲの中の人

アニマル・ニムゲ間の戦いはそのまま地球における自然物と人間との諍いであり、最終的にアニマルとドラえもんたちによって下されるニムゲの構図はそのまま環境破壊批判からの人間批判に収束する。

ドラ映画では環境を扱うシチュエーションが多く、暗に環境破壊批判を行っていることもままあるが、環境破壊批判がそのまま人間批判に結びつき、100分間の間説教を喰らい続ける映画が面白いはずがない。ほんまにやかましい。

環境破壊を除いたストーリーについてもたいしたことはない。

ドラ映画といえば現代日本ではないどこか異質な世界との出会いであり、映画の序盤の多くは異世界の紹介に費やされる。舞台に相当する異世界とは、ある時は恐竜の闊歩するはるか過去であり、ある時はロボットにより統治された国家、ある時は宇宙空間などその時々によってまちまちであるが、今作の舞台である「アニマル星」のメルヘンな空気感はただでさえ退屈なドラ映画における異世界の紹介の中でもとりわけ面白くないし興味を抱けない。自然と共生する素朴な動物さんたちが不自由なく幸せそうに暮らしている映像を数十分にわたり観させられて何が面白いのだろう。当然、衣を剝がしてしまえば実質的に地球人でしかないニムゲ達の蛮行についてもやかましいだけでなにも面白くない。

しかし、ただ一点だけ、この映画には他の全ての退屈な要素で差し引いたとしてもあまり余るほど輝いている魅力がある

それは、ニムゲ達の同盟である「ニムゲ同盟」の長、「ニムゲ総長」だ。

ニムゲ総長は物語終盤にアニマル星を侵略するニムゲたちを率いるリーダーとして登場する。やや格式高い衣装に身を包んだニムゲ総長は先祖たちが自然を破壊し、核戦争で人類を危機に追いやった事実を再確認するも、悪の親玉らしく「手を伸ばせばすぐ届くところに宝の星があったのだ」とニムゲたちを鼓舞し、「行こう!占領しよう!」「1000年前の豊かな暮らしを我々で取り戻そう!」とけしかける。

ニムゲ総長

まさに悪逆非道。戸惑うことなく「森を焼き尽くせ!」と部下に指示し、将来的に手に入る大いなる恵みのためなら一時の自然破壊も厭わない。

ニムゲによって焼き尽くされる森

しかし物語はあっけなく幕切れとなる。

ニムゲ同盟にスパイとして潜り込んでいた連保警察によってニムゲは一網打尽となる。あまりにもあっけない幕引きに度重なる環境破壊批判による疲弊も相まってこの時点では心底落胆したが、

タイムパトロールによって連行されるニムゲたち

次の瞬間、ニムゲ総長が連邦警察に対して「すまん、マスクを取ってくれ」と依頼する

マスクを取るように頼むニムゲ総長

これまで徹底的に野蛮な人類の代表として描かれてきたニムゲの親玉がはじめて素顔を曝す。誰もが愚かな人類の醜悪な顔面を予想したのだが、そこに現れたのは…



イケメン


絶世のイケメン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


え?ちょっと、え?????????ほんまになに?????????????????????



マジでイケメン

「素晴らしい空気だ…」


これをもってニムゲ総長の登場シーンは終了する。

もうほんまに意味不明でこれまで観てきたどんな「衝撃的なクライマックス」よりも衝撃を受けた

ニムゲ総長がイケメンだったことに衝撃を受けたのはわたしだけではなく、ドラ映画の大きな謎として現代まで語り継がれており、今でも考察がなされている。

みんな同じこと考えている

わたしを含め、当然ながらニムゲ総長はあらゆる夢女子を生み出し、「ニムゲの総長同盟」というガチで謎過ぎる個人サイトまで存在する


良いバナー

このバナーがもうガチでほんまに好きすぎる。深刻な素材不足すぎて。ここにしか供給がなさすぎて。

ここは「劇場版ドラえもん~のび太のアニマル惑星(プラネット)~」に出てきた悪役、
月の悪魔ニムゲ(秘密結社コクローチ団)、その総長(金モヒの人)の素顔にチョモエな人の集まりです。

・ニムゲの総長が好き
・総長のマスクとった連邦警察官が羨ましい
・モヒカンマスクと中身のギャップが最高だ
・最後の一言に壮大なスペクタクルを妄想した
・むしろ終わりではなくそこが始まりだった

というような方は奮ってご参加下さい

ニムゲの総長同盟

「チョモエ」て


たったワンシーンでこれほどまでに人を狂わすニムゲ総長の美しさはのぶ代ドラ映画の全てと比較しても潰えることのないオンリーワンの輝き。ニムゲ総長がイケメンでなかったらほんまに終わっていたが、ニムゲ総長がイケメンだったことで一命をとりとめた。なんならニムゲ総長加点をしてよいのであれば全然のぶ代ドラ映画全部の中で3番目くらいに好き。ニムゲ総長イケメンシーンまでの94分間は本当に辛く正直一聴の価値もないが、最後に訪れるニムゲ総長の出会いとそこから始まるラブストーリーのために絶対に観てほしい一作。君もニムゲ総長に萌えて、ニムゲ同盟に入り、動植物を焼き殺そう。



24位 ブリキの迷宮

もう全然面白くない。

先の『アニマル惑星』はニムゲ総長の圧倒的イケメン力によって人に勧められるだけの映画であったが『ブリキの迷宮』はとてもではないがそのような代物でない。

「ドラ映画見たいんだけどどれから見るべき?」と訊いて『ブリキの迷宮』が返ってきたらドラ映画全ての可能性に失望し二度とAmazon Prime Videoで「ドラえもん」と検索しようとは思わないかもしれない。

どうしてもリゾート地で旅行がしたいのび太。ある日、玄関に見知らぬトランクが置かれていることに気づき、ドラえもんの出したひみつ道具だと早合点したのび太はトランクから出現した門をくぐる。その先はブリキのおもちゃ達が暮らすおもちゃの島、「ブリキン島」につながっていた。

ブリキン島

ブリキン島のサビれてどこか無機質な世界観は不気味で、シリアスな空気をうまく作り出していた。しかしメインシナリオはつまらない。

テーマは「道具に頼るな」。ゲストキャラクターの「サピオ」は若くして一人では歩けないほど身体がひ弱であり、移動用のカプセルを使った生活を余儀なくされている。

移動用のカプセルの中で生活するサピオ

というのも、サピオが生まれた星「チャモチャ星」では「人間が楽をするために」ロボット工学が発達するも、遂に「発明するのも面倒になり」、発明家ロボット「ナポギストラー博士」が開発される。

ナポギストラー博士

ナポギストラー博士は「イメコン」と呼ばれる小さなコンピューターを発明し、人間は「心で想うだけで」ロボットになんでも命令ができるようになる。これにより人間は極端に身体を動かさなくなり、身体機能が急激に低下する。

これに危機感を抱いたサピオの父はサピオとともに別荘であるブリキン島へ移住する。サピオの父は全長184kmあるブリキン島の地下迷宮、「ラビリンス」に研究室を設け、妥当ナポギストラー博士に向けた研究を行う。しかし、その後サピオの両親は消息不明となり、対するナポギストラーはチャモチャ星皇帝となってロボットによる人類の支配を目論む。

ラビリンス

のび太たちはサピオの父の研究成果の奪取を目的にラビリンス攻略を目指す。

ドラえもんと極めて良好な関係を築くことができたのび太に対して、科学技術の発展がロボットに支配される構造を生み出したチャモチャ星との対比は痛烈で『アニマル惑星』とは違って暗にメッセージを含ませることに成功している。

また、ドラえもんが敵によって過去最悪といえるほどの危機的な状況に立たされ、ひみつ道具が一切使えない状態で進行する戦いは新鮮だった。

しかしそれが面白いかと問われると回答に窮してしまう。

シナリオには特段これといった盛り上がりはなく、他の映画で見られるメインキャラクターの決死の覚悟や圧倒的な作画力による見せ場は含まれていない。強いて言えば何度も電撃を浴びせられ最後にはゴミとして海に捨てられるドラえもんが「のび太君、せめてもう一目会ってからボク、壊れたかったよ」と独白するシーンは悲哀に満ち溢れていて心が締め付けられる

満身創痍なドラえもん

逆転劇についても「ひみつ道具が使用できない状況」が新鮮であったにもかかわらず結局スペアポケットから道具を取り出し、ドラえもんを奪還することで戦況を打開する。道具使うんかいすぎる。

スペアポケット使うんかい

ゲストキャラクターのサピオは序盤から中盤にかけて魅力的でcv皆口裕子の声は可愛らしいが、ナポギストラー皇帝の軍事力の強大さを知っておきながらブリキン島の防衛が手薄な状態で開戦してしまい、結果的に危機的状況に陥ったのび太たちを地球に返すなど行動が考え無しすぎる。もうちょい考えて戦えよ。

ラビリンスで手にしたナボキストラー皇帝を倒すためのウィルスが入ったCDをナボキストラーの口めがけてパチンコで射出するなどドラの戦い方も強引。全部結果的にうまくいっているから良いものの戦闘にタクティクスが全く感じられない。

フロッピーて

ウィルスに感染したナボキストラーたちが正常な思考ができなくなり「いとまきまき」を大合唱するシーンもそういうのやりたいだけで大いに滑っている。本当に不快。

いとまきまきを合唱する不快なシーン

しかしもう、そんなこと全然どうでもいいほど今作には最悪すぎる展開が存在する。

なんと本作、なんの脈絡もなく本当に唐突に終盤、サンタクロースが登場する

唐突に現れたサンタクロース

そしてクリスマスでもなんでもないのに戦争の最中におもちゃを置いて去っていく。

おもちゃで戦争は止められない

あの、マジでなんなんですか?

こっちはね、遊びで戦っているわけじゃないんですよ。それがあのほんとうに、、、なんなの?

あまりの脈絡のなさと圧倒的な不可解に出会うとこんな反応しかできなくなるんだな。

サンタクロースのシーンがほんまに意味不明すぎるので意味不明さを共有するためだけに観てほしさはあるけど他に得られるものはなにもないので人に勧めることはどうしてもできない映画。観なくていいし、今読んだ文章も全部忘れていい。キミの人生に全く必要がない知識だから。



23位 恐竜

記念すべきドラ映画の第一作目だが残念ながらそれほど面白くはない。

今更ドラゴンクエストの初代をプレイしたところで現行のゲームの面白さには敵わないように、当然のことながら作画レベルや音楽で他ドラ映画に劣る。
それに加えてシナリオもアラが目立つ。

ティラノサウルスの身体の一部の化石を自慢するスネ夫に対抗して恐竜の身体まるごと化石を見せてみせると豪語してしまったのび太は近くの断層から見様見真似で発掘しようと試みる。

なにげに異次元の身体能力を見せるのび太

偶然にも恐竜の卵の発掘に成功したのび太はこれを孵化させ、生まれた恐竜の赤ちゃんにピー助と名付ける。

ピー助

ここまでは良いが恐竜ハンターが現れてから事態は一変する。

ピー助の最適な生息環境を求め白亜紀にタイムスリップしてきたのび太一行だったが、同じく未来からタイムスリップしてきた恐竜ハンターに狙われることになる。

恐竜ハンター

恐竜ハンターはこれまでたくさんの恐竜を殺したり捕まえてきたと言っているが、わざわざのび太の孵したピー助を狙う理由が「こんなに人間に懐いた恐竜を見たことがない」と説明する。現代人ならいざ知らず、未来人なのだからペットの懐かせようなどいくらでも手段がありそうなものだが、特に言い訳はない。わざわざのび太のピー助を狙って執拗に追い回すには説得力が欠けている

物語終盤、恐竜ハンターは邪魔なドラえもんたちを始末するために、ティラノサウルスと戦わせる。

いや、ドラ倒すために用意したのがティラノサウルスて

明らか力不足なティラノサウルスさん

あまりにも舐めプすぎる。なんで未来から来ておいてドラのポテンシャルに気づけないんだよ。
当たり前のように「桃太郎印のきびだんご」を使ってティラノサウルスを手なずけたドラえもんたちによって成敗される。ザコ。

感動シーンとしてのび太とピー助との別れが用意されているが、別れに至るまでの困難が全く困難として機能していないので感動に繋がらない

感動の別れ

緩急はあるが見せ場に至るまでの説得力が欠けているのであまり面白くはない映画。わざわざ観る必要があるかというと、無い。



22位 大魔境

「映画版ジャイアン」の原点的映画であり、物語終盤まで一定の面白さを誇るが、最悪な展開によって転がり落ちるように面白くなくなる映画。

のび太たちは偶然拾った野良犬のペコを引き連れ、大冒険を求めて謎の巨神像がそびえたつジャングルの秘境へと旅立つ。たどり着いた犬の王国「バウワンコ王国」の王子であることを明かすペコ、バウワンコ王国はタブランダ―大臣によって支配され、外界の侵略を企ていた。ドラえもん一行はバウワンコ王国奪還のためにペコとともに戦う。

