_とりあえず生_と_言いたい人生だった-2

「若さ」という魔法が解ける瞬間、自分にはなにが残るんだろう

1991年生まれのわたしは、2018年11月28日、27歳になった。

誕生日とはいってもワクワクした気持ちはなくて、むしろ「不安」とか「焦燥」とか「困惑」とか、そういう気持ちのほうが大きかった気がする。

だから、すでに27歳になっている友人にこのモヤモヤを共有しようと、誕生日を祝うLINEに「27歳って怖いよね」と返事をした。しかし返信は「病んでるの?笑」というそっけないもの。

どうやら、27歳の人間みんながわたしのように「27歳」に怯えているわけではないみたいだ。

でもわたしは、「27歳」という年齢が怖くてしょうがない。

自分が27歳だという現実をどう受け止めればいいかわからなくて、「27歳」が消化不良のままお腹の底にひんやりと漂っていて、どうにも落ち着かない感じ。

27歳って、どうやって生きればいいんだろう?


15歳。わたしが中学3年生のとき、亀梨君と赤西君が出演したドラマ『ごくせん』が空前の大ブームだった。KAT-TUNが『Real Face』でデビューした年であり、レミオロメンの名曲『粉雪』がリリースされた年でもある。

制服のスカートを短くして、友だちと手紙交換をして、メールでは「ありがとう」を「ぁレノカ゛㌧」と書いて。そうそう、当時はキャリアがちがう携帯にメールを送ると、絵文字が文字化けしたんだよ。あと、LOVE定額のためにドコモとボーダフォンの携帯を2台持ちしていたなぁ。中坊のくせに生意気だ。

人並みに恋なんてものを経験して、友だち関係に悩んで、高校どこにしようかなぁなんてぼんやり考えて。

わたしは、ごくごくふつうの15歳だった。


18歳。オバマ氏がアメリカ大統領に就任した年、日本はAKBブームまっただなか。そんな世の中を横目に、高校3年生よろしくマジメに受験勉強をしていた。

朝早く起きてパソコンで1.5倍速の東進の授業を見て、お母さんが作ってくれたお弁当を持って、電車で高校に向かう。今思えば、よくもまぁ最高気温3℃の日も平然とした顔で短い制服のスカートを履けてたよなぁ。若いってすごい。

学校での授業中も単語帳を開いて勉強して、授業後は友だちとダラダラしゃべりながら塾へ行く。家に帰ったらお風呂には温かいお湯がはってあって、ダイニングテーブルには栄養バランスのいい夜ご飯が並んでいて。夜は世界史の暗記をしてベッドにもぐる。勉強のおともはミスチルとアンダーグラフ。気晴らしはニコ動。


20歳。2ヶ月後に東北で大震災が起こるなんて夢にも思わず、青い振袖を着て成人式に行った。わだかまりがあった高校の同級生とも何気ない顔で写真を撮れるくらいには大人になっていたけれど、まだまだ自分は子ども。そんな感じ。

ただ、「成人」という響きには結構満足していた。「年齢確認怖くないぞ!」って息巻いて居酒屋に行ったのを覚えてる。

たいしてお酒に強くもないのに、安い居酒屋で無茶な飲み方もした。オールしたまま1限に行く自分カッコイイ、みたいな。あるよね、そういう時期。

大学2年生らしく、バイトをして、たまにサークルに顔を出して、ちょっと恋愛なんかも楽しんで。……嘘、残念ながら、恋愛にはあまり縁がなかった。それでも、ごくごく一般的な大学2年生だったのはまちがいない。

大学生というモラトリアム期間を楽しむことに、なんの罪悪感も、疑問も抱かなかった。


22歳。大学卒業の年。ほとんど授業がない大学4年生の後期は、週40時間のフルタイムバイトをしてお金を貯めていた。

たまに大学で顔見知りに会えば、「卒業したら社蓄だよ、やばくない?」なんて笑いながら、卒業旅行はどこに行こうかと旅行サイトを眺める。「ついに大人になるんだ」とソワソワしつつ、ちょっぴり不安もあった。

