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クーピーでいえば白(アプリコット2)


【アプリコット2】


 町工場をリノベーションしたカフェ「cotocoto(ことこと)」は、ちょうど、15時を回るところ…おやつタイムを過ごそうとする人で混み始めていた。あんずたちは運よく、窓際の明るい席に着くことができて、すみれは「ラッキーよ」と喜んだ。
 建物の外観はトタンでできていて、錆びやはがれた部分もある、元の外観に少し加工しただけのようだ。
 新しいが新築、という感じではなく、そこで長く過ごしていた歴史を感じさせる味のある建物感、を中の鉄柱などと同様、醸し出している。
 見た目や流行にうるさい人々が、写真や動画で、自分のセンスをアピールするにはもってこいだ。
 下町特有の街の並びや空気感にもマッチして、景観を損なわず溶け込んでいる、最近流行りのスタイルでわかりやすい。
 だが、バリアフリー、地域密着、自然環境など…若者受けや写真映えの見た目に特化しただけでなく、幅広い年代への配慮もされていて、広く利用されるよう考えられている。 
 もちろん、窓や建物の強度などはリフォームの時点で万全なのは当たり前のこと、耐震やセキュリティ、飲食店としての何やらもクリア…床や建材は主に国外から、家具も欧米のメーカーだ。
 デザインは…施工は…なるほど…。
「いのうちゃん、何飲む?豆乳とか大丈夫?」
 伊能義文(いのうよしぶみ)は、ある女性と、このカフェへやってきていた。大手不動産に勤め、40代の若さでグループ会社のCEOを任されるやり手だ。仕事に厳しく、業界では泣く子も黙る鬼社長と有名らしい。
 緩いパーマのかかった髪に、青い色のついた眼鏡をかけ、穏やかに微笑んではいるが、職業病か土地や建物を気にしてしまう。
 その目は鋭く、休日とは言え、ゆっくりと女性とお茶をするようなタイプではない。今も、仕事上で知り合った人間に呼び出されて、しょうがなく過ごしているだけだ。と、本人は割り切っている。
 管轄が違うし、こんなことをしてる場合じゃないんだけどよ…。良いところ紹介するわ、若い力を見くびらない方が良いわよ、とか言いやがってよ。俺をなめてんのか。
 目の前に座る女を睨みつけた、が
「いや、俺はジンジャーエールがいいかな」
 と、営業用の微笑みで答えた。紺のⅤネックのニットとジーンズで、首には金のネックレスが光っている。細身だが筋肉はしっかりとついている伊能の身体つきに、繊細なデザインのそれは、なんとなく合っていないように見える…。
「ね、良いでしょ?素敵よね。こういうのを、やりたいわけよ」
 と、目の前の女性は言った。年代は50代後半、茶色く染められた髪には、少し強めのパーマがかかり、唇は口紅で真っ赤だ。アイメイクもひと昔…と言うよりも随分前のメイクのままのようだ。
 タートルネックのニットはラメで光り、イヤリングと指輪は、大き目の宝石が付いていて、全身がギラギラしているイメージ。
「意外ですねぇ…。」
 伊能は天井の辺りを、何気なく見まわしながら言う。
「山之内様は、もっと、こうキラキラした世界観を求めていらっしゃるイメージでしたが?」
 ギラギラ、だけどね…。
「あら、こういうのが良いのよ。映え、映えよぉ。見て、若い子たち写真撮りまくり。あれで口コミが広がるわけでしょう?広告費いらないもの。勝手に人、呼んでくれるんだから」
「まあ、ねぇ…」
 そこへ、店員がアイスのソイラテとジンジャーエールを運んできた。山之内は、置かれるのを待ち切れずに、店員からもぎとるようにグラスを受け取ると、そのまま、チュウっと一口啜った…。
 おいおい…、落ち着けよ。これだからおばちゃ…、いや、わかるけどよ。若者に負けてられないとか、流行りに乗りたいのはわかるけど…。