バウワンコ王国

舞台を現在のアフリカに移し、冒険の描写を実際にジャングルに生息する生物を用いることで行っているという点で新しい試みがなされている。大魔境全体を練り歩く描写に関しても後の『海底鬼岩城』に通じる果てのない世界を探検する好奇心と不安が入り混じったものになっておりわくわく感が演出されている。

オカピ

『ブリキの迷宮』そして『恐竜』を見ただけでもわかるように、ドラ映画は圧倒的な力をもつドラえもんをどうやってナーフするかという根本問題を抱えている
本作は「冒険のムードを大切にする」ために、ジャイアン発案のもと、主要なひみつ道具を空地に置いていくことで自然な流れでドラえもんを弱体化させている。

自然な流れでドラえもんを弱体化するジャイアン

しかし、それ故にドラえもん一行は窮地に立たされる。敵に囲まれ、なんとか木の空洞に逃げ込むが、このままでは見つかるのは時間の問題。ペコは王子としての責務を果たすために単身、敵の元に向かうが、発案者のジャイアンは責任を感じ、ドラえもんに「死にに行くようなもんだぞ!」と呼び止められるも、制止を振り切ってペコの後を追う。

戦地に向かうジャイアンが背中で語る、漢気の溢れたシーンで、映画版ジャイアン誕生の瞬間である。

映画版ジャイアン

だからこそな、本当に許せない。

未来からひみつ道具引っ提げてやってきたドラえもんたちが無双することでピンチを切り抜ける展開は。

なんかおもろい画

もうこれが許されるなら全部これでいいじゃん。毎回「先取り約束機」使って予防線張った状態で戦地行けばええやん。道具を制限することで面白くなった冒険、道具を制限することで生まれたジャイアンの漢気、それらが未来からやってきたドラえもんたちの手によって台無しにされる

ほんまにしょうもないクライマックスによって全部どうでもよくなる映画。ジャイアン漢気シーンばかりがテレビやTwitterで取り上げられて神作みたいに扱われているが終盤のつまらなさも認識してほしい。

一個だけ大好きなシーンがある。ずっとただの犬だと思われていたペコが実は二足歩行して人語を喋ることができると判明するシーンなのだがそこがヤバすぎる。

聞き覚えの無い声がした方向に振り返るドラえもんたち、そこには

悪役?

両足を組んで光の失せた瞳で拍手を贈るペコの姿があった!

悪役すぎるだろ。どっからどうみても黒幕登場のシーンじゃん。なんで瞳に光がないんだよ。なんで余裕の表情で足を組んでいるんだよ。あまりにもこのシーンが衝撃的すぎて普通に観ている最中に「えっ!?」って言ってしまった。

「脅かすつもりはなかったのです」じゃねーよ。こんなん慄くわ。52分あたりにあるシーンなのでここまででいいから観てほしい。



21位 ロボット王国

幼い頃に繰り返しVHSで観ていたのでめちゃくちゃ面白い気がしていたが久々に見返すとこの順位。完全に思い出補正だった。

25作中の23作目とかなり新しいのでOP映像を見ればわかるが作画や演出のクオリティはかなり高い。キャラクター、特にヴィランに相当するジャンヌには若い女性が起用され、外見のかわいらしさと憎しみに燃え上がる心情とのギャップが嬉しい。

でもお前は21位です。

ジャンヌ(かわいい)

時空の乱れにより現代日本に送られてきたロボットの少年「ポコ」の国ではロボットと人間が長く共生して来たが、時の女王「ジャンヌ」によって人間に仕えるようにロボットが改造されていく。ドラえもんたちは捕らえられたポコの母親をはじめとしたロボットたちを救う為に立ち上がる。

ポコ

これまでロボットといえば人間と敵対する悪の存在として描かれることが多かったが、彼らが弱者の側に立たされ、人間との共生を図るという点で新しいシナリオが試されている。不幸な出来事からロボットを憎むジャンヌと、極めて人間と良好な関係を結ぶことができたドラえもんが衝突する展開は『ブリキの迷宮』で見られたが、確かなアツさがある。

ロボット間の奴隷関係

90年代からのドラ映画を冒頭の不穏演出抜きに語ることはできない
これから訪れる巨悪を冒頭から提示しておくことでドラえもんたちの困難を予感させる手法は90~00年代のドラ映画で度々用いられてきた

『ロボット王国』のそれは一級。冒頭、まだジャンヌの手の及んでいないロボット王国のエリアで少女とロボットのロビーが仲睦まじく遊んでいる光景が描かれる。
しかしジャンヌの手下たちが現れ、ロビーと少女は離れ離れにされてしまう。

連行されるロビー

(映画の)30分後、ロビーは変わり果てた姿で帰ってくる。いつも通り、友達と遊ぼうとロビーにボールを投げかけるも、キャッチして投げ返してくれていたはずの彼から反応がない。

「私は作業用ロボットX-01型。何なりとお申し付けください。」
同じセリフを繰り返し発するロボットを目の前にして、少女は泣きながら家へと帰っていく。

意志をなくしたロビー

平穏な日常が一転、人間とロボットを繋ぐ友情が破壊される取り返しのつかなさは、ドラえもんにおける非道の描写として抜群のクオリティを誇る。

しかしながら、全体に不要なギャグが散りばめられており、シリアスの空気は一瞬にして雲散する

たとえばドラえもんがコロシアムで戦うことになったシーンでは、ドラえもんが機転を利かして道具で戦うのではなく、たまたま道具がうまく通用して勝ってしまうコロコロのような試合運びを見せる。

増殖したドラえもん

終盤の、巨大なロボットとロボットの決戦のシーンでは、のび太がロボットを操縦した為、意図せずにバレリーナのような動きをしてしまうが、たまたまそれで勝ててしまう。

不快

ラスボスとの戦いはほとんど描かれることなく、ギャグ的にドラえもんが勝利する。

ラスボスとの戦闘が頭突きで終了て

冒頭からしっかりとシリアスな空気を作り上げているにも関わらず、見せ場をことごとくギャグで消費していくため、劇場版特有のアツさをなにも感じない。

ラストはとってつけたようなドラえもんとの別れが描かれ、しかも意味のわからない理由によって助かるため不快。

無機質なキャラクターデザインに、ゲストキャラの悲しい過去、意志の改造と、シリアスを突き詰めれば間違いなく面白くなっていたにも関わらず、コロコロ的なギャグで自らそれらを破壊するなんとももったいない映画。完全に日和ってる。清渓川に沈め。



20位 ドラビアンナイト

なんかもう設定ぐっちゃぐっちゃなドラ映画。

「クジラックス先生の漫画に使いたいひみつ道具ナンバーワン」であるところの「絵本入りこみぐつ」で絵本の世界に入り冒険を繰り広げるドラえもん一行。しかし「シンドバッドの冒険」の世界に入ったしずかが帰ってきていないことが発覚する。ドラえもんたちはしずか奪還のために奮闘する。

絵本入りこみぐつ

といった内容だがここに深刻な問題が含まれている。

部屋が散らかっていることに怒ったのびママはしずかが入ったままの絵本を含めて全ての絵本を焼却してしまう(カス)。

こういうことする親マジで嫌い

当然、絵本の世界とは架空の世界であり、「絵本入りこみぐつ」を使わないと絵本の世界に行けない以上、しずかのいる世界に辿り着く手段はないはずである。にも関わらずドラえもんは

「アラビアンナイト」が実在の人物をモチーフにしているからという理由で、過去のアラビアに行けばしずかのいる世界と繋がっていると結論付ける

意味不明な論拠で時間遡行してしまうドラさん

マジで意味不明でなにがなんだかわからないしこの謎は映画本編では解き明かされない。なんなんだいったい。

ていうかたとえ絵本の世界と現実世界が全く意味不明に繋がっていたとしても、普通にのびママが本を焼く前にもどって「絵本入りこみぐつ」でしずかを救えば済む話なのにわざわざはるか昔のアラビアに行こうとするドラの判断は理解できない。

その他、映画本編中も「なんでこのひみつ道具使わんねん」のいつものツッコミが入る機会が多く、話に集中できない。

しかし実際のところメインシナリオはそれなりに面白い。本作の主人公はなんといってもシンドバッドだろう。かつては世界を股にかけ、果敢に冒険していたシンドバッドは、その過程で手に入れた不思議な道具のコレクションで満たされた宮殿で何不自由ない生活を送っていたが、そのせいで道具がなければなにもできない軟派者に落ちぶれていた。ドラえもんたちを助けるために道具ではなく、再び剣を取り、宮殿を乗っ取ろうと企むアブジルと一騎討ちに挑むシンドバッドの成長はアツかった

かっこいいシンドバッド

ドラ映画の設定はぐっちゃぐちゃだがシンドバッドがアツい映画。でもさすがにこのレベルで設定崩壊しているのはマジでよくないと思う。



19位 銀河超特急

Twitterで飽きるほどみたのび太の射撃能力の高さが遺憾なく発揮される映画。

スネ夫のミステリー列車の乗車券を手に入れた自慢に対抗してのび太は銀河ミステリー列車の乗車券をドラえもん経由で手にし、宇宙の列車旅へ一行を誘う。ミステリー列車が到着したのは巨大遊園地「ドリーマーズランド」。ドラえもんたちはそれぞれ遊園地を思い思いに楽しむが、一方で寄生型の生命体「ヤドリ」が人間支配を企んでいた。

それなりにクオリティの高い3Dグラフィックで作られたドリーマーズランドの入り口

宇宙空間を旅するということで宇宙の浪漫が荘厳なオーケストラ調の楽曲によって装飾されていて迫力がある。全体を通して楽曲のクオリティが高く、ドラ映画は何度も宇宙を舞台にしているが、真っ暗で無機質な背景を曲の力で魅力的な空間に演出している。

宇宙空間

しかし、ドラえもん一行がそれぞれ思い思いの星でアトラクションを楽しむシーンはそれほど面白くなく、長い。ドラ映画における舞台の紹介パートは概してつまらないものになりがちで、宇宙空間という壮大な未知の描写は美しかったが、人間の所作や街を構成する機械の一つ一つのように、ミクロな説明になった途端につまらなくなる。

忍者がテーマの星

Twitterで2億回見たのび太の射撃シーンに代表されるようにしっかりと説明の中にも見せ場が用意されている点は工夫されている。

2億回見たやつ

敵との戦いもあまり面白くはない。任意の生物に寄生し意のままに操る力をもった「ヤドリ」はスネ夫やテーマパークの管理者をのっとり、ドラえもんの四次元ポケットまで封じてみせる。もうどうあがいても勝ち確で負け筋がないのだが杜撰な計画とのび太に対する舐めプによってなんかしらんが負けてしまう

クソみたいな舐めプで敗北するヤドリさん

テーマパークで得たジャイアンやしずかの経験がまわりまわってヤドリを倒すことに繋がった偶然のアツさを演出したい意図は感じるが、当のヤドリの舐めプが過ぎるので盛り上がることができない。

宇宙空間の冒険が壮大な音楽によってうまく演出されているが退屈な舞台の説明や敵の舐めプが原因でイマイチ盛り上がりに欠ける映画。藤田和日郎が描いたみたいな乳首のしずかちゃんが登場するのでちょっと面白い。

藤田和日郎が描いたみたいな乳首のしずかちゃん

スネ夫が謎に「のび太って映画んなると急にカッコいいこと言うんだからぁ〜」とガチのメタ発言をする。急にどうした。



18位 日本誕生

面白くも面白くなくもなく、特別の感情をなにも抱かない映画。

各々の理由で家出を決行することにしたドラえもん一行。向かったのは太古の日本。そこでヒカリ族の住人たちが呪術師「ギガゾンビ」率いるクラヤミ族による侵略を受けていることをヒカリ族の少年「ククル」から知らされる。ドラえもんたちはククルたちヒカリ族を守るためギガゾンビと戦うことになる。

太古の日本

『日本誕生』はドラ映画10作目だが、「太古の地球が舞台」、「わかりやすい正義と悪の二項対立」、「ゲストキャラクターの奪還に出会いと別れ」と世界設定や展開がこれまで何度も繰り返されてきたものの流用でイマイチ新鮮味に欠ける

これまでのドラ映画とは違った、『日本誕生』ならではの良さが見えてこなかった

何回も見た出会いと別れ

ギガゾンビの正体も実は未来人で過去の時代から征服を企むまどろっこしいやつで、まどろっこしい上にこのスキームは他のドラ映画でも踏襲されるため見飽きるし不完全燃焼。『ふしぎ風使い』などでも思ったが、圧倒的な科学力を引っ提げて過去にきた割には征服手段に原始的手法を採用するのはいったいなんの縛りプレイなんだ。

