tkm:

自分で感じ考えること。自身に取り込んで、じたばたしながら消化すること。

tkm:

自分で感じ考えること。自身に取り込んで、じたばたしながら消化すること。

最近の記事

語られないこと

息がしにくいのは何故だろう、 たぶんマスクのせいだけじゃない。 たとえ口に出し語られなくとも、 ことばになる以前のその何かは、 たしかに私のなかにある。 他人からは見えないし、 あたりまえだが、 見ようともされないそれらのこと。 そもそもないものに、 されてしまわぬか、 曇天の空を見上げる。 語ることを拒まれた、 無数のことばたち。 心の奥深くにある群青の湖底へ、 静かに降り積もる。 相手の基準による、 暗黙の解答が透けて見えるなか、 語ることを求めることがある。

    • 身体性と実感と

      触れることや、 身体を動かすこと。 その経験こそが、物事を把握する基盤のはずが、気づけば世界は視覚情報の洪水。 画面上のやりとりは、 あくまで代替手段の一つに過ぎない。 そもそもデジタル化された画像や音声を、 実体験の代わりとするには、 受け手が一定の認識的枠組みをインストールしている必要がある。文化的枠組み以前の話。 そのために、乳幼児期からの多様な感覚統合的活動や、身体を使った事物へのアプローチの必要があるわけで、幼児教育や初等教育の意義はそこにあるのだと思う。 人

      • ささやかな日常に奇跡は隠れている

        変な時間に目が覚めてしまった。 頭上の目覚まし時計に手を伸ばす。 2:30 薄明かりの天井を見つめていても、昼あった些細な気がかりに思いを巡らせるのがオチだ。 しばらく寝返りを繰り返したが、諦めて寝床を離れることにした。 キッチンでコップに麦茶を注いでいると、猫がふくらはぎにそっと脇腹を擦り付けに来た。 冷たい麦茶を喉に流し込み、しゃがんで頭を撫でてやる。もしゃもしゃと顎の下を指先で掻いてやると目を細めて小さな額を押し付けてきた。 ここ数日、夜は随分と涼しい。ソファに腰を降ろ

        • 肺に秋をみたす

          久しぶりに空を見上げたら、 いつしか秋になっていた。 袖口を乾いた風が通り過ぎる。 深く透き通る空に、 雑踏の音が吸い込まれてゆく。 見上げたまま目を閉じて、 空を肺に吸い込んでみた。 自分の中が、 秋の空気に満たされる。 高い空。 吹き抜けてゆく、 爽やかな風。 地面から上、 私の立っているこの空間は、 あの青い空と繋がっているのだ。 それを感じられたから、 少しだけ救われたような気がする。

        語られないこと

          さよならをするたびに

          Every time we say goodbye, I die a little, ジャズのスタンダード、 「Every time we say goodbye」(Cole Porter)の冒頭、 高校の頃、その歌詞を、 「さよならをするたび私は少しだけ死ぬのだ」 と思っていた。 別れとは、私の一部が死ぬことなのだと。 実は今でも、 たとえ正確にはそんな意味ではなかったにせよ、こっちの解釈の方がしっくりくる気がしている。 親しい人との別れ。 それはもしかしたら、

          さよならをするたびに

          Tristeza

          ゆっくり寝ててもよかったものを、 何故か早朝に目が覚めてしまった。 しょうがないから、 キッチンでお湯を沸かす。 音楽でも聴こうと、 イヤホンを耳に入れて、 スマホのアプリをいじる。 目覚めたばかりの耳で聴く音楽は、 心の奥まですうっと浸み込むもの。 いい時間を過ごすために、 いい音楽に浸りたい。 Tristeza(Haroldo Lobo/Niltinho) 言わずと知れたサンバの名曲 コーヒーを挿れながら、 胸がいっぱいになる。 立ちのぼる薫り、 風に乗りコバルトブ

          Tristeza

          期待と評価

          今日も雨。 今年の梅雨は例年より長い見通しらしい。 いい仕事をすることは それがたとえ文句なしに 良質で密度の濃いものであったにせよ よい評価を得ることとイコールになりえない。 評価と期待はコインの裏表。 評価はもともと期待に対し計られるものかもしれない。 だから、もし良い評価を得たければ まわりの期待通りのことをやればよい。 でも、それだけでは何か足りないと思う。 コーヒーに氷を三つ。 期待した通りに物事が進んでいる時、 人はそれを自然のなりゆきと捉える。 そろ

          期待と評価

          猫とケア 熱帯魚と相互障害状況

          我が家に来て、もうすぐ3年。猫のこと。 最近甘えた声で主張する。 「餌くれ」「遊んでくれ」 「朝だぞ、起きろ」 「ドア開けろ」 「バスルームに入れろ」 時に「特に用はないが、なんとなく」 という場合もある。 まっすぐこちらを見つめ、 甘えた声で「にゃおん」と鳴く。 来たばかりのころは、 物静かな印象だった。 家から一歩も出ず、 特にかわりばえのない毎日を過ごしているように見えて、 実は本人なりに、さまざまに学び、変化しているのだなとしみじみ思う。 人も猫も、日々変化してい

