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休職になった経緯②

前回の記事はこちら↓



社長が苦手になった


私の勤めている会社は少人数のベンチャー企業(ワンマン社長)である。
お客様対応以外はすべて社長が行っており、こちらに仕事を振ることはない。
仕事を下ろしてもらおうとしても「忙しい。」と一言で
新規での仕事は降りてくることはない。
毎日同じことの繰り返し、勤続年数も3年を超えれば大きなミスもなくなり、機械的に電話を取ってメールの返信を行う。ただそれだけの毎日。
仕事場と家との往復、独身なので帰ってから誰かとしゃべることもない。
職場の人間関係が全てだったわけである。


3年目くらいにはもう辞めたいモードに入っていた。

もともと怠け気質、興味のある事以外は関心が薄い。
今の会社は「動物関係」以外で続ける意味は無かった。
何より刺激のない毎日が辛かったし、現状維持で環境を変えようとしない空気も嫌だったし、自分だけが頑張っているようで段々と虚しくなり、
徐々に先輩(上司)を避けるようになった。

転職も考えたが今の会社は業界にしては給料はいい。
(当時の年収300万くらい、昇給あり、賞与あり)
最低限の生活は出来ているし貯金もできていたし、なぜかここでマンションも買った。
マンションを買ったことでま転職の意欲が下がり
ぶら下がり社員になってしまったので、選択を誤ったと後悔している。


コロナ襲来

コロナ禍の中、うちの会社は激務だった。
衛生用品を扱っていたため、注文が殺到し電話はずっと鳴りっぱなし。
メールはたまる一方、注文が多すぎて一時発送ストップも…
そんな中、1週間交代で1人ずつテレワークが始まった。

今考えても意味の分からないテレワーク導入だ。
テレワークは社員のみで、テレワークの人がメール関係をすべて担当するので自宅でも休憩なし、毎日残業な期間もあったが忙しいのは嬉しかった。
今までが暇だったから
じゃあなんでストレスに?と、思われるかもだが…

小さい会社だが一応他の部署もあり、同じように1週間に1人交代でテレワークに入ったのていたのですが、他部署は私の部署よりも暇で
正直、メール業務だけなら2時間もかからず終わる量だった。
(コロナ禍でも業務量は変わらなかったので、忙しくもならなかった。)

そんな部署が仕切りもなく、同フロアに居るとだんだんムカついてくる。
うちは年更序列で給料も勤続年数が長ければあがり、昇給額も一緒。
業務量によって変わることがないのだからやる気も無くなる。


ストレスが体に出てきた

イライラも積り積もった頃にコロナも落ち着き、勤続9年。
イヤイヤ期も6年目に突入した。
派遣社員の教育で毎日イライラするようになり、休憩時間に倉庫で
ダンボールを思い切り蹴ったり殴ったりしていた。
ボコボコになったダンボールを自分でゴミ捨て場に捨てに行くとき
自己嫌悪に襲われた。
「何やってんだ…物にあたるなんて最低だ」とみっともなくなる。
でも相談する相手もいない、後輩には相談できないし先輩と社長がストレスの源だからだ。

夜になると必ず蕁麻疹が全身に出てきた。
お風呂に入ることが大好きで、少なからずそれがストレス発散にもなっていたのに、お風呂に入った後必ず出てたので
「風呂にも入るなってのか!!(# ゚Д゚)馬鹿にしてんのか!!(# ゚Д゚)」
と、夜中に叫んでた。隣人さんすいません。

胃痛と腹痛、慢性的な過敏性腸炎により毎日下痢。
瞼の痙攣。おまけに生理不順。倦怠感も強かったがなんとか職場には行っていたが、職場での口数は減っていった。
ちなみに、この時はまだ心療内科にはいっていない。

このころから私の態度で職場の空気が悪くなる(泣)

続きは後日

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