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2012年4月【萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし』出版記念トークショー


(*トップ画像はサカタボックスのフリー素材を使用させていただいています。内容には関係ありません*)
●日時:2012年4月7日(土)会場:青山CAY (スパイラルB1F)
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23(来場者に非売品ポスタープレゼントでした!) ●出演:萩尾望都 ゲスト:水野英子

会場はお二方の対談を楽しみにするファンの熱気に溢れていました。
司会は京都国際マンガミュージアムの倉持さん。両先生の作品にも精通されていてスムーズな進行が素晴らしかったです。
水野英子先生といえば、伝説のトキワ荘に集まったマンガ家さん達の紅一点にして、少女マンガ創世期を女性自身で切り開いていったまさに開拓者。
対談はその当時の話から始まりました。ともかく萩尾先生にとって水野先生は偉大な先達ということでお話は常に萩尾先生が水野先生の話を聞きたいモードで動いていたように思います。今まで何度か生で聴きに行った対談の中でも萩尾先生の口調が速かったwあと時々天然系ボケとつっこみをされる萩尾先生のお蔭で会場は常に和やかで笑いが絶えませんでした。
以下、あまりにも内容が豊富でメモも取りきれませんでしたし、全てを会話形式でまとめるのは難しいのでおおよその内容をまとめたものです。時々敬称略になってる箇所あります(失礼ご容赦)、記憶違いなどある場合もあります、その点どうぞご容赦の上でお読みください。

■水野先生デビューの頃(主に水野先生のお話)

水野先生がデビューした当時のマンガ誌は現在のコマ割のものではなく絵物語が主流だった。1955年『少女クラブ』に一コママンガと小さいカットが載ったのがデビュー。その後ストーリーマンガで「赤っ毛子馬(ポニー)」連載長編マンガとしては「銀の花びら」が最初だった。この「銀の花びら」の一回目は手塚先生の当時の連載最終話とかぶっていて、まさにバトンタッチだったことを後で知った。というのも少女マンガの創成期は手塚先生、石森先生など男性漫画家が少女マンガも描いていたのだったが、その手塚マンガを少女マンガ界で引き継げるものは水野であるということでの意味合いが込められていたと。当時の連載一回のページ数は「リボンの騎士」が6頁、「銀の花びら」は8頁だった。
*お二人の対談の後ろではスクリーンに当時の貴重な扉絵などが次々と映し出されていきます。「銀の花びら」もありました。(画像提供は「図書の家」の小西さん)*
萩尾先生が一読者としてマンガを読んでいた時期に水野先生は既にデビューされていた。
萩尾先生は「銀の花びら」連載の当時は小学校3年生で、両親が厳しかったから家でマンガを読めなかったが友達のところなどでとびとびに連載を読んだ。
戦後少女マンガの最初は男性漫画家だったけども、水野、牧、わたなべの各先生、あと今村洋子さんなどが女性の少女マンガとして登場した時代だったという話。
水野先生いわく「今村洋子さんが言っていたのだけど、男性漫画家が描くマンガでは主人公がずっと同じ服を着てるからおかしい」と。というのも主人公達に同じ服を着せてないと子供は登場人物の見分け認識が出来ないだろうという配慮かららしいが、そういうのはやっぱりおかしいよね、と。
そこで萩尾先生は「私は子供の頃貧乏な家で服も着たきり雀だったからそういうもんかと思ってた」「牧先生やわたなべ先生達の作品では登場人物がどんどん綺麗なドレスを着替えていく、お金持ちの生活ってすごいなーと思った」との突っ込み。会場は爆笑です。
「少女の憧れの世界を描いた」と水野先生。
*後ろに映し出されている主人公のドレスのドレープの美しさ!*

■マンガは子供の教育にとって悪という時代(焚書)