 バズるだのなんだのって、あれだって、うまいことやってんだけどよ。広告代理の奴らが大人しくしてるわけねぇだろ。金の亡者たちですからね。マスコミだの、CM業界だの、芸能だのよ…儲かりゃ何でもいいんだから…。
 思いながら、伊能は届けられたジンジャーエールを一口含んだ。
 …うまいな。
「本物のショウガから作るのよ。オーガニックのジンジャー。ハーブとかスパイスもあれ…何だっけ?そう、カスタムもできるのよ。辛いでしょ、でも、おいしいわよね。こういうところも良いのよ。ハチミツあるでしょ?コレ、入れても良いヤツ」 
 と、テーブルの端に置かれたハニーサーバーを指した。これも、オーナーの関係者だか、地域の養蜂場から仕入れるらしいわよ、国産、とドヤ顔で付け足した。
「へぇ…そうですか」
 なんだ、こいつ良く見てやがる。若いふりしやがって。ま、良いか。早く話を済ませよう。
「あの場所に、こういったカフェを?」
「そう、マンションの経営はもう広げたくないし、あの辺道路出来るじゃない?開発が進めば人も来るし、これからは、少しは若い人向けのもの作らなきゃ。エコだのオーガニックだのって言えばわかりやすいし、話題になれば遠くても来るんじゃないかしら」
「う~ん、流行り廃りがありますからねぇ。真似すればいいってわけでも…。若い人の興味は一瞬ですよ。長く愛されているものには、それなりの理由がありますから」
 と、窓の外に目を向ける。空は青く、白い雲がゆっくりと流れていくのが見えた。
「…伊能ちゃん、女性の趣味変わった?」
「…はい?」
「付き合ってる人いるでしょ?」
「おりません…。なんですか急に。」
「なんだか、人が変わったようだわ」
「はは、仕事じゃないからですよ。休日で、山之内様とのお話が楽しいからです。」
「うそよぉ。そんな穏やかな目で空を見る伊能ちゃんなんて、初めてだわ~」
 と、女性が手首を、くいくいと動かした。
 この女…。結構な大声で笑いやがって。馬鹿にしてんのか。
「山之内様、ここは、おしゃれな、カフェですよ…」
 伊能が声を落として言った。おしゃれなを、強調して。
「僕もTPOくらいはわきまえてます。」
「あらやだ。いつもの飲み屋じゃなかったわ」
 と、山之内は、赤い口をへの字にしておどけて見せた。
 早く終わらせよう。伊能はバカバカしくなってきた。親の遺産と、夫の残した土地と財産があり、金と暇を持て余している、片田舎の資産家の女性だ。
 仕事上の飲み仲間の一人。生まれた環境が良かっただけで、大した人間でもないのによ。
 と、心の中で毒づく。伊能のクセ、そしてストレス発散方法のようだ。
「まあ、検討してみますよ。森田に、一度調査に行かせます。」
「おおちゃん、元気?」
「ふっ、あいつは元気だけが取り柄ですよ。今日は、父上と出かけると言ってました」
「そうよ。お休みなのにごめんなさいね。伊能ちゃんもお子さんと過ごしたかったのに」
「いえいえ、もうあいつは高校生ですし、俺なんか邪魔ものですよ。それこそ、彼女とでも仲良くやってんじゃないすか」
 伊能はふふん、と鼻で笑う。
「あら、そうね。伊能ちゃんも彼女と遊びたいわよね。」
 と、山之内は、赤い唇をあげて、伺うような顔をする。
「ですから、特定の方いないですよ。」
「ねぇ、婚活する気ない?」
「コンカツ?パーティなんかは良くお誘いいただいてますよ。する気はないですけど」
 女性は、チラッと周囲を見回すと、おもむろに、向かいに座る伊能の方へ頭を近づけた。伊能も自然と顔を近づける
「良いのがあるのよ…」
 と、唇を歪ませて言い出した。
「伊能ちゃんは、お金もあるし、奥さん亡くして、一人でお子さん育ててるっていう悲哀もあるし、しかも、見た目が良いしねぇ…」
 と、じろじろと伊能を嘗め回すように見つめる。
「きっと、モテるわよ。選びたい放題」
 と、赤い唇をゆがめて、ニヤッとした。