          猫とケア 熱帯魚と相互障害状況

          ヒヤリハット

          カッとなった頭にのせる冷えた帽子ではない。 危ないことが起こったが、幸い災害には至らなかった事例のことらしい。 Herbert William Heinrichが1929年に出した論文が元ネタらしく、世にハインリヒの法則と呼ばれているもの。 労働災害の統計上、1 件の重大事故のウラに、300 件のヒヤリハットがあると言われている。 といっても1929年のデータだから、ちょっと根拠が弱い気がするけど、労働災害の予防について語られる際よく使われる。 つまり重大事故の防止のために

          ヒヤリハット

          「信じらんない」が苦手

          まだ6月上旬にもかかわらず、 一日中マスクをしているせいか、 朝から汗だく。 ストレスもあるかもしれない。 いろんな意味で息苦しい。 夏になったらどうなってしまうのか。 「信じらんない」という言葉。 あの言葉に私はいつも傷つく。 他人が言われているのを聞くのも辛い。 「○○はこうであるはず」 という、その人にとっての常識 それに取り込まれない事をすれば、 「信じらんない」となる。 感情のはけ口としての言葉。 信じる世界が揺れる不安を、 ただ解消したいだけなのかもしれない。

          「信じらんない」が苦手

          黄砂で霞む夕日を浴びながら

          職場は家からみて東の方にある。 だから毎日、私は朝日に向かって車を走らせ、 仕事が終わると夕陽に向かって帰る。 冬場は職場を出るのが日没後の事がほとんどだったが、最近は以前に比べ居心地がよくないし、わくわくする事もないから、また気が向くまで、あまり余分なエネルギーを使わず、必要最小限で取り組む努力をしている。 みなと同じでいるよう求める圧力は、 一様に我慢せねばならないような状況で特に強くなる。抑圧された環境で、決まっていじめが起こるように。 こんな時こそ、自分の心が潰れない

          黄砂で霞む夕日を浴びながら

          冬眠

          たぶん小学生くらいからだと思う。 私は今だに冬眠に憧れる。 冬が近くなれば、 森の熊やリスたちは、 せっせと巣穴に餌を溜め込む。 そして温かく心地よい寝床を準備し、 じきやってくる冬に備える。 鉛色の空からふわふわと雪が降りだし、樹々の枝に積もり、いつしか森は白くなる。 そして動物たちはふかふかの穴の中、 温もりに包まれ、夏の幸福な思い出を食べながら、まだ来ぬ春の夢を見るのだ。 昔どこかで読んだ絵本みたいに、 人も冬眠する習慣があったとしたなら。 学校からの帰り道、 よ

          真夜中のちいさな冒険

          うちの猫は家から出さないけど、 世の外猫たちは、夜な夜な「猫の集会」なるものを開いているらしい。 そういえば、私も 昔一度だけ見たことがある。 あれは確か、大学2年の夏のこと。 あまりの暑さで深夜まで眠れず、 テレビも、いつしか通販番組ばかりになってしまった。 画面上部に表示された時計は、午前4時になろうとしていた。 じきまた、もわっとした朝がやってくる。 うんざりするような蝉の声と、あの熱帯夜にくたびれた空気とともに。 さっきからテレビでは、薄水色のストライプシャツ

          真夜中のちいさな冒険

          答えをポケットに隠して話す人

          感情に蓋をしてやり過ごそうとしたこともあった。でも上手くいかなかった。 見ないようにしても感情は消えてくれない。 昔から、答をポケットに忍ばせて話す人が苦手だ。 ポケットに模範解答を用意して、少しでも外れた事を言おうものなら、信じられないといった表情で、あの独特な非難の眼差しを向ける。 相手の気分を害さないためには、地雷を避けるようにして相手の意図を読み取りつつ、日本語の曖昧さを駆使しながら話す必要がある。元から道筋は決まっているのに、こちらにはなんの情報も与えられていな

          答えをポケットに隠して話す人

          気づかれない程ささやかな物語

          5月が好きだ。 自分が生まれた季節というのもあるかもしれない。 春に動き始めた樹々や草花の息吹が、夏へ向かって加速してゆく。 私はこの季節が好きだ。 肌をかすめる風は適度に乾いていて、 高く澄んだ空へと緩やかに吸い込まれてゆく。 さっき洗い物ついでに淹れた珈琲。 温かいカップを手に庭へ出た。 すっとする空気が心地よい。 いつの間にかカラスノエンドウがいっぱい。 ひょろっとした茎の先、山盛りのアブラムシ。 諸君、相変わらず逞しいなあ。 アブラムシの出す甘い汁に群がる

          気づかれない程ささやかな物語

          相棒

          2007年製、ハンガリーの作家の手によるもの。 2008年からのお付き合い。もう十年以上一緒。 それまではチェコの古い楽器を弾いていた。 人に聴かせるというよりは、専ら自分のために弾く。スケール弾いて終了とか、エチュード弾いて終わりとか。たまに曲を弾いてもバッハの無伴奏から一曲くらい。しかもゆっくり。 心でイメージして、身体で音を出す。 それに対して楽器が響いて返してくれる。 その日その日で、反応は変わる。 気持ちが通じ合う時は一体になったよう。世界と響き合うような気分。 一