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文章を書かないと息ができないマグロらしい。

こうしてnoteで文章を書くのは
文章を書くことが好きな人だろうと思っていた。

でも自分は文章を書くことが好きなのか?と自問したが、はいと言い切れず、ずっとnoteを開かなかった。

でも今日、noteを更新することにした。

私が作文を嫌いになるまで。

もともとお話を作ったり、文章を書いたりするのが好きな子供だった。
小学校低学年のとき作文を誉められたのを、今でも覚えている。
クラスメートのお母さんに、「あましょくちゃんの作文はすごいね、続きが読みたくなる」と言われたのだった。


それから長らく、文章を書くことは私にとって、「好きで得意」なことだった。
中高時代はブログをバリバリ更新していたし、学校行事の感想文は、原稿用紙5枚の超大作だった。
文章を書くことを仕事にしたい、とも思っていた。なんなら今でも思っている。

しかし、受験で書くことから離れたあと、久しぶりに自分ブログを開いたら、どうにも直視しがたく……
単刀直入に言えば、ブログの中身を黒歴史認定してしまった。
それからというもの、「自分はイタイ文章しか書けない」と怖くなって、文章を書くことは「ニガテ」なことになった。

文しか書けないコンプレックス

一方で、私は表現したい!という気持ちの強い人間のようだ。
日々の暮らしのなかで、なにかしらアウトプットしていないと落ち着かない。
何も表現できていない、生み出せていないと、自分が空虚に思えてしまう。


ただ寝て起きて仕事するだけ、それではいけない。
何かをしないといけない。
何かを生み出している自分でいたい。


それは強迫観念というのか、コンプレックスというのか……
夫に相談したら、「マグロのようだね」と言われた。
確かにそうかもしれない。
とすると本能?
表現しないと息ができないマグロ。

本能を発散するために文を書く


私がすこやかに息をするためには、何かを生み出さないといけない……
でもその表現手段が問題だ。

楽器もできないし、絵も自信がない。
唯一私が自信を持てるのは、「いいよね」と言われたことがある、文章くらいしか思い付かない。
ここ5年ほどずっと考えての回答である。

文章を誉められたことがあるから。
最近でも、何人かの人に誉めてもらったから。
だから私は、文章を書くことがトクイ、なのだ。

(でもそれはホントに得意なの?)
(イタイ文ばかり書くでしょう?)
(ほら、これまで書いたnoteだって……)

トクイだ、と思おうとしても、こうして自己否定する自分がいる。だから、今の私にとって、文を書くことは「好き」になれない。

(こんな支離滅裂な文、誰が読むんだか……)
(一人語りは、ウケないブログの典型……)

やっぱり自分の文章はイタイと思ってしまう。しかし。

(何も生み出してない、空っぽな人間)

と息ができない日々をなんとかしたいので、今一生懸命、乱文を打ち込んでいるというわけだ。

と、本能にしたがったわけですが

ここまで書いて満足。
自分が自分を認めるために書くわけだから、イタイ文章でも仕方がない!!
うん!!ここまで読んでくださってありがとうございます!!
まとまりもつかないので、ここらで投稿ボタンを押しておくことにします!!ポチ。


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