ギガゾンビ

ドラえもんが自分のことを「ドラゾンビ」と称して戦うのが意味不明で面白い。なんでギガゾンビリスペクトなんだよ。

ドラゾンビ

あとのび太の見た幻覚でドラえもんから「死刑」と連呼されるシーンが面白い。無慈悲。

ドラえもん裁判長とドラえもん陪審員



17位 魔界大冒険

『新・魔界大冒険』のほうは結構おもしろかったが今作は…

「もしもボックス」で魔法が使える世界に移行したのび太とドラえもん。魔法世界には魔界が存在しており、魔界が地球に接近しているという。大魔王・デマオン率いる魔界の軍勢を退け、平和を取り戻すためにドラえもん一行は魔界へ進軍する。

魔界で戦うドラたち

現実生活がうまくいかないので魔法世界に希望を見出したにも関わらず、結局、勉強し、経験を積まなければ魔法がつかえないことに落胆するのび太といった因果応報が序盤に提示されている点が面白い。魔法の基本である物体浮遊術を使えるようになろうと努力し、映画の最後に現実世界に戻ったあとで呪文の「ちんからほい」を唱えることでしずかのスカートが浮き上がる展開はしっかりとのび太の冒険が報われる形になっており嬉しい。

のび太よってパンティーが露になるしずかちゃん

しかし、肝心の魔法描写はまぁまぁしょうもない。例えば「火を出す」魔法を例にあげると、火を出すという行為にドラえもんのひみつ道具、つまり科学を使ったのか、はたまた魔法を使ったのか、原因と結果の原因が違うだけで、映画として描写される結果はこれまでのドラえもんとなにも変わらないので、特別感がない。

魔法

一方、シナリオには意欲的な挑戦が見られる。

物語序盤、のび太たちの元にドラえもんとのび太の姿を模した石造が出現する。

こんな石造が急に現れたら怖すぎる

この時は質の悪い悪戯だと片づけたドラえもんだが、物語終盤で石造の正体が過去にタイムスリップしたドラえもんとのび太本人であったことが判明する。

石造にされるドラたち

未来における行動の結果が冒頭で示される構成は新しい。加えて本作はドラミさん(俺はドラミさんのことを本気リスペクトしているのでドラミ「さん」と呼ぶ)初登場映画であり、石化したドラえもんたちのこともドラミさんが救ってくれる。

ドラミさんの登場によって問題が解決し、映画は終わりを迎える。

…かと思いきや「このままじゃ終われないよ」とのび太がエンドカードを引き戻してクライマックスへと突入する。まさかの終わる終わる詐欺

というような感じで他のドラ映画には見られない特徴が面白い今作だが、『ドラビアンナイト』ほどではないにしろ設定がめちゃくちゃになっている。

例によって「もしもボックス」をのびママに捨てられ、元の世界に帰れなくなったのび太たち。しかし、のび太たちは魔法世界から過去に戻り、元の世界で石化しているので、なぜかタイムトンネルを通して並行世界が繋がっている。このことに関しては全く説明がない。

なぜかタイムトンネルで並行世界を行き来するドラ

その他、四次元ポケットを封じられていないにもかかわらず肝心な場面で道具を使わないなどドラえもんが特にぬけている。あらすじだけ追ってみれば面白く感じるが、実際じっくり見ていると細部に矛盾や違和感を多く感じる。

ゲストキャラクターの美夜子さんはめちゃくちゃ可愛いし気高い。神。

美夜子さん(ネコの姿(クソ可愛い))



16位 宇宙開拓史

ドラ映画2作目であり、まだアニメ映画として甘さは残るが、ヴィランのキャラクターデザインが素晴らしく、アツい。

偶然の事故によって野比家とゲストキャラクターであり敵の艦隊から逃げいていたロップルの宇宙船が超空間で繋がるところから映画は始まる。ロップルはコーヤコーヤ星の開拓民であり、コーヤコーヤ星はトカイトカイ星の移住先だ。厳しい環境に晒されているコーヤコーヤ星とは違い、トカイトカイ星では産業が発達しており、大企業「ガルタイト鉱業」の本社ビルも置かれていた。ガルタイト鉱業は開拓民が移住しているにもかかわらず、コーヤコーヤ星を爆破し、鉱石ガルタイトを採掘する計画を企てていた。のび太たちはガルタイト鉱業からコーヤコーヤ星を守るために立ち上がる。

コーヤコーヤ星でのひと時

コーヤコーヤ星およびトカイトカイ星は地球に比べて重力が各段に小さいため、のび太たちはまるでスーパーマンのようにふるまうことができる。地球では出来損ないののび太が(比較的)道具に頼らずに人を救うことができる設定は嬉しい。

スーパーマンと化したドラ

しかし、本作の魅力はのび太やドラえもんたちでなく、ガルタイト鉱業が雇った用心棒「ギラーミン」によるところが大きい。

ギラーミン(右)

そもそもガルタイト鉱業とドラえもんでは戦いになっていない。スーパーマンとなっている2人に加えてドラえもんには映画ナーフ(四次元ポケットの制限)が入っていないのでたかだか現代の宇宙人が勝てるような相手ではない。非-未来人におけるドラえもんとはそれほどまでに強力な相手となる。

ギラーミンの狡猾さはパワーバランスのアンバランスをうまく調整して戦いを対等にまでもっていく

ガルタイト鉱業がパワーにおいてドラえもんを上回ろうと躍起になるなか、ギラーミンは明らかに現地の人間ではないのび太たちがどのようにしてコーヤコーヤ星に出入りしているのかを知るために開拓民を拉致し、尋問する。

拉致られたコーヤコーヤ星の開拓民

宇宙船の扉が超空間と繋がっていることを知ったギラーミンは手下を使って扉そのものを爆破しにかかる。

数秒後に爆破される扉

結果的にこの作戦はゲストキャラクターの機転によってギリギリのところで失敗し、のび太たちの侵入を許すが、ひみつ道具を使い落石に扮して近づいてくるのび太たちを唯一見破ることに成功する。

石に扮して侵入を試みるのび太を一目で看破するギラーミンさん

ドラ映画の悪役といえば圧倒的な戦闘力をもっていながら舐めプを繰り返し杜撰に敗北するパターンが多いが、金の為に働くというわかりやすくそれ故に違和感のないモチベーションを持ち、悪役ながら作戦を弄して戦う姿はほかのヴィランにはない美しさがあった。最後にロップルの凶弾に倒れるのが残念。のび太と一騎打ちしてほしい。

ロップルの凶弾に倒れるギラーミンさん



15位 竜の騎士

結論ありきの中身がない映画。

まず、OPがよくわからない。永久にドラえもんがワイヤーでできたワームホールみたいな空間を体勢を全く変えることなく突き進むだけ。なんなんだこの映像は。

1カメ
2カメ
3カメ

地底ではいまだに恐竜が現存していた。しかも地上に比べて科学技術が発達している。ドラえもんたちは地底人たちの聖戦に巻き込まれながら背後で進行しているある計画を知ってしまうという話。

竜の騎士

言うまでも無く「恐竜」というテーマは映画1作目の『のび太の恐竜』で消費しているのでまた恐竜かよ感がぬぐえない。恐竜であることがシナリオのギミックとなっているが、それが面白いわけでもなく、『恐竜』のようなわかりやすさもないので盛り上がりがない。

またもや恐竜

ドラ映画に珍しく、「実は現在を作っているのは過去に戻ったドラたちの影響だった」的な展開を見せる。基本的にドラえもんでは、過去の改変は現在へと影響を及ぼすため、過度な改変は行うべきでなく、そのような違反者に対してはタイムパトロールによる取り締まりがなされることになっているが、本作では、現在という時間が、過去に及ぼした影響を全て織り込んだものとして描かれている。即ち、過去に戻ってなにをどう改変したところで、それは現代に影響を及ぼさない。なぜなら、現在とは、全てを織り込んだものだからだ。

というように、「あれって僕たちの影響だったの~!」なオチありきの映画で、そのオチがそれほど面白いわけでもないので、序盤中盤終盤まんべんなく面白くない。ていうか現在を織り込み済みのものとして描いてしまうと「ドラえもん」という作品の根幹で齟齬が発生する(なんのためにドラえもんはのび太の元にやってきた?パラレルワールドの扱いはどうなる?)。

タイムマシンがデカすぎる

そもそも物語の導入からして「悪い結果のテスト用紙を隠したいから巨大な地下空洞を見つける」とかなり無理がある。結論ありきで友情、悲哀、葛藤など中身がない。

普通に燃やせ

工場のシーンの環境音や津波の描写に迫力があるなど画の強さは評価できる。他にも地底人が地上に関する知識を「地上学」という学問体系で学んでいたり、発展した科学文明と素朴な宗教観が同居しているなど、地底世界のリアリティを追求している点は良かった。ドラえもんが「風雲ドラえもん城」という非常に巨大なひみつ道具を取り出し、籠城戦を決め込む展開は意味不明だが面白かった

風雲ドラえもん城

細かい点で面白いところはあるが、テーマ性は薄く、シナリオにはそれほど中身もないので、あまり記憶に残らない映画。



14位 パラレル西遊記


まずOPが1作前のドラ映画『竜の騎士』の使い回しで酷い。ちょっとドラとワイヤーの色変えて枠付け足しただけ。なんでこの映画だけ使い回しなんだ。

1カメ
2カメ
3カメ

ドラえもんたちが唐の時代に渡って使用したひみつ道具が原因で唐に妖怪たちが侵入し、実在の三蔵法師を食い殺してしまう。現代に帰って来たのび太たちが目にしたのは家族や知人が等しく妖怪化した妖怪による世界だった。のび太たちは西遊記のキャラクターに扮し、唐の時代に渡って妖怪たちを倒すことにするのだった。

唐の時代で三蔵法師とコンタクトをとるドラたち

あらすじの段階でもうわかってしまうが設定がぐっちゃぐちゃなドラ映画。過去の唐を妖怪が支配したので現代もその影響を受けたのは確かだがのびママや学校のメンツが元の世界をそのまま妖怪化した姿として生を受けていることに理由はない。

妖怪と化した先生

もっといえばのび太やドラえもんたちが歴史改変の影響を免れている理由も不明。最期に菩薩みたいになったドラミさんが現れて全部解決するが、ドラミさんが妖怪化の影響を免れている理由もよくわからない。映画ドラを成立させるために超都合よく歴史改変がなされているので違和感がある。あとタイムパトロール案件すぎる。タイムパトロールも妖怪化して来ないのかもしれないけど。

ドラミエクスマキナ

用意されている「意外な結末」も『竜の騎士』と大して変わらず、「物語序盤で起こったイベントが結局未来の自分たちが過去に戻って起こしたやつだった」をやりたいだけのやつ。今作は『パラレル西遊記』と、西遊記のキャラクターをモチーフにしてのび太たちが活躍するが、西遊記のキャラクターに扮したのび太たちが結局、実在の西遊記のキャラクターとして扱われるというオチははじめから見え見えで意外性もないのでそこまで面白くはない。

孫悟空一行と化したのび太たち

では全く面白くないのかというと、そうではない。

妖怪化した世界の描写は大胆かつ繊細で舌を巻いた。唐の時代から帰ってきていつもの食卓についたドラえもんたちはパパの頭に新聞紙越しではあるが確かに角が生えていることに気づく。

角が生えたのびパパ

のび太の部屋に繋がる階段を徐々に上ってくるのびママは足だけがフォーカスされて表情をうかがうことができない。

不穏

日常の中に潜む恐怖を煽った演出という点において『パラレル西遊記』はのぶ代ドラ映画の中で屈指の完成度を誇る。

かと思えば、一足街に出れば現実離れした建物が圧倒的な画力によって描かれており、迫力がある。

謎ビル

「既存の世界が妖怪によって一変してしまう」恐怖を精緻な演出によって飾ることで、西遊記をモチーフにしたコメディーな空気とギャップが生まれていて特徴的な印象を与えた。

他にも「負けたフリをして相手のミスを誘発することで勝利する」などドラのぐう畜なプレイングが冴えわたっており面白い。ドラ畜生からしか得られない(ry

ドラ畜生

「危険が危ない!」という迷言を生んだことでも知られる。設定はぐっちゃぐちゃでなんとも煮え切らない部分は残るが、恐怖表現のクオリティは高く、設定の弱さに目をつぶればシナリオもそれなりにおもしろい。根強いファンがいるのも納得できる一作。



13位 雲の王国

ネット評価はめちゃくちゃ高いけど正直「言うほどか?」とおもてる映画。もう折り返しなのにまだまだ全然悪口なのヤバイかも。

天上には天国があると信じて疑わないのび太はドラえもんの協力のもと、雲の上に王国を作る。しかし雲の上にはのび太たち以外に、圧倒的な科学力を持ち、地上では絶滅した動物たちと暮らす同じ人間である天上人たちによる天上世界が築かれていた。天上人たちは地上人を警戒しており、歓迎しながらも軟禁まがいな扱いを受けたジャイアンたちは脱走を図り捉えられ、ドラえもんは落雷によって故障する。ジャイアン、スネ夫、しずかは天上人が天上世界存続のために地上を洪水で洗い流し環境破壊を強制的に中止させる「ノア計画」の存在を知る。

