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セナのCA見聞録 Vol.10 いきなりチーフパーサー 前編


#はたらいて笑顔になれた瞬間


飛び始めて二ヶ月。

月末に会社のコンピューター室で翌月のスケジュールをチェックしていると、来月はリザーブではなくラインが取れていることがわかりました。

ライン(Line)とは、フライト先とその日にちが確定されている勤務スケジュールのこと。スケジュールはビッド(bid)とうシステムで、自分の飛びたいフライト先とその日にちをスケジュール表に従って全員がコンピューターで前月中の指定日までに希望を入力します。そして勤務年数の長い人から順に希望通りのスケジュールが与えられるシステムになっています。

それぞれのライフスタイルに合わせて、平日だけに飛びたい人、週末だけ飛びたい人、月前半にまとめて飛び後半はまとめて休みたい人、週の前半だけ飛び後半は週休3日を確保したい、などなど、個人個人の都合、好み、希望に合わせて毎月スケジュールを申請できるところがこの仕事の素晴らしいところ。

人気があるのは、ニューヨークやシカゴなど遠い場所で、ソウルのように近いところは一番人気がありませんでした。というのも、給与は出発してから戻るまでのフライト時間が長ければ長いほど高く、短ければ短いほど低いので、日帰りソウルのように回数を飛んでもフライトタイムが給与になかなか反映されないルートは希望を出す人が少なかいからです。結果、このルートはジュニアのなかのさらにジュニアな卒業したての私達がカバーすることがほとんどでした。

ところで、今月の私のスケジュールコードの後ろにはAという文字がついていたのですが、まだ新米でスケジュールをもらうのも二回目、システムも用語もよく把握しきっていないこの時期の私は、たいして気にもとめませんでした。ところが、近くで同じくスケジュールを確認していた友達に、「セナ、来月Aポジションになってるね。Aってチーフパーサーのことだよ。」と言われ、私は愕然としました。なんと私は来月は全てのフライトを毎回チーフパーサーとして飛ぶというのです。

「え~! どういうこと?そんなはずないよ。だってそんなリクエストしてないよ。第一、チーフパーサーって何するの? 私何も知らないよ。私が英語で機内アナウンスするの?」と不安と心配でその場で頭を抱えてしまいました。😱

翌月最初の便は成田ー北京ーソウルー成田、の二泊三日のフライトでした。

私は朝から緊張気味で、制服を着る頃になると胃がキリキリ。 

いつもより一時間も前に出勤し、スーパーバイザーからチーフパーサーの仕事内容を空いている会議室で一対一で教わり、コンピューターから北京便の詳しいフライト情報が載ったIBSという長ーいシートを印刷。これをもとに一緒に乗務するクルーに搭乗便の詳細を伝えるのです。

ブリーフィングルーム(*)では部屋の一番奥の長テーブルに付いて座り、コの字に並べられたパイプ椅子にクルー全員が集合するのを早くから待ちました。私の左隣には後方キャビンをコーディネートするパーサーが、そしてその隣にはスーパーバイザーが座りました。17名全員が揃うと、皆の目が「あなたのような何も知らない新人が、どうやってチーフパーサーをこなすの?」と興味深々に勘ぐられているような気がして手に汗がにじみました。

(*ブリーフィング:フライトの搭乗開始前に搭乗便のクルーが一同に集まり、チーフパーサーから同乗クルーに必要情報を連絡、共有する打ち合わせのこと。ここでパイロットの名前やクルーの名前の自己紹介、担当キャビンや仕事の分担、ジャンプシートの席決めなどをします。各客室の乗客数は何名で、赤ちゃんは何人、休憩を取る順番など細かい事を決めます。VIPの方の搭乗があるときも、このブリーフィング中に知らされます。)

全員が席に着くと、私は、「Welcome to the flight for Beijing everyone.」と開口一番、北京便のCA全員に向かってあいさつし、そして自分の名を名乗り、パーサーを紹介し、全員に名前の紹介を頼みました。パッパとテンポ良く情報提供をすすめ、担当ポジションや係りを決めると、スーパーバイザーに注意、連絡事項を伝えて頂くようお願いしました。乗務するクルーの3分の2は日本人でしたが、アメリカ人もいますし、また業務中の言葉は英語なので、全部英語でこなさなければなりませんでした。それだけでもかなりのプレッシャー 😑

チーフパーサーの話す番が終わると、無理やり唇の両端をあげてイの形をつくり、笑顔を押し出してスーパーバイザーからの連絡事項を聞きました。「初めてなので緊張しています。」というような不安さをあえて言葉に出すことを避けることによって、そしてちょっと強引にでも笑みを浮かべることによって、なよなよした意気地なさを自分の奥底に閉じ込めたかったのです。