ちなみにこの年、『半沢直樹』が放送され、東京オリンピックの開催が決まっている。もう5年前ってまじかよ。


25歳。ドイツでウダウダと遠回りしていたわたしはみんなより一歩遅れて「社会人デビュー」を果たし、ライターとしての生活を始めた。

社会人3年目の友人たちはこのあたりからぼちぼちと転職しはじめていて、「そろそろ結婚を考える年だよねー」なんて言いながら、学生のときよりちょっとイイ居酒屋で乾杯。学生時代では終電逃したら友だちの家で雑魚寝がふつうだったけど、25歳にもなると「最悪タクシー使えばいいかな」という考えにシフトしていた。

まだ20代半ば。社会に出たばかりのひよっこ。自分の人生をはじめて主体的に考えるようになる年齢で、失敗しても、「まぁまだ若いから」と言ってもらえる。

全然余裕。人生、これからだ。

そう、思っていたのに。


2年後の現在、わたしは「27歳」という呪いに縛られている。

大卒であれば、社会人5年目。そこそこ大きな仕事を任されてもいい頃合いだ。若いといえば若いけど、「若いから許される」はもうちょっとキツイかなって感じ。

居酒屋で酔いつぶれるには羞恥心が勝るし、体力的にもつらいし、なんなら眠くなって22時半を過ぎればぼちぼち帰りの電車が気になってくる。飲みすぎると翌日後悔するから、無茶な飲み方はしない。

Facebookを開くたびにだれかが結婚していて、名前を見ただけじゃだれだかわからないことが増えた。「だれだっけ」と見てみれば、1番新しい写真はたいてい、結婚式か生まれたばかりの赤ん坊。ああ、もうそんな年齢になったんだ。ちょっとセンチメンタルになりつつ、ちょっと怖くもなる。

だって、25歳に結婚した友人は、まわりに「早いね」って言われてたんだよ。わたしだって、「もう結婚しちゃうの!?」って驚いてた。それなのに、たった2年で「そろそろ結婚しないとね」という空気になってるんだもん。怖くもなるよ。


少し前までは、高橋愛さんや道重さゆみさんみたいな「ちょっと年上」の人がアイドルをしていたのに。いまでは、アイドルの多くが2000年代生まれなんだもんなぁ。LOVEマシーン旋風を知らない子がモーニング娘。にいるってさぁ、なにそれ。全然意味がわからない。

そういえば、ドイツに来てる留学生と知り合って年齢を言うと、留学生がすごいかしこまるんだよ。まぁそうだよね、7つも年の差あったらそうなるよね。20歳そこそこの留学生からしたら、27歳って結構な大人だもんね。こっちの気持ちは大学生ノリと変わらないつもりでいても、彼らにとってわたしはもはや「同じ世代」ではない。あーセンチメンタル。


ちょっと前までは、「まだ若いんだから」と許されていたはずなのに。「若者」であることを疑わなかったのに。急に「そろそろ落ち着かないと」と良い大人としての振る舞いを求められるようになって、ちょっと、焦る。

たしかにもう、「若い」とは言ってられない年齢だよね。アラサーだもん。

でも、じゃあ、どうすればいいの? なにをどう変えればいい? それがわからなくて、わからない自分がダメな気がして、不安になる。27歳という自分の年齢に、心が追いつけない。

ちょっと待って。ねぇ、わたし、まだ「いい大人」になりきれてないよ。
27歳って、どうやって生きればいいの?


10年前、わたしは17歳だった。

となりの席の男の子が好きで、四六時中メールする口実を考えてた。みんなでココイチにご飯を食べに行ったとき彼のとなりに座れたことをmixiでそれとなく書いて、「気づかないかなぁ」なんて思ったりして。そうそう、彼は自転車通学のくせに、寒がるわたしに手袋貸してくれたんだよ。んで、その後ばっちり付き合った。すぐ別れたけどな。

ま、それはどうでもいいんだけど。

色恋沙汰で脳内が忙しかった17歳のわたしがイメージする27歳は、パリっとした服を着て、オフィスでキビキビ働いて、そのあとは居酒屋で友だちに会って「とりあえず生」と言う、色気のあるイキモノだった。

自分はチビデブのくせに、思い浮かぶ27歳はネイルして髪の毛巻いてる、お高いスーツを着こなすスレンダーな美女。ああ、もしかしたら子どももいるかもしれないな。お母さんが27歳のときって、もうお母さんだったし。じゃあ10年後、わたしもお母さんなのかなぁ。うわーやばい。

なんて、思っていたのに。


いま27歳のわたしは、パジャマで、すっぴんで、髪の毛を適当にまとめて、ソファの上でこんなとりとめもない文章を書いている。しかも暖房が突然ふてくされて職務放棄しやがった。寒いんだよコノヤロウ。