雲の王国

最序盤にドラえもんたちを出さずに、どこかで進行しているこれからの苦難を描写する技法や、のび太の意味のない「ドラえもーん」からのタイトルロゴ、暗に含んだメッセージ性、全体的にシリアスでギャグ少なめと90年代に確立したドラ映画の流儀が早くも遺憾なく披露されている。

序盤に描写される苦難

これまでのドラ映画でやってきたことを旧約聖書の創世記と、新約聖書のヨハネ黙示録によって再編成した印象を受けた。ていうかそれしかない。

アダムとイブっぽい人たち

『アニマル惑星』や『海底鬼岩城』で描かれていた「環境破壊批判」と「大量破壊兵器批判」がメッセージに含まれている。
過去作との相違点として、『アニマル惑星』では環境破壊批判が人間批判とほとんど同一視されていたのに対して、本作では環境破壊を批判するサイドも同じ人間であることを強調している。また学校教育的なオチをつけるのではなく、これからの人間の改心の可能性を示唆するなど、啓蒙的な内容へと変わった。大量破壊兵器批判では、兵器を所持して戦うのが国家間ではなく、ドラえもん当人であるという点で異なっている。

大量破壊兵器を操るドラえもん

序盤で「まるで聖書じゃないか」とセリフにあるように、明らかに聖書をモチーフにしている。『アニマル惑星』で煩いほどに直接的に示されていた環境破壊批判を、圧倒的な力を持つ天上に坐す天上人と力無き地上人の対比によって描いている。

というのも、天上人の出自はもともと善良な心をもった地上人が天からの不思議な力によって雲の上に降り立つことができるようになり、争いを止めない地上人を大洪水で洗い流し、天上に新しい楽園を築いたことに端を発している。

天上人によるノア計画への対抗手段を地上人は持たず、地上世界は10日後に崩壊する未来を辿ってしまう。

大洪水で滅んだ地上

ところでどうやって10日後の世界に足を運んだかと言うと「どこでもドア」のダイヤルが10日後に設定されていたらしい。なんだその機能。

なかなかに意味不明だがドラえもんさんによると10日後に大洪水で滅んだ地上世界とドラえもんが存在することに裏付けされる地上人が栄えた22世紀の世界、どちらの世界が勝つかは「これからの僕たちの頑張りによるんだー!」らしい。ということで頑張る。

頑張るドラえもん

ドラえもんやのび太が頑張っている一方で、しずかちゃんたちは天上人たちによって裁判にかけられる。明らか最後の審判のオマージュで、大多数を占める愚かな地上人の中で数少ない善行を積んだしずかちゃんたちの意見に耳を傾けられている。

最後の審判にかけられるしずか

見てきたように聖書色が強く、ドラえもんにしては意欲的な映画だが、面白いかというと微妙。「不思議」要素については『海底鬼岩城』や『竜の騎士』同様、「地上人と比較して進んだ科学技術を持つ故に発見されてこなかった人たち」であり、二番も三番も煎じられてきた内容になっている。圧倒的な技術力を持つ故に、地上人の運命を容易に左右できる彼らをドラえもんたちが制止する展開も正直見飽きた。鼻につく環境破壊批判は2作前の『アニマル惑星』で既に経験済みなのでスパンが短すぎる。

加えて、謎にテレビアニメ版のキャラが出てきてテレビアニメをそのまま垂れ流して回想するのもよくわからなすぎる。「知らんし」すぎる。「知れ」ではあるけど。

てんとう虫コミックス35巻収録『ドンジャラ村のホイ』に登場した小人族の少年「ホイ」らしい

ドラえもんを「故障」という形でひみつ道具を抑制しパワーバランスをとっていた点は評価したい。

また、武田鉄矢の歌う主題歌「雲がゆくのは…」は映画のテーマとも合致しており良い。シリアスな雰囲気にもあっている。

武田鉄矢

そんなことどうでもよくて本作の一番の見どころはまず間違いなくドラえもんの決死の頭突きのシーンだろう。

決死の頭突き

自分の出したひみつ道具が悪用された雲の王国の失態の落とし前をつけるために、王国を崩壊させるためのガスタンクにカミカゼスピリッツで単身飛び込むドラえもんと、それにより引き起こされるかつてないほどの「破壊」は心情的にも絵面的にも見ごたえがある。

雲の王国の終わり

Twitterで腐るほど見たのび太がおる。このツイで笑ったことない。

Twitterで腐るほど見たのび太



12位 創世日記

夏休みの宿題の自由研究に行き詰まるのび太はドラえもんの注文したひみつ道具「創世セット」で新たな地球「新地球」を作り出し地球の観察日記をつけることにした。

新地球

もう“ヤバ”すぎ。

天地開闢をアサガオの観察日記と同列に考えているドラえもんさんヤバすぎん?倫理観どうなってんだ。

のび太の作り出した宇宙には動植物が生まれ、また人間が生活している。普通に「現宇宙に相当する生命体を作り出している」のだ。

実質神

しかし1から創造した世界なので現世界とは微妙に異なる部分もあり、新地球の生物は独自の進化を遂げ、遂にタイムマシンを製造し、現世界と時空を繋げてのび太の町までやってきてしまう。

タイムパトロールに追われる新地球の生物

普通にタイムパトロール案件だが、実際ガッツリタイムパトロール案件になっている。これまではドラえもんがどれだけヤバそうな問題を起こしてもセワシの存在に代表されるように「未来はある程度決まっている」「問題の起こる前にドラえもんたちが対処する」といったお決まりの展開で許されていたが、本作はドラえもんが問題を問題だと認識しておらず、倫理観の欠如、そしてのび太に対する監督不行届によってタイムパトロールが出動する事態に達しているので、完全に言い逃れできない。ほんまに犯罪者。

まずドラえもんを捕まえろよ

最終的にのび太、ジャイアン、スネ夫、しずかの4人は「共同研究」と称して『創世日記』と題した観察日記を先生に提出する

『創世日記』て

いや、『創世日記』て

中にはしずかちゃんの記録した「現実世界では考えられない巨大な昆虫と戦った」記録や、のび太の「地底世界を発見し、地底人と交流した」記録が記されている。

どういう気持ちで読めばいい?

「のび太の先生どういう気持ちでこれ読んでんねん」と思ったら最後のページに達筆で「たいへん良くできました」と書かれている。スルースキルすご。

『かんしゅうの人』て

スケールの壮大さとドラえもん達の危機意識が大きく乖離したダントツで変な映画。マジでイカれてるから観てほしい。



11位 宇宙漂流記

ドラ映画史上最凶のホラー映画

まずOPがもう変。↑に載っているタイトルロゴをよくみると、ロゴを満たす光が画面右端から尾を引いているのがおわかりいただけるだろうか。

これ

これの正体、なにかというと





さっき見た

宇宙空間に射出されたドラえもんである


もう開始5分で爆笑なんだけど本編は全く笑えず恐怖で泣かされることになる。

いつものようにのびママによって捨てられたドラえもんの「スタークラッシュゲーム」の足取りを追うと不思議な光が「スタークラッシュゲーム」の箱を勝手に持ち去ってしまっていた。光の後を追って宇宙空間にまで足を伸ばすドラ一行。光の正体は妖精のような小さな女の子・フレイヤであり、フレイヤは生物の住める星を探すために宇宙へ派遣された少年・リアンと旅をしていた。地球から20光年以上離れた宇宙までやってきてしまったドラえもんたちは、地球に帰るために奮闘する。

リアンとフレイヤ

とにかく『宇宙漂流記』はデザインと動きが素晴らしい。
『ねじ巻き都市伝説』から続くOPコンテ・演出・作画監督の藤森雅也と演出の善聡一郎によって、1カットの中でぬるぬるした独特の動きをみせる。
マクロスシリーズのメカニックデザイナーで知られる宮武一貴およびスタジオぬえをスタッフに迎えており、敵と戦闘機のデザインがこれまでのドラ映画の中では最高。

メカ

ドラ映画における異形は、前年の『南海大冒険』におけるリバイアサンや、『パラレル西遊記』の金閣・銀閣など、どこかコミカルなものが多かったが、今作は恐怖を伴うモンスターデザインに仕上がっている。そのためか、全体的に雰囲気は暗く、恐ろしい。

ディティールのコマかい異形のデザイン

「ドラえもん トラウマ」とかでggれば腐るほど出てくるが、特に『眩惑の星』の演出は頭一つ抜けておそろしい。

ドラえもんたちは未知の星に降り立ったはずが気づくと地球の裏山としか思えない場所に行きつく。

裏山?

驚いたドラえもんたちだったが、長旅の寂しさもあって一目散に家族の元へと駆けていく。久々に囲む家族そろった食卓に心の底から安堵するドラえもんとのび太だったが。

安堵

宇宙に旅立つ原因にもなった、不思議な石をのび太がママに見せようとした次の瞬間、本当に次の瞬間。

この直後に







「なぁにのびちゃん?」

異形の怪物がのびママの声を出しながらすぐ目の前にまで迫ってきていた

突然の出来事に声にならない声をあげてたじろぐのび太。幸せそうな顔をして石にかぶりつこうとしているドラえもん。

怪物の登場が全く予期できない、あまりに唐突な出来事なので本気でビビる。声だけはのびママパパなのも怖いし、のび太にだけ真実の姿が見えていてドラえもんが幻覚から覚めないのもめちゃくちゃ怖い。

見てきたように恐怖表現やデザインは完璧で唯一無二なのだが、シナリオは微妙。

舞台は宇宙、テーマは環境破壊批判と言うまでもなくもう見飽きた。ドラ映画にしては珍しく、味方のゲストキャラクターから裏切り者が発生するが、すぐに和解し仲間になるのであまり衝撃はない。

もはや「植物の細胞」まで出てくる

物語における重要なキーワードになる『ユグドの木』になんかよくわからんがリアンの母が宿っていたり、特に理由もなくのび太の拾った『神樹の実』に幻覚を覚ます効果があったりと、突拍子のない設定が多い。

ご都合

敵は洗脳タイプなので船団を洗脳して巨悪として機能しているが、当のボス本人はクソ雑魚なので戦闘にアツさはない。正体に関してドラえもんによって「みんなの心の中に潜む悪意の塊」とくっそ適当に結論付けられているので意味不明すぎる。

悪意の塊さん(笑)

宇宙船の衝突を防ぐために「「フエルミラー」で「ビッグライト」を増やして「ひらりマント」を大きくし、四隅を小型の宇宙船4機に結びつけて宇宙船の軌道を変える」とかいうあまりにも回りくどいソリューションが本当に回りくどい。本作ではひみつ道具の使用は全く制限されていないし、絶対もっと他にやりようはあるだろ。

回りくどい

戦闘描写に関しても前半の『スタークラッシュゲーム』内における動きは素晴らしかったが後半の実践では力尽きており、静止画がスライドする程度しか動きがなかった。

EDはSPEEDが歌っているが世界観が全然映画と噛み合ってない。
『宇宙漂流記』は記念すべきドラ映画の20作目にあたるのでこれまでの20作品がEDで振り替えられるが、SPEEDのようわからん曲とともに流れるので全くアツさがない

せっかくの演出がもったいない

デザイン・曲・演出とこれまでのドラ映画と一線を画すクオリティを見せたが、細かい点で不満も多く、シナリオは平凡な作品だった。しかし、ドラ映画最大といっても過言ではない恐怖表現は観る者すべてにトラウマを残す本作固有の魅力。最初の「スタークラッシュゲーム」の戦闘、OP、トラウマシーンだけでもいいので観てほしい。



10位 太陽王伝説

よく言えば王道、悪く言えば無難なストーリー。しかし、無難なストーリーだからこそ面白く描くためには地力が試される
そういった意味では、本作はドラ映画21作の間に培われた映画技術が遺憾なく発揮された作品であるといえる。

ひょんなことからのび太の部屋が古代の王国・マヤナ国とタイムホールでつながってしまう。そこでのび太は、自分と瓜二つなマヤナ国の王子・ティオに出会う。
現代文明に興味津々なティオは顔が似ていることを利用してのび太と入れ替わる。のび太と違い傲慢だが力強いティオと、ティオと違いひ弱だが優しいのび太は周りから訝しがられながらもそれぞれの時代を謳歌する。そんな折、ティオの使用人・ククが魔女・レディナによって攫われてしまう。単身レディナの元に向かったティオを助けるために、ドラえもん一行はレディナの神殿に向かう。

のび太と瓜二つの王子「ティオ」

『ねじ巻き都市冒険記』から続く作画はさらに洗練され美しい。1カット内での動きはさらに大きく滑らかになり、緩急を意識した構図によって単調ではなくなっている。

大きく動く画

OPには「ウィーン少年合唱団」が起用されており、いつもの主題歌がバラード調に仕立て上げられている。王国内に流れるBGMもどことなく古代の、神秘を意識したテイストに仕上がっており、荘厳な雰囲気と緊迫感が演出されている。