そうはいっても、やはり不安だらけだったことは否めません。いつもより一つ余分にチーフパーサー専用のバックをスーツケースの上に乗せて機内へ乗り込むと、早速ケータリングのスタッフ、地上係員、整備士らから様々な情報を渡されました。

しばらくしてパイロットたちが乗り込んでくると、機長が「今日のチーフパーサーは誰だい?」とファーストクラスを見回しました。聞かれた本人の私は、貫禄もなし、年齢も低いしでチーフパーサーにはみえなかったのでしょう。

「私です。セナと言います。あなたは機長のMr. Johnsonですね。よろしくお願いします。」と挨拶をすると、機長は「ああ、君か。よろしく。今日は気流の乱れも少なくスムーズな飛行になるという予想だ。ではまた後で。」と言ってコックピットのある二階へと上がっていきました。

私はお客様が搭乗する前に確認すべき山ほどの仕事(のように思えた)に急いで戻りました。ビデオシステムをセットすることひとつをとっても、やったことがないことは手まどいます。電源を探すのに数分かかる有様です。

お客様の搭乗が始まってまもなく、機内放送を始めました。

「Ladies and gentlemen, good afternoon and welcome aboard. ~」    飛行機のドアが閉まるまで何度も出発前むけアナウンスをします。地上職員によってドアが閉められるとすぐに乗務員にドアモードを飛行用に切り替えるよう指示を流し、その直後にコックピットのキャプテンにインターフォンを入れ、乗客全員が着席しドアが閉められたこと、そしてファースト、ビジネス、エコノミークラス各キャビンの乗客数、ラップの数(座席数カウントされていない二歳未満の膝上に乗せて搭乗する赤ちゃんのこと(Lapと言う))そして乗員数の詳細を伝えました。それからすぐに安全に関するビデオを流し、それが終わると離陸直前のアナウンス。おろおろしていると飛行機は離陸してしまうので、これらは迅速に行わなくてはなりません。

飛行機が離陸の体制に入ると私はジャンプシートに座り地上職員から渡された乗客名簿に目を通しました。私はファーストクラスのサービスをメインに担当することになっているので、ファーストクラスのお客様の名前を全て覚えるよう集中しました。A1 はMr. XX, A2 は木村さん、A3、4はご夫婦〇〇、、、とフライト中は毎回リストを確認してお名前でお呼びできるよう心がけました。

離陸後数分してから再び機内サービスについてのアナウンスをし、それが終わると娯楽ビデオシステムをスタートさせます。私はファーストクラスの飲み物や食事のサービスに加え、何度もインターフォンで機内のあちこちから呼ばれ、その都度出向いては、対処に追われました。

思わぬ時間を取られたのは、General Declarationという航空機の出航許可を取得するための書類に目を通し、一枚一枚サインをする作業です。いつも通路で働いている時と違って、チーフパーサーはこんなに余計にすることがあるのかと、息をつく間もないかと思われるくらいの忙しさでした。実際私はこの便では食事をとる時間すらもてず、飲み物を時々口にしただけでした。

経験も心構えもない状態で責任者の立場にたって初めての仕事をこなすには、ある種の勇気が要求され、私はその勇気をもってがんばったつもりでしたが、それだけではやはりこなしきれませんでした。

この日、北京に無事着陸し、お客様を見送った後、私はコックピットで機長にお叱りを受けました。着陸前に機長にサインをしてもらわなければならない書類(Gendec-General Declaration―ジェンデック)という)を持って行くタイミングが遅すぎて、「サインをお願いします。」とコックピットに持ち込んだ時には既にパイロットは下降体制に入っており、着陸の準備を始めていたのです。

到着後、乗客が降りて静まり返った機内のコックピットで、機長は私に「着陸態勢で一番忙しく手の離せない時に、書類のサインをするよう頼まれては、安全に関わることで困る。これからはもっと早くもって来るようにしなさい。」と言いました。

機内サービス全般にもしっかり目が行き届いたかどうかも不安だったのに、それに加えて機長からお叱りをうけてしまった私は、深く頭を垂れて一人遅れてホテルへ向かうバスに乗り込みました。機内アナウンスを英語で行うなどというのは、マニュアルを読めばそれなりにこなせはしますが、こういう配慮だとか、先を読んで仕事をすることなどは、まだまだ全然なっていない自分を情けなく思い、また反省し、バスの中で私は力なく肩を落としました。

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