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答えをポケットに隠して話す人

感情に蓋をしてやり過ごそうとしたこともあった。でも上手くいかなかった。
見ないようにしても感情は消えてくれない。

昔から、答をポケットに忍ばせて話す人が苦手だ。
ポケットに模範解答を用意して、少しでも外れた事を言おうものなら、信じられないといった表情で、あの独特な非難の眼差しを向ける。

相手の気分を害さないためには、地雷を避けるようにして相手の意図を読み取りつつ、日本語の曖昧さを駆使しながら話す必要がある。元から道筋は決まっているのに、こちらにはなんの情報も与えられていない。
会話の後はさながら爆撃後の廃墟に立ち尽くす気分。
無事であったにせよ、そうでなかったにせよ。

彼らは自分の聞きたい事を、他人の口から聞きたいだけなのだが、それを汲み取る事を暗に要求されるのが伝わるから、私は自分の言葉で話せなくなる。優しい顔をした尋問だ。
当の本人には明確な意図はない。相手をコントロールしたい願望は彼らの意識下にある。
だから自分のした事を驚くほど憶えていない。

最近はもう若くないから、「あ、また出たな」
くらいの気持ちに戻せるが、きついパンチというのは後から効いてくるもので、
一人湯船に浸かりながら、昼間浴びた呪いに心蝕まれる夜もある。
堂々巡りの思考は、布団の中までやってきて、
ときどき夢に出ることだってある。

いかんいかん。
しっかりしなくては。
やられてなるものか。

自分の感受性くらい
自分で守らなきゃ。

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