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時を超える爆音映画祭

日曜のお台場に、ひとり。
どこもかしこも混み合っているレストラン街。
回転率のいい中華屋さんでレバニラ定食を食べている女、ここに。
楽しみなイベントの前に貧血になってる場合じゃないのだ。

2月11日にユナイテッド・シネマアクアシティお台場で行われた「爆音映画祭」に足を運んできた。
開催期間は2月9日〜18日までの10日間。
爆音上映とは、ライヴ用の音響システムを使い大音響の中で映画を見・聴く試み。

1本目に選んだのは『ゲストセレクション爆音映画祭Vol.2』なんと、上映する作品は幕が開くまでわからないらしい。
こんな経験はなかなかできない。
お金を先に払って「何を見るのか分からないもの」にドキドキと期待するんだもの。やる方も見る方もクレイジー。
企画のプロデューサー樋口泰人さんはとても面白い方で
「いつか爆音映画祭が終わるまでに、予告と全く違う映画を上映するのをやりたいんです。」
とステキな笑顔でぶっ飛んでいる野望を話してくれた。(それは私も見てみたい)
今回シークレット作品を選出したBialystocksのキーボード奏者、菊池剛さんは
「それが本当に最後になりそうですね。」
と、ピリっとコメントしていた。(通常運転)

会場が静まり、照明が落ちる。
踊るような文字で浮かび上がったタイトルは
『ビリー・ホリデイ物語』
内心、スプラッタじゃなくてほんとうに良かったと胸を撫で下ろした。もしそうだったら、最前列を取った私の心臓は持たなかったかも。

ニューオリンズのバーでビリー・ホリデイ(オードラ・マクドナルド)が痺れるような音量で歌い出すと、モノクロ世界が色に染まる。
彼女は伝説的な黒人ジャズヴォーカリストだ。
人種差別、薬物、アルコール依存、服役など、つらい出来事もスタンドアップコメディさながら、回想を交えて話す。ときに離脱反応で歌うことが出来なくなるが、パワフルな歌声とともにリアルなショーは続く。
演じているのが本人じゃないと分かったときは、オードラ・マクドナルドの説得力の凄まじさに驚いた。
まわりを振り回すあばれ馬みたいなステージは、演技というより憑依だったから。
ビリー・ホリデイが歌によって生かされ、人々を導いた姿は、ほんのひととき映画館に蘇った。バーに充満した酒臭さを感じるほどに。
爆音の拍手が、四方から聴こえた。


2本目に見たのは100年前の無声映画、F•W・ムルナウの『最後の人』(1924)

上映中、こちらの作品にリアルタイムで演奏をつけるという試み。なぜこんなにワクワクする企画を思いつくのだろう。
プロデューサーの樋口さんはキーボード伴奏を担う菊池さんに
「彼には今後、映画音楽をぜひやって欲しい。」
と期待と激励を送った。

ストーリーは、エミール・ヤニングス演じる高級ホテルのドアマンが、歳をとったためトイレの掃除人に左遷されてしまう、という話。
恰幅のよいヤニングスは、金モール(金糸で作った飾織)の制服が誇りで、その尊厳を降格によって、無理やり引き剥がされて落胆してしまう。
よりによって次の日は娘の華々しい結婚式。その門出に着ていく礼服がないので、夜ホテルに忍び込み制服を盗み出してしまう。思わず
「わかるよ、わかる。」
と頷いてしまった。
正しいことをが全てでは無い。やりきれない気持ちが込み上げること、それが人間の不甲斐なさや愛しい部分でもあると思う。だいぶ見栄っぱりだけれど。
このうわさ話は、アパートの住人によってみるみる広がってしまう。
手のひらを返し、彼をあざ笑う人々の姿は、なんら現代と変わらない。
どん底に落ちたしょぼくれた老人は、再びホテルに忍び込み、夜警に制服を押し返す。
トイレの椅子にぐったりうなだれる姿は、正気がない。
そこに先程の夜警が現れてコートをかけ、慰めるように髪を撫でる。
このやさしい手の動きこそ、作品の1番のハイライトだと思った。
静かな場面にピアノの音とともに、すーっと入り込んできた菊池さんの歌声は、その手の動きと似て、慰めや労りのようなものを感じた。
最後、このまま生きているのか死んでしまうのか解らないエンディングと思いきや「現実の人生ならこれで終わりだが…」という字幕とともに、強引な「付け足し」が入る。
哀れな老人に莫大な遺産が飛び込み、たちまち大富豪になったというのだ。
ガハハと笑って自慢のヒゲをなでつけ、夜警やトイレの掃除人に恩恵を分ける。ホテルで豪華な食事に囲まれている姿は、かなりわざとらしい。
この蛇足ハッピーエンドはだいぶ風刺が効いている。
地位や権威による幸せに、どうしたってこだわってしまう老人の生き様は、誰も治せないんだもの。
それでもぷっくりとした笑顔がなんだか憎めなくて「そういうことにしとこうね」という気分にさせる。

無声映画は、オーバーなパントマイム風の演技や、雨や光の描写、布団を叩く姿など、私たちの想像から「音」を引っ張り出して印象づける。
しかし、自分ならどんな「音楽」が合っているか考えることはあまりない。
このすっぽりと空いた白い部分に、菊池さんのピアノが入ることで、情景の解釈がグッと深まる。とくに場面へのシームレス(ほんとうに上映中ずっと弾いていた)を感じた。
台風のような不穏な風の音、迫り来るカチカチという音、シンセサイザーとキーボードの掛け合わせで、幾重にも広がっていく世界。
ひとつの場所で知らない人と同じ作品を見る、という非日常を、より「共有」にもっていく。
そして無声映画の未だない可能性を引き出していると思う。奏者により作品の感情が変わるのも本の朗読のようだ。
老人の人生が続く間、火の番を担うピアノ。時に大きくゆらめき、小さくただよう。
それは温かいともしびだった。

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