萩尾先生が子供の頃、ご両親はマンガは教育に良くない、バカになると言っていたし、世間でも当時マンガなど子供の教育に悪いものを燃やす焚書事件といったこともあった。でも自分にはマンガのどこが悪いのかさっぱり分からなかった、と萩尾先生。
水野「ビジュアルなものは悪いという傾向自体が日本には古来からある、画家のことだって三文絵描きなど言って蔑んだりする言葉がある。PTAなどの迫害にも関わらず子供たちがマンガを読み続けたのは他に娯楽がなく、マンガは面白いものだったから。影響力が大きいから逆に迫害もされたのだ」
萩尾「私が20歳になった頃から大人向けのコミックが増え始めた」
水野「マンガを読んでいた世代が成長してそのままマンガを卒業することなく読み続けた結果年齢巾が広くなり上がってきたので、その分高度な内容が描けるようになっていった」
「『セブンティーン』という雑誌では読者が完全に高校生以上という対象だったので、西谷祥子さんとか描いていた。自分は「ブロードウェイの星」という『ファイヤー!』という連載の前段階の作品を最初に描いた。
読者の年齢が上がってもついていける内容が描けるようになった。
結局のところ編集者も試行錯誤で自分は丸山昭さんという編集者さんが色々描かせてくれた。
「週刊誌時代になってからラブロマンスを描けるようになった、それを読者も望んでいた。この分野を最初に描いたのは自分だったが一つの時代の要求になりロマンスがなければ少女マンガじゃないみたいな流れになった。その流れは自分が作ったなと後になって思った。」
「逆に受けるものの傾向が決まってきて、『白いトロイカ』は歴史ロマンスなのでそんなのはダメと編集の方で最初反発もあったが粘って描かせて貰った」
「当時はよく洋画からの翻案を漫画化で描くよう提案されて『麗しのサブリナ』が『すてきなコーラ』に(でも映画を知らないので結局オリジナルだが)、受けやすいものを描くように編集に言われるので描きたいものを描くのは常に編集サイドとの喧嘩みたいなやりとりがあった」

■萩尾先生のデビュー当時


萩尾「低年齢向きの雑誌に描くのは没になることが多かったが、ふとしたことから小学館の編集の山本さんを紹介して貰って知り合い作品を見せたらそれまでの作品も全部買ってくれるという話になった。
当時描いていたのは講談社だったが、それで小学館に移っていいかと聞いたら簡単にいいよと言われた。
(倉持さん「あとで悔しがられたと思います!」会場でどっと笑いでした。)
山本さんの方では新雑誌を作るので描き手を探していてタイミングがよく移るのは非常にスムーズだった。

■男性主人公の「ファイヤー!」(水野英子)


倉持「男性主人公の作品は珍しかったのでは?」
水野「『ファイヤー!』はロックが描きたくって描いた。時代的にも日本でグループサウンズが人気で時事ネタでもあった。男性を主人公にしたマンガは樹村みのりさんで『雨』というのが早い時期にある。連載として男性主役にして描いたのは自分が最初なのではないかと思う」
「でも最後の方は体力的に疲れて原稿を落としてしまったりしたのもあり、予定していた最終回よりも4、5回前に打ち切られた。コミックスになる時に10ページほど描き足したがそれでは全然足りなかった」

■少女マンガの中のSF


水野「私たちの時はSFは少女マンガでは受けないから描くなと言われたが、あなたの時はどうだったのか?ラブコメなどを要求されてSFは受けないと言われた。あすなひろしさんが昔人体に寄生する話を描きたかったのにダメと言われたらその後SF映画でそういうのが来て話題になって凄く怒っていた。私たちのほうがいつも時代より先だったのに」
萩尾「『11人いる!』は山本さんがおれは少女マンガは分からないと言っていて「SF描けよ」と言ってくれたので「おおせのとおりに!」と言って描いた(笑い)。
水野「『SFマガジン』ブラッドベリが出たりして非常にSFを描きたかったが自分はダメと言われていた。週刊誌では厳しかった。ル・グインとかいいSFを書いていて自分も大人の為のSF世界を描きたかったが迂闊にも出産育児で10年くらいブランクが空いてしまいマンガ界から除外されている。今もでも描きたいと思っている。」
萩尾「テーマの掘り下げ方としてSFはとてもいいですよね、もし世界がこうだったら…と。大津波が起きて原発事故が起きたら実際にSFみたいな世界に放り込まれる。是非描いて下さい」
水野「SFというのは架空の世界を描きながら現実の問題を描くものなのだが、いつも自分が先すぎるんですよ。手塚さんもそうだけどその時点では理解されない、はるか後で影響が出てくる。」
倉持「大人になって後になってからはっと分かる、そういうことがお二人の作品には共通してますね」
水野「今は発表する場がないので自主刊行しています。」