「わぁ、素敵」
 すみれは、目の前に届いたカップを見て言った。ホットのソイラテは、ミルクとコーヒーで、カップの上にきれいな模様が描かれていた。
「崩すの、もったいないわねぇ」
 と、言いながら砂糖を入れて、ぐるぐるとかき混ぜた。
 一緒に電車を降りた女性は、三田寺洋子と言った。高校生と、中学生の女の子のお母さんだ。ここへ歩いてくる間に、気持ちも落ち着いたようで、すみれとあんずに頭を下げた。
「本当にありがとうございます。私が、あのまま離れれば良かったのに…。皆さんにご迷惑をお掛けしてしまって…」
「あらぁ、今こうしていられるのだから、起こるべくして起こったことよ。迷惑なんかじゃない。ラッキーって言ったでしょ?」
 と、すみれは三田寺へ笑った。
「あの…」
 あんずは、恐る恐る声を出した。
「私まですみません。一緒に…」
「あなたの心も心配でした」
 すみれがサラッと言う。
「あのままだったら、大げんかよ」
「え…そんなこと…」
 あるかもなぁ、あんずはなんとなく思った。声を荒げて怒鳴りつけてたかも…いや、できたかな…?
 アイスラテと、ジンジャーエールです。店員があんずの後ろの席に届けに来た。通り過ぎるグラスに日の光が当たり、ジンジャーエールがキラキラ光って見えた。
 あれも、おいしそうだな…。
「感情が高ぶるとね、目の周りが強張るのよ。赤くなって、今にも泣き出しそうになって、頭に血が昇るの。ふざけんなよって思ったでしょ?」
 と、すみれがあんずを上目遣いに見る。
「…はい」
 あんずは項垂れた。確かにそう思って立ち上がろうとした時だった。
「あなたが悪者になっちゃう。というよりは、悪者にされちゃう。きっと、夫の力とやらでね。それはダメ。あなたみたいな人は、そういうことしなくて良いのよ」
 と、すみれはふうふう、とラテを冷まして一口含む。
「わぁ…おいしい」
 と、ドラマの一場面のように微笑んだ。
「ああいう…価値観の人たちにね、真っ向勝負してもダメ。あなたが怒って食って掛かっても、大勢で馬鹿にして笑うだけよ。こっちを悪者にするのがうまいんだから。あんた誰?とかキモいとか言って、誰かを嘲笑ってる、小学生や中学生と同じことするの。」

 いじめが問題になった時、いじめた側が共通して言うことがある。いじめてない、からかっていただけだ。と、笑いながら。
 誰かを傷つけて泣かせる。故意に泣かせた上に、それを見て笑う。
 それだけでも心の闇が深いのに、遊んでただけ、向こうが勘違いして大騒ぎしただけ、と、笑って逃げるようなら、それは、もはや異常だ。
「大人があれじゃあ、子供たちのいじめが減らないわけよね…。ひどい時は、それが親子で起こるのよ。…親が自分の子供を…それは、もう虐待よ」
 と、すみれはふう、と、ため息をついた。かと思うと
「いえ、ダメね。ため息はダメ。幸せが逃げちゃうわ。」
 と、今度はハッとして、あわてて指でバツを作り、口へ当てる。
 かわいい…人だなぁ。
 あんずはすみれの仕草や言葉遣いを見ていた。こんな風に年を…いや、年齢を重ねていきたいな、漠然と思った。
「わかってくれていると思ったのだけどね…」
 今までとは、明らかに声のトーンを落とし、すみれが言った。
「喜美江ちゃんはね…気づくと思ったのよ。あんなことがあったんだもん」
「きみえちゃん…俵さんですね?」
「初めての教え子でね…」
 森田家は兄弟が多かった。父親は建設業経営者、母親は専業主婦。喜美江はそこの長女だ。兄が3人、弟が一人。家はそれなりに裕福。
 だが、喜美江だけ祖母と暮らしていたため、他の兄弟とは違う学校へ通っていた。
 理由として、一人暮らしの祖母が心配で、祖母の近くにいたいから、養女という形で暮らしているということだった。
 喜美江は成績も、友人関係もごく普通の子、という印象だ。だが、6年生の時、あることが起こった。
「担任の教師がね、学年主任のベテランなのだけど…」
 すみれは言いにくそうに、でも、誰にも言わないで欲しいのだけど、と言って話し出した。