本編では一切登場しない獣人化したドラたち

90~0年代ドラ映画の流儀である序盤に描かれる不穏も圧倒的に良くなった。ドラ映画といえば「不思議」に遭遇するまでの退屈な日常パートがキツイが、冒頭に、後半に立ち向かうことになる巨悪の片鱗を描くことで、序盤の退屈の末に大きな困難に至ることが暗示され、ストレスを感じることなく前半を視聴することができる。

抜群の冒頭不穏演出

御託はいいからシナリオはどうかというと、ゲストキャラクターとの関係は素晴らしいが、冒険劇に相当するシナリオは退屈。

あらすじで記したように、のび太とティオは瓜二つなので全く異なった時代を入れ替わって過ごすことになる。

入れ替わりたがるティオ

力強くも王子としてのプレッシャーを感じ傲慢なティオは、国民から疎まれ、使用人のククに対しても厳しく当たっていた。ティオと入れ替わったのび太は、ティオとは比べ物にならないほどたよりないが、しかしティオにはない優しさを持っていた。ククや王国の子供にあやとりを教え、小さな心遣いにも感謝を忘れない。

王子に扮するのび太に惹かれるクク

ある日、ティオは剣技の修行中の国民が自分の陰口を話していることに腹を立て、サガティを申し込む。

陰口を言ったせいで命懸けの戦いに

サガティとは命を賭けたサッカーであり、敗者は勝者の言うことをなんでも一つ聞かなければならない。2人を相手にたった一人で戦い、苦戦するティオを助けるため、のび太は「1たす1は1よりも少なくなるとは思わない」と協力を申し出る。

終盤にもう一回言う

戦力にならないかと思われたのび太だったが、「手を使うこと」以外の反則がないサガティのルールに則り、相手にしがみつくなどしてなんとかティオのプレイを手助けする。

ファインプレー

最後は2人のコンビネーションが炸裂し、試合に勝ったティオは対戦相手の処遇をのび太に一任する。のび太は迷わず、「許してあげて」と提案する。

のび太の優しさ

王国に戻ったティオだったが、のび太の優しさに触れて、王子のもとに駆け寄ってくる国民たちを一蹴してしまう。国民の中には、上達したあやとりを嬉しそうに見せてくるククの姿もあった。

あやとりを披露するもティオに一蹴されるククちゃん

王子か家来かしか人を分ける術を知らなかったティオは初めてのび太を友人と認め、レディナによって連れ攫われたククの奪還に向かう。レディナとの戦いを決したのは、のび太と2人で挑んだサガティでみせたコンビネーションだった。

レディナの潜む神殿

この映画のアツさは、入れ替わりによって優しさを知るティオの成長にある。ティオは当初、ひ弱なのび太を歯牙にもかけていなかったが、のび太の人を想う心の強さを理解し、のび太を友と認め、共に戦う。ありきたりなシナリオと言ってしまえばそれまでだが、ククという少女は好意によってのび太をティオを接続し、サガティの戦いは2人を友情によって繋ぐ。シナリオが平凡だからこそ、ゲストキャラクターを効果的に使って、しっかりとアツさを抑えている。力を感じる。

ククを中心に紡がれる友情

しかし、ボス戦にいたるまでの冒険劇はそこまでおもしろくない。というのも、ティオは一人で行ってしまうし、ククは囚われの身と、魅力の大部分をゲストキャラクターによって賄っている本作からゲストキャラクターを差し引いて面白くなるはずがない。

加えて、剣技の先生との別れと再会や、満身創痍のボスの悪あがきなど、描写が甘くアツさが欠落した見せ場が連続しかなり冷める。

別に要らない別れ

しかし前述したサガティの経験がボスを倒すための要因となる展開や、別れを告げることなく現代に帰るのび太たちはしっかりとアツい。

サガティの経験が勝因に

ところどころ冷める展開もあるが、全体を通してしっかりとアツさを抑えたクオリティの高い映画。10位にもなると、明確に面白い。



9位 海底鬼岩城

ドラ映画4作目と古い映画だが感動の名シーンの圧倒的感動力でこの順位。

海底山脈で水中バギーを乗りこなしキャンプを楽しむドラえもんたち。海底世界で出会った海底人・エルから、海底国家アトランティスに残された「鬼岩城」を支配する兵器・ポセイドンが再稼働したことを知らされる。ポセイドンが大量破壊兵器を発射すると、地球上の全ての生物が絶滅してしまう。ドラえもんたちは地球を守るために、ポセイドンの破壊に向かう。

エル(右)

『恐竜』では「白亜紀」、『宇宙開拓史』では宇宙、『大魔境』ではジャングル、『海底鬼岩城』では舞台を海底に移して冒険が繰り広げられる。

舞台は海底に

テーマは「環境保全」と「核批判」。言わずもがな、環境とは海のことであり、核とはポセイドンのことを指している。環境破壊批判はのび太たちの処遇を決める海底人による裁判でまぁまぁ煩く言及されるが、ポセイドンは禍々しく重厚感があり、ドラ映画の巨悪として申し分ない機能を果たしている。

まぁまぁ煩い環境破壊批判
ポセイドン

前半のわくわくとした大冒険から後半は一気にシリアスへと駆け抜けていく。そしてこのギャップこそが本作の魅力だ。
前半、ポンコツAIが搭載された水中バギーはドラえもんと喧嘩しながら軽口を叩き水中を進んでいく。

バギーとの海底探検

しかし楽しい旅はジャイアンとスネ夫の瀕死によって一変する。

瀕死のジャイアンとスネ夫

ドラえもんに無断でバギーを使って海底を探検することにしたジャイアンとスネ夫だったが、テキオー灯の効果が切れることを失念していた。必死にジャイアンたちの後を追うドラえもんだったが、どう足掻いても追いつけない。ドラえもん、ジャイアン、全ての人が2人の死を予感しながら、バギーは走り続け、ドラえもんたちは追い続ける。死へのカウントダウンの終わりが、刻一刻と近づいてくる。

間に合わないとわかりつつも追走するドラえもん

懸命の努力も虚しく、テキオー灯の効果が切れつつあるジャイアンたちは水圧に負け意識を失う。海底に横たわる2人を見てバギーは「アレ シヌン デスカ ニンゲン ナンテ イバッテテモ コウナルト ダラシナイ モノ デスネ」と淡々とした機械音で言い残す。

瀕死のジャイアンとスネ夫

結局、ジャイアンとスネ夫は助かっていたことが判明するが、人間の中で唯一しずかにだけは好意を抱くバギーは、好かれようとしずかに対して事の顛末を打ち明ける。

しずかに録画データを見せるバギー

バギーの予想に反して、しずかはなにも手助けをしなかったバギーに怒り、業を煮やしたドラえもんはバギーを四次元ポケットに閉まってしまう。

時は進み、鬼岩城攻略に出発したドラえもんたち。敵の艦隊の後を追うために再びバギーを取り出したドラえもんだったが、当のバギーは「モウゴメンダ コンナオッカナイトコ ハシルノモイヤダ」と言ってポケットに帰って行ってしまう。

恐怖心からポケットに戻るバギー

ポセイドンの在処を探るために単身、人質となったしずかの元を目指して、それぞれのやり方で戦うドラえもんたちだったが、ポセイドンが見せた映像にしずかは愕然とする。

ポセイドンに捕らえられたしずか

思いのほか強力だった鬼岩城防衛用のロボット兵士・鉄騎隊に苦戦を強いられるドラえもん一行、しずかはポセイドンによって敗北したことを知らされる。

結局、ポセイドンの元までたどり着いたのはドラえもんただ一人だった。そのドラえもんもすぐに力尽きてしまい、人類の敗北を悟ったしずかはドラえもんを見下ろしながら涙を流す。

涙を流すしずか

その時、悲しむしずかを助けるためにバギーが立ち上がる。バギーは、自分の命も顧みず、攻撃を喰らって燃え盛る機体を使って、そのままポセイドンへと特攻する。

しずかを救うために立ち上がるバギー
自爆特攻

最終的に、バギーの自爆特攻によって人類は救われる。人類の勝利を祝す海底人たちを前に「わたしの宝物よ」と言って差し出したしずかの手には、バギーの一部であるネジが握られていた。

ネジ(バギー)

利己的だったバギーが、しずかの人を想う心にあてられて人類を救うために立ち上がるシナリオはアツい。監督が芝山努に代わり、徹底されたシリアスなシーンには心を締め付けられる。巨悪が圧倒的な巨悪として機能しているからこそ生まれた感動はひと際大きかった。


ポセイドンに立ち向かう前になんかドラたちが変な恰好で行進するシーンがある。マジでなに、これ?

なんこれ



8位 ワンニャン時空伝

のぶ代ドラ最後の映画であり、そのため映像・映画技術は過去一クオリティが高い。俺の弟が一番好きなのぶ代ドラ映画だと言っていたが、作品の粗を指摘していくごとにその地位の脆さが浮き彫りとなっていった。のでこの順位。

川で溺れていた子犬を助けたのび太は「イチ」と名付け家で飼うことにする。のび太の街では野良犬、猫が急増しており、裏山は動物たちで溢れかえっていた。のび太たちは野良犬猫が安心して暮らせる環境を提供するために、動物たちを3億年前の世界に連れていき、人手がなくても成長できるように「進化・退化光線銃」を残して現代へと帰っていった。翌日、時空のねじれの影響でイチたちを置いてきた時代から1000年後の世界に飛ばされる。そこでは、犬と猫によって文明社会が築かれていた。時を同じくして、地球には超巨大隕石が衝突しようとしていた…

動物文明に溶け込むドラたち

ドラえもんたちが様々な時代を行き来するのはいつものことだが、ゲストキャラクターも様々な時代を行き来し、時々の時代に応じて姿を変えるという点で異色な作品。この設定は物語の鍵を握るものとなっている。

時代を行き来するゲストキャラクター

前述したように全体的に映像のクオリティが高い。島谷ひとみが歌う映画主題歌の『YUME日和』は個人的に全てののぶ代ドラ映画の中で最も美しく、その主題歌をゲストキャラクターのシャミ―が歌うライブシーンには気合が入っている。

歌姫シャミ―

映像のクオリティの高さは冒頭の不穏演出から既に見て取れる。二足歩行し言葉を話す謎の老犬がタイムマシンらしき装置に乗り込み、時空の乱れへと巻き込まれ、身体が子犬へ変化していく。

冒頭の不穏演出

これから待ち受けている冒険がシリアスな空気感とともに予見される完成度の高い不穏演出となっている。

時空の乱れによって身体が変化するシーンはのび太たちにも見られる。のび太やジャイアンは赤子まで若返り、スネ夫は老人に、しずかは少女から女性へと変化する。成熟した映像技術があるからこそ出せる単発火力の高いシーンだ。

服がはち切れそうな大人しずか

なんと言ってもボスの猛攻を躱しつつ車を爆走させるカーチェイスシーンは圧巻。意図的に設けられた見せ場で、映画館で観ていたらさぞ迫力があっただろう。のぶ代ドラ映画でこれほどまでに迫力のある見せ場は他に『翼の勇者たち』のイカロスレースを除いて類を見ない。

圧巻のカーチェイス

と、見てきたように映像表現は無類で文句のつけようもないのだがシナリオ自体は割としょうもなく、「ほら泣けよ」と言わんばかりの感動シーンが鼻につく。のび太が「うさぎとかめ」をイチに教えていたことを利用して無理矢理「うさぎとかめ」を歌いながらけんだまで敵に攻撃をするシーンはエモさを優先するあまり逆に寒い。イチとのび太の友情に裏付けされる感動シーンは最後まで「ドラ泣き」を意識した寒い展開を見せる。

のび太に習ったけんだまを特訓する

加えて、『YUME日和』という圧倒的な主題歌を携えていながらエンドロールで視聴者応募のイラストを紹介してしまうので台無し。「映画のクオリティ」という観点から言って、視聴者の稚拙なイラストの紹介は控えてほしかった。

稚拙なイラスト

色々と欠点もあるが、それらを踏まえたとしても映像のクオリティが霞むことはない。圧倒的な脈動感とシャミ―ちゃんの可愛さを兼ね備えた『ワンニャン時空伝』はのぶ代ドラ映画の最後を飾るのに相応しい映画だった。

可愛すぎる



7位 夢幻三剣士

すべてにおいて異色であり、それがしっかりと面白い唯一無二なドラ映画。もう一作「すべてにおいて異色」っていうケド。

良い夢を見たのび太は夢の中で好きな自分になれる道具を出してくれとドラえもんに懇願する。「気ままに夢見る機」に専用のカセットをセットし、王女を救う大冒険に胸を躍らせるのび太。翌日、のび太が裏山で宿題をしているところに奇妙な老人が現れ、「知恵の木の実」と称したなにかの果実を渡される。果実を食べたのび太は一時的に賢くなり、学校で称賛される。のび太は再び老人に木の実を出すように頼むが、「あなたはもっとすごい力が手に入る」「ただし、『夢幻三剣士』の世界でのことだが」と不思議な言葉を残し去っていく。老人の画策によってのび太は、『夢幻三剣士』の世界へと没入していく。

