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身体性と実感と

触れることや、
身体を動かすこと。
その経験こそが、物事を把握する基盤のはずが、気づけば世界は視覚情報の洪水。

画面上のやりとりは、
あくまで代替手段の一つに過ぎない。

そもそもデジタル化された画像や音声を、
実体験の代わりとするには、
受け手が一定の認識的枠組みをインストールしている必要がある。文化的枠組み以前の話。
そのために、乳幼児期からの多様な感覚統合的活動や、身体を使った事物へのアプローチの必要があるわけで、幼児教育や初等教育の意義はそこにあるのだと思う。

人が最後に頼るのは、
結局は実感なのかもしれない。

身体感覚のない情報は、
完全でないからこそ、
ある種の物語で補完される。

無機的である情報を、
生身の実感へと変換するには、
「納得する」というプロセスが必要かもしれない。
人である限りにおいて、納得し、理解していく過程では、
やはり身体性を伴って作り上げられた枠組みが、その底辺にあるということを強く感じる一年だった。

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