■原稿の保存について

水野先生のデビュー当時は原稿というのは使い捨てで再録するというものではなかった。原稿はまったく返ってこず、数年前には古書店で自分の予告カットの生原稿が売られていたりした。
萩尾先生の生原稿も販売されていて(盗難だけでなく昔は人気取りの為に読者サービスプレゼントとかしていたそう。一枚山本編集長が写真に撮ってくれていてネガがあるよと言ってくれたのもある…)
(水野先生は原画プレゼントといったことは一切しなかったそうだ)
そうした原画の一枚を羽海野チカさんが偶然買っていて、出版社に萩尾先生に返却したい旨を連絡したりしたがうまく伝わらず、いつかご本人にお返ししたいと願っていた。それが漫画家になってようやく直接話が通り返却出来たという話が今回の本の対談にも記載がある。

*2012年4月11日PM10時10分追記*頂いたコメントより抜粋
≫原稿を紛失された話では、水野先生は、細かいカットだけでなく、連載の扉絵ももどっていないし、連載の第一回(連載のタイトル失念)はまるまる無くなっていて、単行本になるときに、ぜんぶ雑誌から起こした。ホワイトで修正するのに丸なん日かかかった、とおっしゃってたのが、今でもずっと悔しく思われてるんだなぁと思いました。
≫あと、萩尾先生がおっしゃってたのは「トーマの心臓」が連載中に人気がなかったので、人気取りのため、毎回の扉絵を読者プレゼントにしたため、残っていないという話ですね。それは山本さんが写真で残しておいてくれた(ので、きれいな状態でいまも印刷できる)ということでした。

当時の原稿の扱いはひどいもので、作家への返却がきちんと出来てなかったという他にも、カラー扉絵の色は勝手に出版社サイド(印刷部?)の方で付けていたという衝撃の話もあった。ちょうど後ろに映し出された水野先生の扉絵は彩色されていたが実はその色も勝手につけられていたものだったらしい。
その他ドレスが赤と黄色に襞ごとに塗り分けられていたりもあったという、とんでもない扱い。
水野「「白いトロイカ」は連載が長かったから扉絵も相当描いたがほとんど残っていない。いい絵ほど無くなっている。」「最近は原稿は生原稿では渡さずデータで渡すようにしている。竹宮さんがやっている「原画ダッシュ」あれはいい。ほとんど生原稿と変わらない精度だし、雑誌から起こした原稿もこれでだいぶ回復させたりした。」

■題字の話


萩尾先生が水野先生は題字もご自分で描いておられたという話を振られた。
水野「編集さんに任せると内容に全然合ってない感じになるので、そこも含めて物語の絵ということで描いていた。当時はその方がレタリングも要らなくて喜ばれた」
萩尾「それで自分も題字を描いていいと思っていたらダメだ、そこはイラストレーターがいるんだからと。
じゃあこんな感じで、と指定しようとしたら、ダメだゴシックか明朝しか選べない…と」(会場どっと笑い)
*カラーでも題字のフォントや指定にしても当時の印刷技術と現在の技術の差の大きさと作家さんのこだわりを理解していない部分と両方の問題があるように思いました*

■物語の構成のお話


萩尾先生が水野先生に「物語は最初から最後まで考えて描かれるか?」という質問をされると水野先生はびっしり最後まで考えてから描き始めるという答えで、萩尾先生ご自身は二作を除外したら自分もそのタイプなのだがということでその二作は『スターレッド』と『バルバラ異界』
萩尾『スターレッド』は三日後に予告を出すから考えてと言われて決まらないまま描いたらそれはサブキャラになってしまった。3回目くらいまで次をどうしようどうしようと思いながら描いて4回目くらいから最後までなんとか決まったがそれまではサスペンスを味わった」
「イメージは手から出てくるのでたくさんたくさんいたづら描きをして出てくるのを待った」
水野「自分は頭にシーンがばしっと出てくる」