『夢幻三剣士』の世界

これまでのドラ映画には見られなかった特徴が多く、ストーリー上の奇妙な点も数多くある。ドラ映画では戦闘要員として何度か活躍してきたジャイアンとスネ夫の見せ場は大きく削られ、のび太、ドラえもん、しずかの3人を中心に物語が進行していく。

『ゼルダの伝説』のゼルダ/シーク的ポジションのしずか

ドラ映画特有の曖昧になったフィクションと現実の境界を矯正するいつものシナリオが展開されるが、「気ままに夢見る機」の隠しボタンによって夢と現実世界が反転することで、のび太たちの冒険に対する意識が他のドラ映画と決定的に異なる。

隠しボタン

のび太たちがなんらかの役をロールプレイングする内容は『魔界大冒険』や『日本誕生』などにも見られたが、本作はのび太たちが本気で夢の世界を現実だと思い込んでおり、当人たちに「ロールプレイングをしている」という意識が欠落している
つまるところ、ドラえもん以外は、「のび太」や「しずか」といった既存のキャラクターの側を借りて、新しい関係を構築していることになる。

自分のことを「ノビタニアン」「シズカール」だと思い込んでいるのび太としずか

本作は随所で現実と夢が混同されていることを強調するような演出がなされており、それによっていまだに「のび太がいる世界はどこなのか」、奇妙な老人「トリホーの正体」について考察がなされている。

トリホー

たとえばトリホーは『気ままに夢見る機』を使う前の現実世界にいる時から既に「不思議な木の実を持っている」「空を飛ぶ」など、現実離れした行動を見せる。

対して『夢幻三剣士』の世界では、夢の世界でありながらドラえもんが「とりよせバッグ」で現実世界の食べ物を取り寄せたり、のびママによって再び「隠しボタン」が押された後にも『夢幻三剣士』の案内役である妖精が現実世界に干渉してくるなど、終始、夢と現実の境界が曖昧となっている。

現実世界に干渉する『夢幻三剣士』の妖精

極めつけはラストに現実世界で描かれたこのカットだ。奇妙なことにのび太の学校が崖の上にそびえたっている。この不思議なシーンは『のび太の夢幻三剣士』においてひと際象徴的な演出だ。

崖の上に立つ学校

考察要素は置いておいて、シナリオに関してはどうだろう。

前述したように、のび太たちにはロールプレイングをしている意識がないので、冒険、そして巨悪との戦いは日常生活の延長ではなく、彼らの人生の主目的としてひと際の激情をもって描かれている。そのため、決断と行動の一挙手一投足に本気の覚悟がのっている

一国の王女・シズカリアが男装した騎士・シズカールとなって身分を隠した状態でのび太と共闘する。シズカリアは国王の決めた白銀の剣士(ノビタニアン=のび太)との結婚に反発して王国を抜け出しシズカールとして生きていくが、ノビタニアンの勇気にほれ込み、結婚を承諾する。

学校の先生扮する国王とシズカリア

現実世界に戻ったあともしずかにシズカールの面影を見るのび太。「おはようノビタニアン!」と言って駆けてくるしずかに、のび太は「シズカール!?」と驚くも、すぐに自分の見間違いだったことに気づく。

シズカール(?)

「夕べさ、しずかちゃんの夢見ちゃった」と恥ずかしそうに打ち明けるのび太。しずかはウェディングドレスに身を包み「わたしも、のび太さんの夢見たわ」「のび太さん、かっこよかったわよ」と応える。夢の活躍が回りまわって将来訪れる「しずかとの結婚」というイベントを予感させることになるエンディングはとても爽やか。俺はこの演出がめちゃくちゃ好きだ。

めちゃくちゃ良い演出

インターネットにおいて『夢幻三剣士』はほとんど唯一「のび太としずかの死が直接的に描かれた映画」としても知られる。一度だけ生き返ることが許されている状態にはあるものの、夢と現実が逆転した世界で、のび太としずかが敵の攻撃によって塵と化し、絶命するシーンは衝撃的。特にシズカールの絶命シーンは攻撃を食らい続け、徐々に命の灯がかき消されていくようでショッキング。

ノビタニアンの死
シズカールの死

シナリオ、キャラクター、絶命とあらゆる点で異色な映画。「ロールプレイング意識の欠落」によって人生の主目的となった冒険としずかとの爽やかなエンディングは他にはない唯一無二の魅力だった。ただ個人的に主題歌はかなり微妙。



6位 南海大冒険

この映画にこれといった見せ場やトンチキな設定はない。『南海大冒険』に至るまでのここ何作かのドラ映画、『ねじ巻き都市冒険記』『創世日記』『夢幻三剣士』などに比べるとパンチが効いていないかもしれない。それでもなお『南海大冒険』が私の中で6位の座を射止めるのは、ひとえにドラ映画19年間の歴史の中で培われてきた地力の高さに他ならない。

小説『宝島』を読んで大航海に憧れるのび太はひみつ道具「宝さがし地図」で宝島の在処を突き止め、冒険に向かう。いつものドラえもん一行を巻き込んで船旅をしている最中に、時空に異変が生じ、一行は17世紀のカリブ海に送られ、海賊同士の戦いに巻き込まれる。戦いの最中でのび太は海に投げ出され、ドラえもんたち4人と離れ離れになり、一人無人島に流れ着く。一方ドラえもんは数個のひみつ道具を残して四次元ポケットを失ってしまうが、利害が一致した海賊一行とともにのび太救出のために宝島を目指す。

現実を舞台にした冒険、出会いと別れ、純粋な悪役、因果応報に勧善懲悪と王道を往く内容となっている。これまでのドラ映画で散々用いられてきた、神話をモティーフにして無駄に難解になったシナリオや、過去と未来を行ったり来たりして無駄に難解になったシナリオは息を潜めている。

『南海大冒険』の何が面白いのかを説明するのは難しい。それは再三言っているようにわかりやすい見せ場がないからだ。しかし当然、わかりやすい見せ場の欠如が作品を駄作に陥れるわけではない。『南海大冒険』を構成する一つ一つの要素は面白い映画の要件に裏付けされた盤石な基礎の基に立っている。

大冒険を思いついたのび太は当初、ジャイアンたちから反感を買い、「そんなことに付き合っていられるか!」と言われてしまう。しかしのび太に言われるがままに冒険を続けていくうちにジャイアンとのび太の間に今一度友情が育まれ、のび太が海に攫われる場面では、「手を離すな!」と危険を顧みずに手を伸ばす。のび太が離脱した後は涙を流し、その後も救出のために先陣を切って奔走する。

映画版ジャイアン

実のところのぶ代ドラ映画ではそれほど「映画版ジャイアン」の頭角は現れていない。一方で本作はのび太を救いきれなかったジャイアンの葛藤と、ゲストキャラクター・ベティとのロマンスなど、テレビアニメ版とは違ったジャイアンの漢気を感じる。

ベティを助けるジャイアン

とは言ってもひみつ道具がある以上、ドラえもんたちが窮地に陥ることは基本的にない。ドラ映画は如何にしてドラえもんをナーフするかということが問題になるが、本作は四次元ポケットを紛失させることでドラえもんをナーフし、かつ使用可能なひみつ道具を視聴者にあらかじめ提示している点で新しい。ドラえもんはナーフされてもなお強力な舞台装置を使用したり未来からの来訪者が助けてくれたりと結局ひみつ道具に変わる助っ人が現れる展開が我々を萎えさせてきた。その点、あらかじめ取り得る手段を公開し、なんでもありになることを防いでいるのは偉い。なにをしたら面白くなくなるか、ということを理解している。

視聴者に提示されるひみつ道具

デウスエクスマキナ的にドラミさんやタイムパトロールが悪役を下す展開もこれまで問題視されてきたが、本作では巨悪が島全体にタイムパトロールの通信を阻害するバリアを張ることでクリアーしている。

対タイムパトロール用の作戦を練っている敵

流れ着いた無人島で、のび太は同じく仲間と離れ離れになった少年・ジャックと出会う。「ほんやくこんにゃく」を食べる前に流されたのび太はジャックの言葉が理解できず、始めこそ警戒されるが、のび太の人の良さと仲間を想う心が通じ合い、良好な関係を築く。驚くことにのび太がジャックに出会ってから20分間以上、2人は言葉がわからないままコミュニケーションを取り続ける。

ジャック

一つ一つドラ映画の問題点をつぶしていき、それによってジャイアンやゲストキャラクターとの友情、そして訪れる出会いと別れといった王道展開を魅力的に演出している

しかしやはりというべきか、敵の敗因はドラえもんやタイムパトロールに対する舐めプかつ、ギャグ的な戦闘で勝利してしまうなど、いまひとつアツさに欠ける。

ギャグ的な勝利

加えてエンディングテーマがマジで意味が分からない。たどたどしい、意味不明なセリフパートを長々と聞かされるはめになり、身体が芯から冷えていく。

くっそ寒いセリフ

全体的にドラ映画の流儀に則ったシナリオが高いクオリティで紡がれていくので満足感は高いが、見せ場の欠如、敵の舐めプ、意味不明なエンディングテーマと依然、萎えさせられる要素も多い。

怪物に飲み込まれ、「金はいくらでもだすから助けてくれ!」と懇願する敵に対して「無理ですね」とくっそ冷静に敬語で返すドラえもんで爆笑した。なんで敬語なんだよ。

無理ですね



5位 鉄人兵団

ビターなラスト。はしゃぐドラと泣くしずか、独特なテイストの映画。

ある日、北極で巨大なロボットの足を拾ったのび太はそれを家まで持ち帰る。その後、次々に空から降ってくるロボットのパーツをくみ上げ、「ザンダクロス」を完成させた。ひみつ道具によって鏡面世界に入り込み、ザンダクロスの操縦を試すのび太としずかだったが、ザンダクロスは武器が内蔵された巨大兵器であることが判明する。ドラえもんたちはザンダクロスを鏡面世界に置き去りにすることを誓うが、のび太の元に現れた謎の少女・リルルに鏡面世界に入り込むために必要な「おざしきつり掘」を貸してしまう。リリルの正体は地球の侵略を目論む、少女型スパイロボットだったのだ。

ザンダクロス

「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」と言わんばかりのガンダムチックなロボットがガッツリとポスターに描かれている。実際、巨大ロボットのパーツがひとつひとつ自宅に転送されてくる不思議と、それを組み立てることで徐々に明かされていくロボットの全体像には男心がくすぐられる。

ポスター

とにかく本作はラストが素晴らしい。のぶ代ドラ映画のラストは基本「出会いと別れ」の別れに相当するシーンを垂れ流すだけでなんも面白くないのだが、『鉄人兵団』では他のドラ映画と違ったテイストを見せる。

というのも、『鉄人兵団』はドラ映画においてはじめて「トレードオフ」の選択が突きつけられている

あらすじで記したようにリルルの正体は地球侵略を目論むスパイロボットであった。ひょんなことからリルルは鏡面世界に取り残されることになるが、現実世界に残されたザンダクロスの頭脳パーツによってリルルの故郷・メカトピア星からロボット軍団が地球が向かいつつあることを知らされたドラえもんたちは、鏡面世界でロボット軍団を迎え撃つことにする。

「ほんやくこんにゃく」を頭にのっけて無理矢理電子音を翻訳するパワープレイでザンダクロスの頭脳パーツと会話するドラえもんさん

その頃しずかは、のび太が作った鏡面を通して一人で鏡面世界に訪れてしまい重症を負ったリルルを発見する。

描き込まれたリルル

リルルはしずかを殺そうとするが、「きっと故障のせい」でおかしくなっているだけだと判断したしずかは、リルルを自宅で休ませることにする。

ガチで殺しにかかるリルル

しかし既に鏡面世界はメカトピアの軍団によって支配されており、しずかの自宅もロボットによって侵略されていた。しずかはドラえもんたちと合流し、リルルの正体がロボットであることを明かす。

侵略された源家

ドラえもんたちが決戦に備えて街の守りを固める一方で、しずかはリルルを看病し続ける(ちなみにここではリルルの乳首が描かれている)。

リルルを看病するしずか

「わたしを助けたこと、後悔するわよ」「もうすぐ地球人はメカトピア星で奴隷になるの」としずかにメカトピアの神話を話す。ロボットの神様が、ロボットの天国を作ったと話すリルルに対して、丸っきり人間の歴史じゃないと反論するしずか。ヒートアップしたリルルはしずかに対して光線を放ってしまい、これにショックをうけたしずかは遂に部屋から飛び出してしまう。

看病するしずかとドエロいリルル

しずかは「勝手に…壊れればいいんだわ!」「せっかく、お友達に…」と一時は激情を見せるが、結局ほおっておくことができずに看病を続ける。

一人涙を流すしずか

ドラえもんの機転によって鏡面世界を現実世界だと思い込んだロボットの大群がついに現れる。

鉄人兵団の総司令

しずかの家を抜け出し、この世界が鏡面世界であることを仲間に知らせに行くリルル。その道中、偶然出くわしたのび太はリルルに銃を向け、「行けば撃つぞ」と脅す。

リルルに銃口を向けるのび太

のび太の脅しに対してリルルは「いいわ!撃って!」と笑顔で応える。結局、引き金を引けなかったのび太に対して「意気地なし!」と叫びながらリルルは光線をくらわせる。

のび太に脅され笑顔になるリルル

リルルは結局、総司令部に「人間はゴミなんかじゃない」と盾突く。リルルの態度に業を煮やした総司令はリルルを捕らえるように指示するが、その様を見ていたドラえもんたちによって救出される。救出されたリルルはのび太たちに「わたしを信用しないで」「わたしをどこかに閉じ込めて」と訴えかける。

