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だから会話のキャッチボールは好きなんだ

昨夜、とあるネット配信があった。
写真家でがん患者(職業ではない)である幡野広志さんと医師の大塚篤司さんが対談するイベントが新型コロナウイルスの影響で中止となったため、急遽作家の浅生鴨さんと医師の市原真さんがライブ配信を企画したものだ。

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その中で、ずっと心にモヤモヤしたものの正体が判り、一段思考を深められた気がする瞬間があった。

実はつい数日前に僕は幡野さんの著書『なんで僕に聞くんだろう。』を読み終えたところだった。
デジタルコンテンツの発信プラットフォームである「Cakes」に寄せられた幡野さんへの人生相談の中から37の記事をまとめた本である。

ツィッターのTLに読み終えた人たちの賛辞が並ぶ中、僕は“違和感”と対峙していた。
しかし、それが何によるものかが自分でもわからず感想をツイートすることに躊躇していた。

「ほぼ全ての人が絶賛する中で異議を唱えるのはバッシングにあうだろう」とか「自分だけ感覚がおかしいのではないか」とか「単に世間から評価されている幡野さんへの妬みではないか」などなどアタマの中は整理できずに混乱するばかり。

だが、このライブ配信の中で大塚さんの発したひと言で視界が開けた。
そうだ。
そうなんだよ。
この『なんで僕に聞くんだろう。』に収録されている相談とそれに対する幡野さんの回答は“短期”なのだ。
言い換えれば“緊急”とも捉えられる。
相談者がギリギリで耐えている、もしくは本人は気づいていないがギリギリの崖っぷちにいる相談に対して、幡野さんがストレートに本音を返している。

人生相談のERじゃないか?
と思った瞬間に胸のつかえが全て溶けてなくなった。

配信でも幡野さんが仰っていたが、がんであることが判明してから中長期の発想より短期の発想が増えているかもしれないとのこと。
そして寄せられる相談も超短期で変化や結果を得られるべき内容であれば、当然その回答は中長期に将来を見据えるものにはなり難い。

おそらく僕はあと10年か15年は生きるだろうし、もしかしたらもっとずっと長く生きるかもしれない。
事故を除けば、少なくともあと2年とか3年とかという意識は持っていない。
また、仕事でもプライベートでも一刻を争うような瀬戸際の状態にある友人・知人の相談を受けることはない。
たとえ相談を受けたり指導をしなければならない場面であっても、本人とじっくり話し合いを繰り返し本人が変わりたいと思うのを待つ。
そしてそのサポートをするというスタンスだ。

当然のことながら時間がかかる。
僕の指導力の問題もあるが、仕事で付き合いのある30代の比較的若い人でもそうそう簡単に変化するものではない。
さらに、新しい価値観や思考が定着するには根気強く待つことも必要になる。

大塚さんは「医師は中長期で判断を下す」ことが多いという趣旨の発言をされていたが、僕の場合はそれよりも長いスパンで相手を見ることになる。
もちろん僕自身にもやりたい事や達成したい事はある。
しかしその全てが僕が生きているうちに成し遂げられることは無いだろうと考えている。
種を蒔いて芽が出るくらいが最低ラインで、次の世代が大きく育ててくれればいいのだろうと思う。
というか、花を咲かせて実をつけさせるところまでは時間が足らない。

幡野さんや相談者の時間軸とはまるで異なる視点から見る癖がついている僕が、『なんで僕に聞くんだろう。』に“違和感”を持った理由が納得できた。

「今解決したい」、「すぐに対応しなければならない」という視点から見れば、この本は素晴らしい。
御為倒しに美辞麗句を並べている余裕などない状況に幡野さんのストレートな言葉は相談者に刺さるだろう。
たとえそれが耳の痛い、聴きたくない回答であったとしても。
それくらい幡野さんの言葉には嘘がないし、切れ味が鋭い。
にもかかわらず根底には相手を最優先とし、今の状況から少しでも抜け出して欲しいという優しさがある。
惹き付けられる人が多いのは頷ける。

近視眼はともすれば批判されるけど、明日すら考える余裕のない状況ではすごく有効で必要なものだし、僕個人としては遠近両用の視点を使いこなしたいと強く思った。
オススメの一冊です。

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解決のヒントをいただいた大塚先生、配信の企画を立ち上げてくださった鴨さん、ヤンデル先生に感謝です。