「それ…俺が聞いて大丈夫?」
 と、蓮。
「うん…他の誰にも言ってないんだけど、蓮くんには言っても良いような気がして」
「…なんで?」
 蓮くんって言ったし…。
 ウキウキが顔に出ないように、蓮は自分を必死で抑えた。
「ちゃんと、してるかなって思って…」
 と、あんずが口を尖らせて、上目遣いをする。きっと、この人は無意識でやってるんだろうけど…蓮もなんとなくつられて口を尖らせてしまう。
「うん…ちゃんとしてるつもりだよ。何か聞いても、言っちゃいけないと思うことは、迂闊には話さない自信がある。て、いうか、それって、普通のことじゃない?」
「そういうところです。それが普通って思うところ。多分、違う人もいます。だって、自分は関係ないから話しても良いじゃん、って言う人いませんか?」
 と、ジンジャーエールのグラスを揺らすと、日の光に当たって金色になった。カラコロ、と小さく氷が音を立てる。
「いるいる。」
 と、蓮は笑う。
「だから、秘密なんて絶対できないんだろうね。自分は大丈夫だろうって思う人ってなんだろう?だって、どこかから繋がって、広がる可能性はあるのに」
 と、蓮はふと気づいて
「あ、また敬語使った」
 と、あんずを上目遣いで見た。
「すみれさんを目標にして、意識して敬語とか、なるべくきれいな言葉を使おうと気を付けていて。私、結構頭に血が昇ると、怖くなるタイプらしくて」
「切れるタイプ…?」
「ってことですかねぇ…あ、また敬語になった。」
 あははは…

 蓮は、家に帰ってコンビニの惣菜を温めながら、昼間の出来事を反芻して、にやけていた。あんずは、自分よりも3つ年上だ。
 あんずさんにしようか、どうしようか考えて、あんずちゃんとさりげなく呼んだけど、あんずは少し目を開いて程度で何も言わなかった。
 イヤ、変にあんずちゃんだってぇ、とか騒がれても困ったけどぉ…でも、少し反応してもらいたかったりもするしぃ…。
 色々、思い出すと胸のあたりがムズムズする。気が付くと、あのカフェで3時間ほど話していて、ラインを交換して帰ってきたところだ。
「また…ね」
 と、蓮が去り際に何気なく言ったら、少し目を丸くして、あんずは微笑んだ。
「うん、またね」
 と。…んふふ…
 音楽は流れているものの、部屋は静かだ。やっと、少し慣れてきたこの状況だったけど、夜の味気無さは寂しかった。
 でも…今日は…。
 蓮は、自分の気持ちが穏やかなのがうれしい。先日の高校生たちともつながって、あんずともつながって…。
 あんな出来事だけど、不思議だな…出会いってあるんだな、と思いながら、また、にやける。
 出会いって!ちきしょ。
 でも…あんずから聞いた話を思い出すと少し沈んだ。それは、森田…俵喜美江についてだ。
 だとしても…。いや、だとしたらもっと…。