自ら幽閉されるリルル

鏡面世界の秘密に気づいた鉄人兵団との最終決戦が始まる。
ドラえもんたちが苦戦を強いられるなか、しずかは独断で大胆な作戦に打って出る。3万年前のメカトピア星にタイムマシンで時間遡行し、メカトピア星を作るきっかけになった原初のロボットの開発者にロボットの修正をするように説得する。

原初のロボットの開発者

しかし修正の途中であることに気づく。鉄人兵団が生まれるきっかけとなった原初のロボットを修正するということは、即ち鉄人兵団、ひいてはリルルの消滅をも意味する。

老体に鞭を打って修正作業に臨んだ開発者だったが、遂に限界を迎える。引き留めるしずかの制止を振り切り、「しずかさん、わたし、本当の天国を作るのよ」「そしてわたしはメカトピアの天使になるの」と、リルルは修正作業を引き継ぐ。

修正を続行するリルル

歴史を改変したことで、リルルは鉄人兵団もろとも消滅する。「今度生まれ変わったら、天使のようなロボットに…」、リルルが消滅してもなお記憶を保持しているしずかは、一人号哭する。

歴史修正によって消滅するリルル

窮地から一転、鉄人兵団の消滅によって勝利を確信したドラえもんたちは笑顔でしずかの元へと駆けよる。しずかは一人、丘の上で佇んでいるのだった。

しずかの元に笑顔で駆け寄る4人

これまでののぶ代ドラ映画では「巨悪を倒し地球を守る」というわかりやすい軸に沿って「勝てばハッピーエンド、負ければバッドエンド」と明確な結末が用意されていた。他方で本作は、リルルの「敵対する友達」という立場上、勝てど負けれど全員が救われる結末というものが用意されていない。『海底鬼岩城』でもバギーを失うという望まないイベントが起こったが、あくまでバギーの独断によって招いた結果であり、ドラえもんたちの意志はそこに介在していなかった。本作では「世界を救うのか」はたまた「リルルを救うのか」二者択一の、トレードオフの関係にある選択が迫られている

しずかと触れ合うなかでメカトピアの古典的な神話的世界観から目覚め、人間への考えを改めたリルルが、のび太から銃口を向けられ喜びを見せるシーンには胸を打たれる。メカトピアを裏切れない自分を止めてくれるかもしれない、そんな期待を逆に裏切られたリルルは、最後に命を賭けて地球人を守る。満面の笑みで駆け寄るドラえもんたち4人と対比して、一人落ち込むしずかの構図は、他ののぶ代ドラ映画では見られない本作固有のビターなエンディングとなっている。

ここまでべた褒めしてきたが不満点も多い。
過去改変における特異点の扱いが本作はご都合主義すぎる。しずかとリルルの別れによる感動を優先させるために、都合よくしずかたちは鉄人兵団の記憶を保持し、鏡面世界に入り込み鉄人と戦った歴史は消えていない。
原初のロボットを修正することでリルルも消滅するなど容易にわかりそうなものだが、しずかはそこに思い至らない。加えて言うなら、過去改変が許されるなら他の作品でも全部そうすればいい。
ラストでなぜかリルルが現代の地球に降り立っている100蛇足の演出が本当に要らない。スネ夫に「それじゃまるで天使じゃない」と発言させるなど、「リルルは天使になった」ことの強調表現がウザすぎる。感動の押し付け。

天使になったのだ

とはいえ、巨大なロボットが戦う少年心くすぐるビジュアルや、群を抜いて可愛いリルルというゲストキャラクター、激情を抱くしずか、ビターエンドと、他ののぶ代ドラ映画には見られない固有の魅力も数多く備えた唯一無二の映画であることには変わらない。



4位 翼の勇者たち

美しい空を知っているか?それは『AIR』を除けば『翼の勇者たち』で知ることができる。

とにかくこの映画は荘厳でいて美しい。それはこれまでのドラ映画から一転して重厚なタッチへ変わったポスターからもうかがい知ることができる。

https://images.app.goo.gl/cnkV4Q2bbeQ7RRGM7

神聖によって描写される荘厳はOPで遺憾なく発揮されている。叶うことならここにOP全てのカットを載せたい、それほどまでに『翼の勇者たち』のOPアニメーションは象徴的で美しい。

「翼」から連想される天使による神聖は容易に聖書と結びつく。OPにも表れているように本作のメインシナリオも象徴的で神話的なものになるだろうと期待したが、実のところ神話的モティーフはどうでもよくて、どこまでも、どこまでも泥臭いゲストキャラクターこそ本作の魅力の大部分を占める。

泥臭いゲストキャラクター

「勇者」という単語もまた容易に「ゲーム」を連想させる。本作における「勇者」がなににあたるかというと、それはタイトル通り翼を持つものたちであり、そこにはゲストキャラクターも含まれる。ドラ映画といえばドラえもん、およびのび太が勇者的ポジションに立って、巨悪を打ち滅ぼすことで成立シナリオが多いが、本作はのび太たちが物語のメインとなる「イカロスレース」を中心に、一歩引いた立場からゲストキャラクターをサポートしていく。他にも、政治的に追い詰めてくる敵、賢人に助けを求めるストーリー、親子によって宿命づけらた関係と、まるでRPGのようなシナリオが紡がれる。メインキャラであるドラえもんたちの立場からゲストキャラクターを丁寧に描く本作は、あたかもインスタント製品かのように粗雑にキャラクターを扱う他のアニメと比較して見応えがあった。

ゲストキャラクターをサポートするのび太

前述したように本作は「イカロスレース」という翼を持つものたちのレースを中心に、以前と以後で分けることができる。

のび太は空を飛ぶために自作の翼を作るが当然飛べるわけがない。何度も挑戦しているところ、鳥人たちの住まう別世界・バードピアから鳥人・グースケが人間界に迷い込んでくる。グースケは鳥人でありながら空を飛ぶことができないというコンプレックスを抱えていたが、代わりに人力飛行機を自作することでフライトを可能にしていた。故障した飛行機を修理し、再びフライトに挑戦するグースケだったがその時現れた時空の穴に居合わせたジャイアン、スネ夫もろとも巻き込まれる。グースケたちの後を追って時空の穴に吸い込まれたドラえもんたちの行きついた先は、グースケの故郷バードピアだった。

美しいバードピアの風景

バードピアに到着するや否や、ドラえもんたちは人間界の住人であることを理由に警備隊に取り囲まれる。カラス警備隊に捕まったジャイアンとスネ夫は警備隊の長官・ジーグリードによって処刑宣告を受ける。

処刑宣告するジーグリード

ひみつ道具「バードキャップ」を被ることで鳥人に化けたドラえもんたちはジャイアンを救出し、グースケの親友であるホウ博士からバードピアの情報を得る。ホウ博士は「ジーグリードは人間嫌いであること」「人間界の鳥類を保護する『渡り鳥パトロール隊』の存在」「バードピアにそびえたつ大木・止まり木にはいまだかつて誰も頂上に到達したことがないこと」などを聞かされる。

止まり木

賢者としてのポジションに立つホウ博士の存在や、不可思議な塔の役割を果たす止まり木など、ここでもRPGに必要な要素が散見される。

「渡り鳥パトロール隊」の入隊試験である「イカロスレース」開催の時期が迫って来た。グースケはパトロール隊への入隊を望んでおり、そのために人力飛行機で飛ぶ訓練を重ねていたのだ。しかしグースケは鳥人にも関わらず飛べないことを鳥人の少年・ツバクロウたちからいじられるのだった。

ツバクロウにいじられるグースケ

イカロスレースは本作最大の見せ場である。圧倒的な作画力と実際の鳥類を思わせる飛行描写は『ワンニャン時空伝』のカーレースと同等かそれ以上の迫力を誇る。

イカロスレース

時間にしてわずか6分間のレースだが、鳥人たちは6分間をぶっ通しで飛び続ける。最終的にレースはグースケとツバクロウの一騎打ちとなり、ツバクロウはグースケに対して「卑怯だぞ!そんな道具を使って楽しやがって!」と不満を漏らすが、直後にグースケの表情を見たツバクロウは息をのむ。

息をのむツバクロウ

イカロスレースの6分間の中に鳥人たちの全生涯が賭されている。誰が見ても歴代屈指の名場面であり、言ってしまえば『翼の勇者たち』の魅力の全てがここに詰まっている。

止まり木に羽を挿すことで勝敗を決する

ということでイカロスレース以降は転がり落ちるようにおもしろくなくなる。ここではもはや詳細を記さないが、「進化退化銃」で進化したフェニキアはどう見ても非理性的な退化した恐竜にしかみえない。フェニキアへの対処方法が「宇宙が生まれる前の時間に飛ばす」とあまりにも雑。「スモールライトでめちゃくちゃ小さくする」という現実的な案もドラえもんはなぜかすぐに諦めてしまう。そもそも敵がなぜフェニキアを操ることができると考えていたのかが不明。グースケがトラウマを乗り越えて飛べるようになるシーンは非常にあっさりとしていて感動できない。タイムマシンに内蔵しているショック砲でフェニキアを倒そうとするのも解決策と微妙すぎる。火事を収める手段として洪水レベルの濁流を流すのも旧約聖書的なオマージュをやりたかっただけ感がぬぐえない。最後までイカロスのなにがイカロスなのかわからない。

萎える聖書モチーフの洪水

と、後半の不満点は非常に多い。バードピアに迷い込んでいたしずかの飼い鳥・ピーコを鳥人にしてしずかを助けさせたり、中盤でツバクロウとグースケの関係性を深堀しておいて後半にツバクロウにグースケを助けさせるなど、それやっておけば絶対にアツい単発火力の高い展開をことごとく取りこぼしているのも残念。

しかし、全体的に荘厳で神聖な空気感、にもかかわらずどこまでも泥臭いグースケのレースはあまりにも美しい。この一点で4位にしてしまっとるし、他の全部に目を瞑った。イカロスレースだけは絶対に見た方がいい



3位 ねじ巻き都市冒険記

世間の評判は今一つだが鉄の意志で3位。15回は見た。思い出補正は多分。

いつも通りジャイアンたちに対して「牧場を持っている」と嘘をついてしまったのび太。そんな折、ドラえもんが福引券の外れ商品で使い物にならない小惑星をいくつか手に入にしたことを知る。ダメ元で片っ端から小惑星を訪れるのび太。ジャイアンたちがのび太の下に集まり、最後に残った星の番号をどこでもドアに告げると、ドアの向こう側は牧場というには広すぎる、雄大な大自然の広がる惑星だった。ひみつ道具「生命のねじ」を使って各々のぬいぐるみに命を吹き込むのび太たち。星の開拓をはじめ、「ねじ巻き都市」を作り上げたのだった。そんなある日、一人の脱獄囚が野比家に入りこみ、どこでもドアに手をかける…

星を開拓するドラえもんたち

おわかりいただけただろうか。通常、ドラ映画では主人公であるドラえもんとのび太に対置した巨悪が設定され、ドラえもんたちは打倒、巨悪を目指して冒険を繰り広げる。それでは本作における巨悪に何が位置しているのかというと、ただの、日本の、一犯罪者なのだ。

前科百犯て

未来から来たわけでもない、特別な力を持っているわけでもない、仲間を大勢ひきつれているわけでもない、拳銃を一丁携えているだけのただの犯罪者・熊虎鬼五郎が巨悪として機能しているのだ。

加えて『ねじ巻き都市冒険記』ではドラえもんがナーフされる、つまるところひみつ道具の使用が制限されることがない。
この、ドラえもんと巨悪の圧倒的なパワーバランスのアンバランスこそ、本作が他のドラ映画と決定的に異なる点だ。

しかしこれではあまりにも戦力に差がありすぎる。そこで本作がとった巨悪の増強の手段が「犯罪者のクローンをめちゃくちゃ生成して数でゴリ押す」というめちゃくちゃなパワープレイなので凄すぎる。

クローン鬼五郎

おもちゃの住人、テンプレート的な犯罪者とコメディーな要素が多い映画だが、雰囲気は始めから最後までシリアスを纏っている。鬼五郎が複製され、同じ顔がめちゃくちゃ並んでいるのでともすればギャグアニメになりそうだが(SFギャグアニメではあるが)、音楽によってしっかりとシリアスな場面づくりがされている。