■絵はどこかでならったのか&バレエの話


萩尾「水野先生は絵をどこかで勉強されたのか?」
水野「自分はまったく独学。小学校にあがる前から絵を描いていて、童謡とか歌の歌詞の状況を絵にしたりしていたようだ。作品を描くために資料を読むということはしない。好きなものをいっぱいいっぱい集めて読んだり見たりしてそれが後で作品に活かされる。それの蓄積でイメージが出てくる」
萩尾「ドレスのドレープとかどうしてこんなにきれいに描けるのかと思って」
水野「中原淳一さんの絵の影響はある。ドレープは身体の動きを表現できる。描くことで体の線とか想像できる」
倉持「萩尾先生が描く服も素敵ですが何を参考に発想されるのか」
萩尾「発想はというのは分からないが(笑い)
…バレエは好き。バレエマンガで育って当時は憧れでしかなかったが、大人になって生で見る舞台の美しさ」
水野「私もお風呂屋さんのテレビで初めて見たバレエには感動した(当時は各家庭にテレビがあるような時代ではなかった)」
萩尾「手塚先生も宝塚に影響を受けたという話がある」
倉持「バレエを見てマンガに活かす?」
水野「音楽とリズムが作品の中にある」
萩尾「バレエマンガを描こうと思ったのはレッスンを見学に行って個人個人が同じことをやっても表現が違うのでこれは面白いと思って、レッスンの場面から入るような作品を描こうと思った」

■過酷なマンガ制作の現場


水野「バレエは30代40代、いつからでも始められる。自分もそうした年齢で始めた。
運動不足になってしまうから、というのもあってバレエ教室に通って、記録を見ると「白いトロイカ」連載の頃も合間に発表会の舞台に出ていた。レッスンにも通っていたらしい。始めてみたら?私はもう出来ないけど」
萩尾「私に勧めていながら」(どっと笑い)
水野「私はもう腰を悪くしたから。「ルードヴィヒ」を描いてる時、カンヅメにされてそれもホテルとかじゃなく印刷所に連れて行かれて丸3日間。寝るのも固いところで仮眠を少し取るだけ、ずっと同じ姿勢で描き続けてそれだったから終わった後腰を痛めて。椎間板ヘルニア。10年以上前の話だけど。腰は痛いし足もずっとしびれっぱなし」
萩尾「それはひどい。原稿を落としたほうが良かったですよね」(笑い)
水野「マンガを描くって体力が要る。1に体力、2に体力、3に体力。才能なんて二の次」
倉持「最盛期で月に何枚くらい描かれていたんでしょうか」
水野「一番最高で1週間で64枚、1週間で仮眠したのは6時間・・というようなほとんど寝ないで描いていた時があった」
萩尾「週刊誌時代の「トーマ」の時は6日ネームやってて絵は残りの24時間で上げる」(えええー!?と会場笑いとどよめき)
水野「私も「白いトロイカ」の時に一日に16枚上げたことがある」
萩尾「今では考えられないけども、当時は描いていていよいよとなると加速装置が入る(笑い)
*注*加速装置というのは萩尾先生が好きな石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」の主人公・島村ジョーの持っているサイボーグ機能のことです*
一番描いた時に一晩で15枚、先に扉絵上げてるから正味14枚描いたのが最高。下絵に30分、ペン入れ30分。
今は出来ません、一日に1、2枚。」
「作品によってキャラクターのバランスが違う。手がそれをマスターしてくれるまで時間がかかる。新連載の最初の内は」
倉持「カラー原稿は楽しんで描かれるんですか?」
水野「うまくいくと楽しい」
萩尾「嫌いじゃないけど時間がかかる。色の選別が分からなくて難しい」(ここで会場からは、えええ?という雰囲気、あの美しいカラー絵の数々を描かれてる萩尾先生なのに、という感じ)
水野「時間はかかりますよ、色を選ぶのは難しい、時間はかかる。昔は子供が見るものというのできんきらきんが好まれた。当時は少し地味な絵だとダメ出し、受け取っても勝手に色を付けられていた。ひどい時はドレスのドレープに赤と黄色を塗り分けられたりしたことがあった」(会場から衝撃の声)
「なんとか修正したいと思っても直せないんですよ」
萩尾「スキャンして画面上で直した方がいいかも」
水野「今ならそういう技術もあるんでしょうね」
倉持「萩尾先生は自由にやらせてもらったんですか」
水野「少女マンガももう成熟期に入っていたから。山岸さんも渋い色を使う方である時山岸さんが使っていた色の感じを見て、どうしてそんな色が使えたか?と聞いたら、普通に受け取ってくれましたよと言っていた。
時代の差ですね。」