「あれ?じゃあ、なんで…電車の中であんな風に?」
 と、蓮は豆腐ティラミスを、一口食べて目を丸くした。
 うまい…。
「本当は、何もしないつもりだった。また会うなんて思ってなかったし。」
 かわいい…。
 蓮の様子を見て、何気なくあんずは思う。が、慌てて自分の頼んだフォンダンショコラに集中した。うん、見た目より軽めでおいしい。
 落ち着きなさい…自分…。
「席を立とうとしたよね?扉が開いてすぐ」
「そう、良く見てるね。もう、関わらないようにしようと思ったんだけど…。目で訴えられたの…岩原さんに」
「え?白髪の…訴えられた?何を?」
「移動しようとしたら、口を動かして…いかないで…って。手を前で、こう…」
 と、あんずは手刀を切るジェスチャーをする。
「助けてって、言っているような気がして」
「…助けて?あの岩原が?ひどい言い方して、どう考えても嫌がらせだったよ?」
「うん…注目して欲しかったんだと思う。多分…彼女は洋子さんのことに対する仕返し…」
「洋子さん…前のいじめられた人への仕返しを、あんずちゃんで?じゃあ、全部演技だったってこと。」
「…うん、洋子さんじゃなくて、俵へ仕返し。俵さんと岩原さん、彼女たちは、高校の同級生なんだって。」
「俵と岩原?…ああ、やべぇ、ノートに相関図書いて良い?」
 と、蓮が頭を抱え始めた。
「ほんとの友達同士だったんだ。でも結構みんな、狭い世界で生きてるよなぁ…」
「うん…年代とか地域とかも関係するだろうけどね。女性は子育てしやすいとかで、実家の近くに住む人も多いし、古くからの友達が近くにいる方が安心だしね」
「だけど、だったらなんで俵に仕返しするの?そういえば、親友とか言ってたじゃん」
「…金魚のふんって…」
「言ってた!」蓮は、目を丸くした。
「ほんとに、そういう関係だったんだ。」
「だから、離れたかったんだと思う。洋子さんは岩原さんとほんとに仲良いんだよ」
「離れたかった…俵から。離れれば良いじゃん、なんで一緒にいたの?と言うか、なんで俵は洋子さんだけを引き離したの?みんなで仲良くすれば良いことじゃん」
「…悔しかったんだと思う。」
「悔しい?」
 と、蓮はレモンソーダをチュウッと吸う。
「ああ、自分以外の人と仲良くしたとか、私を仲間外れにしたとか、女ってそういうこと言うよね。結局、嫉妬したんだろ?馬鹿みてぇ」
 と、言った後、口元を指で慌てて抑えて、手刀を切る。
「ふふ…いいよ、大丈夫。私もどっちかって言うとそういうタイプ。友達関係、結構ドライ。」
と、あんずは笑う。男性とつきあっても、そういう感じ?…言いかけて蓮は口をつぐんだ。なんとなく、はしたない気がしたから…。
「俵さんは、あのことがあってから、すごく大人しくなって…すみれさんは心配だったんだって。でも、高校へ入って変わったの。岩原さんという友達が出来たから。」
「環境が変わった…。良くある話だけどね。じゃあ、本当に親友なんだ。大事だから誰かに取られたくなかった?それってどうなの?」
「岩原さんは…明るくて活発でね。クラスになじめない俵さんを気遣って、何かあるごとに声をかけて、それこそ、クラスのみんなを引っ張っていくような人で。」
 意外…。人には歴史があるんだなぁ、と蓮は何気なしに思う。
「本当に仲良くしていたんだけど、ある時、状況が変わるの…あの、さ」
 と、あんずは連のティラミスを指し
「もらっても良い?」
 と、首をかしげた。