クローン鬼五郎を纏めるコピー元鬼五郎

熊虎鬼五郎のコピーはそれぞれ個性があり、知能が低いものや一人称が「わたし」な者が入り混じっている。中でも「ほくろ」と呼ばれるコピーは鬼五郎のコピーとは思えないほど優しい性格をしており、意図的にしずかを救ったり、コピー元の鬼五郎の悪逆に心を痛める。鬼五郎の中にもほくろのように無邪気で優しい人格が眠っていることを表しており、鬼五郎を一面的に「悪」だと決めつけない奥深さが垣間見える。

ほくろ

見てきたように巨悪の配役が独特な本作だが、それ以上に『ねじ巻き都市冒険記』を異色たらしめる要素を紹介しなければならない。

なんと本作、普通に、神が登場する

種まく者

崖底に落ちたのび太は、そこでこの世界の植物の創造主である『種まく者』に出会う。種まく者は当初、のび太たちを追い出そうとしたが、のび太たちの優しさを垣間見て、この星の植物に受け入れられたことを説明する。

種まく者はある時は青年の、ある時は老人の姿をとり、またある時は鎧武者、カブトムシ、戦車などあらゆる姿に変容する。

種まく者のかたち

種まく者によって追い詰められる鬼五郎たち、同様に、種まく者の正体を知らないドラえもんたちはコミュニケーションの取れない種まく者の脅威を遠ざけるために鬼五郎たちと共闘する。

鬼五郎たちと共闘するドラえもんたち

のび太は崖底で種まく者に救われ、ドラえもんたちと合流する。植物の意志を尊重する種まく者の意図を知ったドラえもんたちは、この星の植物を守るために、鬼五郎たちと戦う決意を固める。

武器を取ったぬいぐるみたち

基本的にドラ映画では全ての登場人物を「善良な市民とゲストキャラクターが味方で、それ以外が敵」というふうに、敵/味方に分類することができる。種まく者のように敵でも味方でもない、ただそこに在る大いなる存在が登場するという点で本作は圧倒的に異色だ。

例えば『竜の騎士』では「洪水」という自然災害が敵/味方のカテゴライズから自由な大いなる存在として機能している。しかし『ねじ巻き都市冒険記』の種まく者はコミュニケーションが可能なインターフェースを備えている。ドラえもんたちの中の価値観で決される善悪二元論ではなく、大いなる存在の意志のもとで行われる戦いは他ののぶ代ドラ映画に類を見ない

全ての人間を残して別の星に旅立つ種まく者

物語のラストでコピーされた鬼五郎たちがまとめられ、元の鬼五郎が生成される。そこで現れたのは、ほくろの人格を宿した熊虎鬼五郎だった。鬼五郎は「おれ、地球に戻って自首するよ」と残して一人星を去る。

1人に戻った鬼五郎

配役の点で圧倒的に異色な本作。勧善懲悪、環境破壊批判がテーマであることには変わりないが、その伝え方に類をみない工夫が凝らされていた。主題歌の「Love is you/矢沢永吉」もマジで神曲。ありがとう、永吉。



2位 ふしぎ風使い

ドラ映画で唯一泣いた。27歳成人男性がガチ泣き。

スネ夫宅の庭に迷い込んだ卵から台風の子供が孵る。必死に捕まえようとするスネ夫だったが、台風の子はのび太を気に入り、のび太の家に住み着く。「フー子」と名付けたのび太は、フー子が存分に動き回ることができる、どこか広大な高原にドラえもんとしずかを連れて出かけることにする。たどり着いた「風の村」の民・テムジン達と仲良くなったのび太たちは、風の民が嵐族と対立していることを知る。嵐族の長・ウランダーはスネ夫に憑依し、フー子を奪おうとするのだった。

嵐族によって操られるスネ夫

『恐竜』以来、23年の月日を経て再び人語を話すことができない生物がゲストキャラクターとして最初から最後まで行動を共にする。

「台風の子供」として産まれたフー子だが、ドラえもんとのび太によってぬいぐるみの姿をあてがわれることで感情移入するのに十分な可愛さを獲得する。

マジで可愛すぎ

おてんばだが素直なフー子は本気可愛い。のび太のことを心から慕い、まるで妹と対するようにフー子を扱うのび太との間には他ののぶ代ドラ映画にはない特別の関係が築かれる

「○○ジン」で統一されたゲストキャラクターの名前や、伝統となっていることを思わせる衣装や小道具、村に根付いている的当てゲームなど、「風の村」のディティールは細かく、普段の街とは違うどこか異国の世界として十分機能している。

風の村
風を利用した的当てゲーム

そんな異国の国で、『銀河超特急』ぶりにスネ夫が敵に乗っ取られる。ウランダーははるか昔に封印された怪物・マフーガを復活させるためにフー子が必要だったのだ。
敵の手によって四次元ポケットを奪われたドラえもんたちは苦戦を強いられる。しかしのび太は命懸けでフー子を守るために奔走する。

フー子を守るために奔走するのび太

フー子の身体を守ることには成功したが、紆余曲折あってマフーガが復活してしまう。強大なマフーガの力を前にしてドラえもんたちは成す術がない

マフーガ

そんなドラえもんたちの窮地を察してフー子は自分の身体を犠牲にしてマフーガを消滅させる道を選ぶ

灼熱を纏うフー子

火山口を下り、灼熱を纏ったフー子は単身、マフーガに勝負を挑む。やめるように叫ぶのび太だったが、最後はフー子の勇姿を尊重し、涙を流しながら頑張れと激励を送る。

「頑張れ」と叫ぶのび太
マフーガと戦うフー子

フー子の活躍によってマフーガは消滅し、雲の裂け目から光が刺す。のび太が見上げた先では、物言わなくなったフー子のぬいぐるみが静かに落下していた。

のび太はフー子を抱きかかえ、すっかり青くなった空の下、一人で涙を流す。

「どうぞ泣いてください」と言わんばかりの感動シーンでしらけるという批判意見をよく目にするが、正直これで感動できんかったらなんなら感動できるん?と思う。緻密に描かれたフー子との絆を深める描写、そしてフー子の自己犠牲の精神、神聖すら感じるフー子の落下シーンと背中で泣くのび太。これで感動せんってマジでなんだ?


マジでなんだ?


とべた褒めしてきたが実際不満点も多い。
敵は未来から来ているくせになぜか現代の力を使って世界を征服しようとする回りくどいやつで意味がわからない。現代を舞台にしている割にはあまりにも現実離れした生物や技術がまかり通っているので違和感がある。フー子なしでマフーガが復活できた理由が弱い。のび太の泣くシーンから決着までが早く余韻がない。当時のテレビアニメ版のエンディングテーマを起用しているので映画とあっていない。エンドロールで視聴者応募のイラストが流れるなどなど。

稚拙なイラスト

しかし、もうどうしても、泣いてしまったから、この映画は2位。それ以上の理由は必要ない。

どうでもいいけどこの頃は上映前になるとドラえもんのテレビアニメ内で特番が設けられて映画の舞台にキャラクターがリポートに行ったり実際に映画で登場する小道具や大道具を再現する企画が放送されていてめちゃくちゃ楽しかった。パーマンと一緒にクイズバトルするやつとか大好きだった。わさびドラになってからなくなったけど。


1位 宇宙小戦争

なに?

マジでこれなに?

マジで急にメイヤーのライオンロゴをジャイアンがオマージュしたシーンが流れてからOPに突入する。この映画は、何かが違う。

ドラ映画6作目と古い映画だが完成度は折り紙つき。洗練されたタクティクスとしずかの激情によって堂々の1位

スネ夫たちが特撮映画を撮影していることに対抗してのび太はしずかを誘いひみつ道具を用いて映画を撮影することにする。しずかの意向でメルヘンな映画を撮ることになったドラえもんは、ひみつ道具を使いしずかのぬいぐるみを動けるようにしたが、ぬいぐるみはどこかへ去って行ってしまう。一方で大掛かりな撮影を行うスネ夫たちだったが、録画した映像を見返すと不思議な生物がうさぎのぬいぐるみに乗っている奇妙な姿が映し出されていた。不思議な生物の正体は親指ほどのサイズの宇宙人・パピだった。パピと友好を深めるのび太たち。その頃スネ夫の家では光線を発する飛行艇が入り込み、戦闘を繰り広げていた。パピはピリカ星から亡命してきた大統領であり、ピリカ星でクーデターを起こした反乱軍によって追われていた。パピを守る決意を固めるドラえもんたちだったが、ドラえもんたちがスモールライトで小さくなっている間にスモールライトを奪われ、しずかを人質に取られてしまう。パピはしずかの身柄と引き換えに自ら敵の手に落ちてしまう。

前述したライオンロゴのように、本作は映画のオマージュが非常に多い。「ドラ映画らしい映画」ではなく、「映画の流儀で作り上げられたドラ映画」といった内容になっている。

キング・タヌキ

なぜひみつ道具を使うでもなしにスモールライトで小さくなった上でプラモデルの戦車に乗り込んで戦う選択をしたのかは不明だが、「小戦争」というタイトルが表しているように、自分たちが小さくなり、相対的に巨大化した世界の中で戦う世界観は日常が戦場に一変するわくわく感を大いに感じることができる。

戦車のプラモデルに搭乗するドラえもんたち

戦車等のプラモデルを使って戦争を行う以上、どうとでもなるひみつ道具を使った戦闘とは異なり、敵を知り、味方のリソースを管理して戦うためのタクティクスが求められる。そう、これは1から10まで戦争の話なのだ。

パピの星には政治があり、法廷があり、反乱がある。捕らえられたパピは法に照らし合わせ死刑の判決が下る。パピ奪還に燃えるドラえもんたちだったが暗号が解読され、発信地が特定されるため通信機が使えない。同盟軍の下に向かう道中、戦闘艇を撃墜したドラえもんたちだったが、ドラえもんたちが撃墜した戦闘艇は、破壊すると発信機をばら撒く罠が仕組まれていた。これによってドラえもんたちの会話は筒抜けとなっており、ドラえもんたちの持つ情報のほとんど全てが敵に公開される。敵はあえてドラえもんたちを泳がせることで同盟先の組織もろとも殲滅する作戦を立てる。

全て筒抜け

と、少し見ただけでも他のドラ映画の行き当たりばったりな戦闘とは異なり、タクティクスに基づいた戦争が行われていることがわかる。依然、なぜプラモデルに固執するのかは不明だが、道具を使う場合も有効範囲や期限といったリソース情報をしっかりと提示している。ドラえもんたちが戦闘兵器を使った戦争をする場合、どう考え、なにが行われるのか、緻密なシミュレーションを見ているようで面白い。

有効期限を考慮に入れた道具選び

『宇宙小戦争』には二つ、圧倒的な見せ場が存在する。

まず一つ目はドラえもんがクーデターに反乱するレジスタンスの地下アジトを訪れるシーン。スモールライトさえ取り戻せば敵を蹴散らせることを説明し、士気を上げる。一同が湧きたつ中、モブキャラの一人がギターを手に取り、神曲「少年期/武田鉄矢」を歌う。戦争の最中に流れる一つの旋律。あまりにも正しい。

神モブ

二つ目、敵によって発信源が特定され「相手は何百だよ?敵うわけないよ」「だから僕は初めからこんな星に来るのは嫌だったんだよ」と絶望するスネ夫、スネ夫の弱音を聞いたしずかはゆらりと身体を傾け泣きながら戦車の搭乗口へと向かう。

揺れるようにして走り出すしずか

「そりゃ、わたしだって怖いわよ」「でも、このまま独裁者に負けちゃうなんてあんまりみじめじゃない!」と本心を吐露するしずか。たとえ勝てないとわかっていても、死ぬかもしれないとわかっていても、なにもせずに死ぬくらいなら最後まで足掻いて死ぬべきだとしずかは本物の兵士の意地を見せる。しずかの本気にあてられたスネ夫は「女の子1人を危険な目に遭わせられないし」と後を追い、命を賭けて戦う。

死の覚悟


『鉄人兵団』でも見てきたように、争いを嫌うしずかが何かを守るために武器を手にする展開は本当にアツい

最終的にスモールライトの効果が切れて巨大化したしずかたちの手によって一方的に蹂躙し勝利を手にする。緻密なタクティクスを全て無に帰してパワーで無理矢理片づけるエンディングはトンチキで意味不明さが面白い。

巨大しずか

ゲストキャラクターは素直で可愛く、シナリオはタクティクスに基づいて練られており、しずかの激情が伴う見せ場ありと、非常に満足度が高い映画。単発火力でいくと他のドラ映画が優るシーンがいくつもあるが、総合的に『宇宙小戦争』が最も良いもの観れたという気持ちにさせてくれた。




S 宇宙小戦争
A 風使い
B+ ねじ巻き 翼の勇者 鉄人兵団 南海
B 夢幻 ワンニャン 海底 太陽王 宇宙漂流記 創世
C+ 雲 パラレル 竜の騎士 宇宙開拓史
C 魔界 日本誕生 銀河 ドラビアン
D+ ロボット 大魔境 恐竜
E ブリキの迷宮 アニマル惑星(ニムゲ総長を除く)

Tier

以上です。お疲れ様でした。

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