■画材やらペン先やらのお話


萩尾「最初はルマのカラーインクを使っていたのだけど製造中止になってしまって。ペリカンだと乾くのが速くてちょっと追いつかない」(*注*このあたりメモが曖昧なので聞き取り違いがあるかもしれません)
水野「さくら水彩はあまり手に入らないけど透明でキレイな色彩。カラーインクはあまり使いません、ブルーは綺麗だけど。」
萩尾「カラーは苦手。カラーインクと水彩を合体で使っています」
倉持「よく廃番になる画材とかあって苦労される話を聞きますが」
水野「ペン先が今まで使い慣れたものがなくなるのできつい」
萩尾「タチカワのペン先を使っていたけども腱鞘炎で止めて、それより柔らかいゼブラのを使っていたのだけどそれも段々きつくなって今はニッコーのGペンに変えました」
水野「私はGペンは使わない」
萩尾「Gペンでなければなんですか?」
水野「カブラ さじペン・・」(*注*4月10日AM10時50分マイミクさんよりの情報で「さしペン」を「さじペン」に訂正しました。形状からの名称だそうです)
萩尾「きゃあー、カブラ さじペン!!」(*このあたりの萩尾先生の反応が非常に面白かったのですが、なにぶんペン先の知識がないので意味がもう一つ分からないのです、たぶんカブラのさじペンを使うのは非常に難度が高い?固いペン先ということなんでしょうか??)
倉持「水野先生はマンガの描き方を説明する画像をDVDで販売されているんですよね」
水野「自主制作なのでHPから通販してます」

水野「指の骨がもう曲がっているんですよ。」
萩尾「カブラも試したけど筆圧が弱いから線が引けない」
水野「ペン先の種類にも拠る。紙質にも拠る」
萩尾「紙はケント紙をまとめて買っています」
水野「昔の紙でプロの画家用のはずっと質が落ちないが、今のは3年くらいでダメになる。昔の絵のでホワイトは落ちないが、今はパラパラ落ちてくる。」
萩尾「落ちないホワイトを開発してほしい」
水野「「星の竪琴」とか「白いトロイカ」とかのホワイトは今も落ちない」
萩尾「スクリーントーンも落ちる、セロテープの部分は変色する」
水野「だからセロテープは貼らないようにして、最低限にしてと言っても編集サイドはやるから。今はデータで渡すなどして自衛するしかない」

この辺で時間が来て、残り時間で会場からの質疑応答の時間になりました。

■会場からの質問■

質問1 これから先の少女マンガはどういう感じに?この先どういうマンガが受けると思うか?
(すみませんが質問内容をメモ取り損ねました;違っていたかもしれません)

萩尾「70年代のマンガは読者が広がったという点でジャンルが多様になったが、これからも時代時代でいろんなジャンルが立ち上がっていくと思う。
昔は両想いになってハッピーエンドというのが主流だったけども、今は韓流ドラマみたいにいろんなあり方に変わった。ジャンルも心情も時代時代で変化している。」
水野「私はもう今は分からない。バラバラにみんなが好き勝手に描いている感じがする。自分は今は描く場所がないので自主刊行をやっている」

質問2「11人いる!」が好きなんですが、どういうところで思いつかれたか?
萩尾「宮沢賢治の「ざしきぼっこ」という話がある、シンプルだけどとても怖い話。それが元になっています。
高校の時にタイトルも含めて思いついたが当時は11人のキャラが描き分けられなくて6,7人目から全部同じ顔になってしまった。いつか描いてみたいと思っていた。今はもっとこういうキャラも入れれば良かったなと思いつく。