 ドキン…

 自分の中から聞こえた音に気づかないふりをして、「もちろん」と、蓮は皿を差し出した。
「ありがと。…進路が分かれるんだよね、俵さんは大学へ、岩原さんは就職。そこから少しずつお互いの生活も環境も考え方もずれていくでしょ?」
「だけど、どんな人もそういうものじゃん。友達だからお互いの話を聞いて、刺激されたり、自分も頑張ろうとかで成長していけるわけで…別に問題ないよね」
「…ずっと、光と影だったんだよね。」
「光と影?」
「岩原さんは、成績も良くて、明るくて、友人にも優しい人気者。俵さんは、静かで、成績もまあ、普通。でも、岩原さんの友達だから、って周りから思われてた。いつも比べられて、岩原の後ろにいる、地味な子…」
「…金魚のふん…」
 逆だったのか…。俵のほうがそう言われていたとは…。でも、なんでこんな話を俺は聞いているんだろう、何も関係ないのに。すると、あんずが、自分の皿を出した。
「食べてみる?」
 と、また小さく首をかしげた。
 ドキン…
 何でもいいや、まだ彼女と過ごせるんだったらなんでも…。
 蓮は密かに思っている。
「うん、岩原さんはそんな風に思ってなかったんだけど、俵さんは、心の底で沸々と…。本当は、自分が前にいたい人なのかな、子供のころの性格って変わらないのかな」
「だけど、岩原のおかげで友達もできたんでしょ?高校生活楽しかったんでしょ?じゃあ、感謝する相手じゃん。今度はあなたがつらい時助けるよって、なるもんじゃない?」
「うん…。女ってそう簡単じゃないっていうか…人によるけど…。大学に入って、また変わるんだ。元々、俵さんの家はお金持ちだし、顔が…容姿が良かったから開花したというか。しかも、お兄さんが政治の世界へ入ったの」
「…だから?」
「ちやほやされてしまった…」
「それで?…」
「自分はすごいと思い始めた。」
「なるほど…。でも、だからって岩原をどうにかするってのもおかしいでしょ?」
「岩原さんは、家庭環境が良くなくて大学に入れなかった。父親は働かないし、弟が二人いて、しかも一人は障害児。家庭を助けるために就職したんだよ」
 家庭環境が良くない…。その言葉を聞いて、蓮は初めて心が沈んだ。しかも障害児…。
 そうだよな…、普通の家庭で過ごした人にとっては、自分の家も家庭環境が悪いうちの子、なのだ…どう思うかな?
 自分の生い立ちを話したら、あんずは嫌がるのだろうか…。
「すごい人だよね、本当は頭も良かったし、大学も行きたかっただろうし、でも、家族のために働いたの。元々明るい性格ではあったから、仕事も職場でもうまく行ってたんだけど…」
「そうだね、すごいのは岩原さんの方…。俵は生まれた環境が良かっただけなんだけどな。でも、離れたんなら、なんでまた一緒にいたんだ?」
「結婚式に呼んだの。」
「俵が?」
「ううん、岩原さんが」
「…へぇ…意外だった」
「うん、岩原さんは本当に親友だと思ってた。時々会っては近況を伝えていたし、俵さんも彼女の前では高校生の時のように過ごしていたみたいで。でも、岩原さんの相手を知った俵さんの嫉妬が限界を超えるの」
「…嫉妬が限界を超える?」
 なんじゃそりゃ?友達が結婚するんだろ?喜べよ…って、女は素直にそうならないんだろうか…。めんどくせえな…。彼女は、どう思うんだろう…。
「岩原さんの結婚相手は、今の俵さんの旦那、俵直正(ナオマサ)」
「えっ!」
 おしゃれなカフェで出すような声ではない大声が出た。
 慌てて周囲を見回すと、大学生らしい女性たちがクスクスと笑っていて、二人は首をすぼませ小さくなった。
「…最低でしょ?もう政治の世界へ入っていて、岩原さんとは仕事関係で知り合って大恋愛だったって…。なのに、ああ、男ってバカじゃない!」
「待った!ひどいのは俵の方じゃん?親友の旦那奪ったってことでしょ?」
「そう、自分がやっと上に立ったのに、また、抜かされる、影になるのが嫌だった。岩原さんが幸せになるのが許せなかった。でも、旦那なら普通、奥さんを守るでしょ?」
「うん…。奥さんの親友だしね、軽はずみなことするよな。ほんの出来心でってやつ?その先を考えないのかな」
「俵は喜美江さんを利用したってこと、彼女のお兄さんが…」
「政治の世界にいるから?…自分の立場とかを上げるために?そんなの、はあ?漫画みたい。スキャンダルとか雑誌とかで大騒ぎのヤツ」
「でも、岩原さんに、なかなか子供ができなくて…」
 なるほど…。
 蓮は変な納得をする。時代背景、政治家と言う職業、世間体…そういった物すべてが絡み合っているのだろう。だが…
「だからって…」
「うん、だからって俵も離婚とかしなかった。でも、岩原さんは、喜美江さんに子供が出来ないと相談して、夫婦関係の悩みとか…。そしたら、喜美江さんの方が…」
「まさか…」
「そう、お兄さんも使って、自分との既成事実を作ってしまう。慰めるとかなんとか言って?は?岩原さんの上に立ちたかった。自分を選んだっていう優越感!」
 と、あんずは明らかにイライラした様子で言い出した。
「喜美江さんは自信があったのかもね…。俵も軽い遊びのつもりだったけど、って、ひどっ。でも…」
「もしかして…子供?」