それでさぁ、「とりあえず生」どころか、まったくビール飲めないんだよね。というより、お酒全般がダメ。もうほとんど飲まない。あと、高校のときから身長は変わってないけどドイツに来てから10キロも太った。化粧も面倒くさくて全然してないし、コテの使い方もわからない。っていうかそもそも持ってない。服も暖かさ重視で「南極探検隊かな?」ってくらい着込まないと外に出ない。

就活を放り投げて、ドイツで挫折して、病気を理由に長いことダラダラと自分を甘やかし続けていて。

10年前のわたし、ごめんね、こんなはずじゃなかったよね。もっとキラキラしたお姉さんになっていたかったよね。はぁ、情けない。


「人生において20代が一番大切」なんて言葉も、何度も聞いた。でもさ、20代、あと3年で終わっちゃうんだよ。どうしよう、まだなにも成し遂げてないのに。

「いまがんばらないとダメなんだぞ」というだれかの声が頭の中で響いて「よしやるぞ」って気持ちになるんだけど、どこに向かってがんばればいいのかわからない。焦る気持ちもあるし、やる気だってある。それなのに気づいたら今日も日が暮れていて、結局なににもなってなくて。

不安でまわりを見回せば、みんなそれぞれの人生をちゃんと生きている。それがさらにジリジリとした焦燥感を煽っていく。

おいおい、お前この前まで、コールのなか一気飲みして服脱いで財布無くしてたじゃんか。なにしっぽり所帯もってんだ。なにちゃっかり昇進してんだ。そうやって焦るくせに、なにをどう変えるべきなのかはわからない。


そろそろ地に足をつけて、ちゃんと自分の足で立つべき年齢だっていうのは、痛いくらい理解してるよ。

でもそれができるのって、コツコツ足元を耕してきた人だけなんだよなぁ。

わたしみたいに「どうしよう」ってウロチョロしてた、自分に甘い人間の足元はいまだにデコボコしてて、ちゃんと立とうとしてもおぼつかない。いきなり「もういい大人なんだから」って言われても、立つべき地盤がグラグラしていて視界がブレる。それが、いままでなんとなぁーく生きてきた自分の27年間の結果。


いやね、悪い人生を送ってるわけじゃないとは思うんだよ。それなりに毎日楽しんでるし、不幸のどん底っていうわけではない。なんなら4月に結婚するし。

それでもなんだか満たされなくて、なんだか焦ってしまうのが、27歳の呪いってやつなのかもしれない。

心が追いついていないのに年齢だけが「いい大人」になってしまって、まるで自分だけが取り残されたような気分で。

「若さ」という魔法が解けてしまうその瞬間、自分にはなにが残るんだろう。


自由に生きていいだなんて、知ってる。好きなことやればいいっていうのもわかる。

でもやっぱり、もう27歳だからさ。その、なんていうの、ある程度の世間体というか、「ちゃんとした」人生を送っていたいなぁくらいには思うのよ。他人の目をたいして気にしないわたしでも。結婚して子どもをもって、って望むなら、そろそろ準備しなきゃいけないし。そうは思うんだけど、いろいろついていけなくて、勝手に置いてきぼりにされた気分になる。


ああ、本当、うまくいえなくてもどかしい。

ライターとして「うまくいえない」って書いちゃうのは完全なる敗北だけど。でもしょうがない、自分でもこの気持ちの正体をつかめないでいるんだから。ただ、27歳が怖いの。わかるかなぁ。まぁわかってもらえなくてもいいんだけど。

いや、本当は、ちょっとわかってもらいたいかな。だって27歳に怯える27歳が世界でわたしひとりだけだったら、なんだかわたし、すごいかわいそうじゃん。

ねぇ、あなただってそうでしょう。理想に追いつけていない自分にもどかしさを感じたり、怠惰でなんとなく生きてるくせに一丁前に焦ったりしてるんでしょう。

どうしたらいいのかな。わたしたち、どうしようか。


こんな象徴的で個人的な気持ち、別に書かなくたってよかったんだけど。でも書きたくなっちゃった。ずっと、「27歳」を持て余してたから。

とりあえず、暖房をなおしてくれる人が来るのをおとなしく待つとするか。それで暖かい紅茶でも飲みながら、27歳をどう生きたいのか、ゆっくり考えてみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?