質問3「ポーの一族」についてエドガーをもう一度描いてほしい
水野「ポーはいい作品、ファンの人が窓を開けて寝る、エドガーが来てくれないかと思って、という話をしていた」
萩尾「もう同じキャラクターを描こうと思っても描けない。キャラクターは生ものなんだなと思うのだけど、エドガーのいとこかはとこかくらいの感じなら描けるけど(笑)
20代の時にエドガーは好きなキャラだったけど30代になったら分別が付いた分、生意気なガキと思ってしまった。その途端エドガーがさようなら~と手を振って遠ざかってしまった。(会場はどっと笑い)
あー、分別なんかつかなきゃよかったと思うが一度ついてしまったものは捨てられない、さびのように落ちない。
なので描けないのです。
質問4「一日何時間くらい?」
水野「今はもう比べものにならない。最盛期は一日1時間しか寝ない日もあった。同じ姿勢でずっといるのがいけない。首の骨と指の骨が曲がっている。お医者にスポーツ選手並みの曲がり方だと言われた」
萩尾「そんな自慢をしても(笑)」
水野「そのくらい大変な仕事」
萩尾「私も締切の最後の一日眠れないというのがあって、トイレに行くとか最低限のことしか出来ない、それが辛かったし、今はもうやれない」

■最後にそれぞれの今後の活動について

水野先生はオペラの紹介本に絵を描かれたそうです。解説があの青島広志先生>

水野先生のファンだということでご依頼があったのだとか。
≫解説・音楽家 青島広志先生 
『マンガで見るオペラ入門』(仮題)
*この絵の紹介も水野先生はスタッフの方に渡しておられたようなんですが、後ろに大きく映されるということがなかったのがちょっと残念でした。スタッフの方もお忙しかったと思うのですが。
青嶋先生の音楽の解説本を読んだことがありますが、分かりよくて面白かった。オペラの紹介というのは筋が入り組んでいて案外分かりにくいものなんですが、それをコンパクトに解説されてるということなのでかなり面白い本になるのではないでしょうかv

萩尾先生は既にtwitterなどでも情報が流れているようにフランスの書籍見本市「サロン・デュ・リーヴル」に招かれるとのこと。萩尾先生が出展されるのは「レオくん」の仏語翻訳版だそうです。小学館には既に許可貰ってあるそう。ただ、最初はアマチュアブースで出すつもりだったら既にフランスのジュンク堂で日本語版が販売されているのでそれだとプロブースじゃないと出展出来ないのだそうで、それで仏語版を出されるのだそうです。
「売れないと赤字になりますので日本からも買いに行ってください!」とおっしゃってました(笑)。
先日はフランスの新聞の表紙に萩尾先生の絵が全面に出ていて(WEBで見れたんですが)本当にびっくりしました。原発問題をファンタジーにして描いた作品ということで原発に関する記事に絡めての紹介だったようです。
世界をまたにかけて活躍する萩尾先生はこの日も非常におしゃれで素敵でした。
そして大御所の水野先生も終わった後もファンに囲まれてパワフルでした。

ホントに内容充実の濃い対談でした。企画してくれた河出書房の穴沢さん、司会・京都国際マンガミュージアムの倉持さん、関係スタッフの皆様、どうも有難うございました!!

会場では河出書房さんからの出版本の販売のほか、会場限定販売のメモ帳とA6判のカード(絵は70年代対談本に使われたカラーのやつです)の販売がありました。
写真撮影も可でしたので行くところに行けば写真もあがっていることでしょう(残念ながら私はあまりお二人が見える席でなかった&ちゃんとしたカメラを持ってなかった&元々撮影下手)なので写真は撮っていません。ごめんなさい)。
全員にポスターお土産だったのも嬉しいですね。
穴沢さんの呟きによると80年代本の記念イベントでも対談を予定する感じなので、さあ次はどなたとの楽しい話が聞けるのか今から楽しみです!皆様も要チェックを!!

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