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自分への否定的な見方は相手に対しての差別的な見方につながる、ということ。

私が最近ほしいもの。
それは「人間のラベルを外して、その人自身を見る能力」だ。
どういうことかというと、学歴、年齢、見た目や出身などに頼らず、その人の好きなものや何を目指しているのかを見る方法だ。自分より学歴のある人に劣等感を感じて自虐に走ってしまったり、皆が話し掛けない人に話しかけることをためらってしまうことがある。私はこれはよくないなと思っている。それを克服するためには、自分への見方を変えることが為になるのではないか、と考えている。

最近、見たYoutubeのビデオで「コミュ強の持つマインド」という動画を見た。その人曰く、コミュ強は学歴が高い人や有名人は所詮自分と同じ人間で、人間としての優劣に差はない、と考えることが出来る、そうだ。最近気づいたが、私はこの感覚を身に着けていないから、人間関係で悩んでいるのかもしれない、と思った。その人の中身を見ずに、ラベルだけ見て私なんかが、話し掛けない方がいいと思っている私がいるのだ。「私なんか」の部分は自分に対する自信の問題も大きいかもしれないが。わかりやすいその人が持っている能力やその人のラベルに頼らず、自分の行動を偏見で制限することがないようにしたいと思っている。

そして、それを成功させる方法は私が自分の見方を変えることだと私は思っている。

「デブな私がこんな服を着るなんて」
「私、英語上手じゃないし、英語話せるあの子のそばにいると劣等感に襲われるから、話したくない」
こういう批判的な自分への態度は、きっと他人にも向くのだと思う。
「デブなのに、あんな短いスカートをはいて恥ずかしくないんだろうか」
「英語話せないくせに、頑張っててなんか痛いな」

私は私、他人は他人、と考えられるならこの考えはこのようなことは起きないかもしれない。
でも、私は私、他人は他人、と分けて考えることが出来るなら周りと比べて落ち込んだりしないと思う。世の中にどれだけ自分と他人を比べて、落ち込む人が多いだろうか。
きっと、私の見方は他人への見方にも影響を及ぼしている。
だから、自分に強く当たれば、他人にも強く当たるのではないだろうか。
まずは自分に強く当たらないこと、その代わり、自分のしたいことに素直にしたがって、自分のネガティブな面にも寛大になること。さらに、世間とずれていても、好きな自分でいることにプライドを持つこと。大切にしたいな。




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