「そう、で、お兄さんが責任を取れば、何もなかったことにして、良いようにすると。もう、岩原さんのことを考えると苦しくて…」
「待って、なんでそんな人と一緒にいるの?馬鹿みたいなんだけど」
「お金…」
「え?…」
「俵は一応責任を感じて、ずっと岩原さんと家族、そして弟さんにお金を渡してる。岩原さんは自分が離れたら、家族へのお金が無くなるのではないか、そう思って強く出れなかった。結婚して仕事をやめてしまったし、近所では良くない目で見られるし、再婚もできなかった…。喜美江さんと離れたらその縁が消えるのではないか、と…。」
「もしかしたら…」
 と、蓮が顎に手を当てて考え出した。
「俵と、自分の元の旦那、政治家の夫にも制裁を…あの場でしようとした?」
「そうかも…。女性にそんな思いさせるなんて、ああ、俵ナオマサぶん殴りたい!」
「あぶね〜あの時、あのおばちゃん殴らなくて良かった〜」
「ふふ…。でも、洋子さんと会って、岩原さんは幸せだった。あの年齢で新しく友達ができるってなかなかないんだって、すみれさんも言ってた。で、その話聞いてからの、電車で遭遇…」
「そりゃ、なんとかしてあげたいって思うか…」
「洋子さんが泣いたのは、岩原さんを救えなかったからだった。どうしても喜美江さんの方が手放さないんだよ、たぶん…お互いに依存してる」
「依存?」
「喜美江さんと岩原さん。お互いに自分がいないとダメなのよって思ってた。少し違うのは、岩原さんは相手のことを心配して、喜美江さんは自分の保身が第一」
「とことん…すげぇな、俵」
「離れようとしたんだと思う、岩原さんは。ああでもしないと踏ん切りがつかないし、俵から離れてもらうように仕掛けた」
「だけど、あんな風にしたら自分が悪くなるじゃん。みんなそう思ってたし、俺もすげぇ嫌なババアだって思ってたよ」
「そうだよね。だから、このままじゃ岩原さんだけ悪者になるからって頑張ったんだけど、全然だめで…。どうしようかって思ってたら、蓮くんたちが登場ってわけ」
 と、あんずが手を広げるジェスチャーをする。
 うん…ふふ。
 蓮は、こっそりほくそ笑む。
「いや、その後カッコ良かったよ。今考えると、俵にもっと言えばよかった…。政治家の嫁だからなんだよ、俺、もう共和新党に入れないわ」
「ね、そうなるのにね。イメージ下げるだけなのに」
「でも、あれがあって、俺も色々勉強にもなった…」
 ん~、と、蓮は腕を上げて背伸びをする。
「こんなカフェにもこれたし、またいろいろ聞けたし。今日も会えて良かった…」
 と、思わず口にしていた。ハッとしてあんずを見ると、彼女も見ていて目が合った。
「ありがと」
「…え?」
「あんな風に助けてくれたの、蓮くんだけだった。男の人たち何も言わないし、だっせー奴ばっかり。ほんとにありがとう。ちゃんとお礼が言いたかったの、会えて良かった。」
 と、今度はかしこまって頭を下げた。
「いやいや…」
 と、蓮は首を振るが、ふと思いついて聞いてみた。
「と、言うかどう思った?」
「…何が?」
 と、あんずは、ケーキを口に入れながら首をかしげた。
「あのとき、俺のこと、どう思った?」
 何を言っているんだ?俺は…。
 心臓の音が聞こえていないか不安になりながら、必死に恰好つけてポーカーフェイスを装った。あんずは、フォークを口に入れたまま。目をパチパチと何度か瞬きをした。
「かっこいい…男の子たちだなぁって…」
 蓮が自分を見つめていて、しかも、結構…真剣で、あんずは慌てた。
 ゴクン、とケーキを飲み込むのと同時に、自分の中で、ドキンと音がした。
 こんな年下の学生くんに…と、自分の感情を抑えていたけれど…。やばいな…。一緒にいた子たちは高校生だったから、全員まとめて男の子、と表現してみたけど…
「うん…それで?」
「えっ、と…ちゃんとしているなぁって…私も頑張らないとなぁ…って」
「うん、俺、ちゃんとしてるよ。どう思ったの?」
 と、蓮は自分を両手で示しながら、尚も聞いてきた。真っ赤になって…。一生懸命で…。あんずは、自分の心臓の音が聞こえてしまわないか不安になった。
 結構…グイグイくるタイプ…。
「ほんとに、か…っこいい、人だなぁって…」
 はあ?何言ってるの?年上なんだから、もう少し余裕なコメントできないわけ?
 あんずは自分自身に突っ込みを入れる。
 きっと…変な顔していると思う。恥ずかしいし、カッコ悪くてちょっと悔しい…。
「俺は、あんずちゃんすげぇなって思った。こんなに可愛いのに、あんな風に誰かを助けて、カッコいいこと言える…こんな人いないと思ってる。」
 あんずの顔が少し赤くなって、なんとなく泣き出しそうな、でも照れているような表情をしていて、蓮の心臓が早くなった。
 やべぇな…。
「あ…あの時、蓮くんがいなかったらと思うと…また会えたらなって、いえそれは、ちゃんとお礼を言いたかったからで…あの、まさかほんとに会えるなんて、うれしくて思わず声かけちゃって…今日、今、話してても良い人だし…やっぱりかっこいいし、いえ、あの…」
 あんずは顔を赤くしながら、どんどん下を向いていくし、声も小さくなる…。
「ん?」
 と、蓮は思わず顔を近づけた…。
「素敵…です」
 と、あんずが突然顔をあげたので、二人は鼻先、数センチの距離に近づいた…。

 ズキュウン!

 相撃ち…。
 あんずが慌てて目を逸らす。蓮の心臓は爆発しそうだ。
「ああ…やべぇ俺、今、どうにかしちゃうかも…」
 と、思わず口から出ていて、はっ、としてあんずを見る。
 どう答えるのが正解?大人として、年上として?
 あんずの頭の中はパニックだ。
「そ、れは、…ダメです」
 あんずは、真っ赤な顔にしわを寄せ、べぇ、っと舌を出した。
 でた!何だよ…それぇ…。
「あっははは…」
 あんずの顔が可愛くて、蓮は思わず大声で笑ってしまった。
「やべっ」
 心臓は破裂しそうなほど動いている。でも、少しカッコつけて、いや、無理やり格好をつけて、冷静なふりをした。
「…あ、いま、敬語使った」
 バクバクバク…この音が自分から出ていると気付かないでくれ。蓮は、必死で自分を律する。
 落ち着けぇ、俺…。
「ほんとだ、ふふ…」
 トクトクトク…。心臓が早く動きすぎて心配になる。少しでも大人の女性を演じたいのに。
 あんずは全身が熱くて、ジンジャーエールのグラスを手で包んだ。
「へへ、聞き逃さないから。」
 んふ、ふふ、あはは…。
 しばらく二人で笑いあった。

 蓮は、ふう、と一息つくと、あんずをまっすぐに見つめた。
「ね…、会えたよ?」
 うん…。
 あんずは何度か顔を小さく動かした。ふぅ…。一息ついて蓮を見ると、とても穏やかな顔をしていて…。
「会えたね…」
 と、自然と自分も笑っていて、心臓の鼓動が静かになる。
 なのに何故か、あんずは涙が出てきた。それは、蓮も同じで…。
「…すごいね」
 二人で、泣きながら笑いあった。

        「生成り色1」に続く


※お暇なら読んでね話
電車での政治家さんの奥さまの話は、20年以上前の実体験です。まだ、スマホなどのツールはなく、SNSなんかもありませんでした。今、この時代に同じ出来事があったとしたら、どうなっているかなぁ、と想像したら楽しくて、この物語がドンドン膨らんでいます☺️
うふふ。さて、この先どうなるのかな・・・。
ここまで読んでくださってありがとうございます✨


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