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「KonMari」の何が人々を惹きつけるのか?

Netflixに片付けのドキュメンタリーがあることを知っているだろうか。

2019年1月1日から配信されている「KonMari 〜人生がときめく片付けの魔法〜(原題: Tidying Up with Marie Kondo)」だ。

片付けコンサルタントである近藤麻理恵(こんまり)さんがクライアントの家を訪れ、片付けのノウハウを教えるという番組。30分程度でサクッと見られる番組構成になっている。

下図は過去5年間のアメリカでの「marie kondo」の検索ボリュームを示している。驚異的な伸びと言っていいだろう。

僕がこんまりさんのことを知ったのは高校生の時だったと思う。著書『人生がときめく片づけの魔法』が書店に平積みされていて、当時書店に入り浸ることが趣味だった僕はなんとなくそれを手にとって、最後まで読み切って、その上で買って帰った。

当時は「面白い発想だな」程度にしか思っていなかったが、あれから8年が経ち、『人生がときめく片づけの魔法』は38の言語に翻訳され、700万部以上売れている。こんまりさん本人はアメリカに移住し、片付けのコンサルタントを精力的に行っている。

1作目のnoteはこんまりメソッドの何が人々を惹きつけるのかについて考えてみたい。

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こんまりメソッドが他の片付け術と大きく違う点を挙げるとしたら、

1. 「ときめく物だけを残す」という明快な判断基準
2. 衣類→本→書類→小物→思い出の品、という決まった片付け順序
3.  自分の理想の暮らしと向き合うこと

の3点が挙げられるだろう。順番に説明していく。

まず、最も大きな特徴である「ときめく物だけを残す」ということ。多くの片付け本は「何を捨てるべきか」に着目している。1ヶ月使わなかったものは捨てましょう。同じ道具が複数あったら1つを残して捨てましょう。などなど。

多くの片付けられない人は不安でいっぱいだ。これを捨てて大丈夫だろうか。高いお金を出して買ったのに。まだ使えるかもしれないのに。そういう人に対して「捨てるものを選びましょう」はハードルが高いし、仮に選べたとしても「本当に大丈夫だろうか」という迷いがつきまとう。

対して「ときめく物だけを残す」は「何を残すか」に着目しているという点でユニークである。片付けられない人であっても「絶対に必要(ときめく)」と「あったら便利かもしれない」の間には差がある。その差に自覚的になることを促すという意味で「それはときめく物ですか?」は良い質問だと言える。

こんまりメソッドのひとつめの魅力は、自分の価値観に自覚的になれるシンプルな考え方だ。

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決まった片付け順序が、このシンプルな考え方に力を与える。

1. 衣類
2. 本
3. 書類
4. 小物
5. 思い出の品

この順番は「ときめく物に自覚的になりやすい順」で並んでいる。中でも衣類は最も「ときめく物」が分かりやすいし、自分がいかに「ときめかない物」に囲まれているか自覚することにもつながる。

思い出の品は片付けるのが難しい。センチメンタルな気分になって片付けがなかなか進まない、というのは多くの人が経験しているだろう。だからこそ、思い出の品は最後に回してある。順番に片付けを進めていき、自分の中で判断基準が出来上がったあとなら思い出の品に手を付けるのは難しくない。

衣類→本→書類→小物→思い出の品、という順番は、「KonMari」を観れば観るほどよく出来ていると思える。

ふたつめの魅力は人の性質を熟知している、練られた理論だと言えるだろう。

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そして、番組中でも印象的なのが「将来どう生きていきたいか」とクライアントに問いかけるシーンだろう。

片付けを進めている途中でクライアントが「これは捨てていいのか」と迷った際は、こんまりさんが「未来の自分を想像したときに、そばにあってほしい物ですか?」と問いかける。

クライアントが依頼を出す背景には「このままではいけない」という思いがあるはずだ。番組内では新しい自分の人生を生きたいという未亡人の女性や、立派な大人として親に認められたいという男性カップルが出てくる。クライアントは自分の思い描く理想の暮らしと、そこに紐づく自分の生き方に思いを馳せながら片付けを進めていく。

価値の捉え直しがここにある。

こんまりさんが提供しているものは「綺麗に片付くテクニック」ではなく、「生き方と向き合い、自分の身の回りを理想の暮らしへとコントロールしていく能力」なのだ。

「綺麗に片付くテクニック」は暮らしの様式に大きく依存する。家は広いのか狭いのか。収納は大きいのか小さいのか。倉庫はあるのかないのか。暮らしの様式が違えば必要とされる片付けテクニックは変わってくる。

一方で「理想の暮らしをしたい」という欲求は普遍である。自分の思い描いたとおりに暮らせていることには快感を覚え、そうでなければストレスを感じる。これは国境を越える欲求であることが「KonMari」を観ると分かる。

人々が心の奥で求めているものを浮き彫りにし、フィットする価値が提供される。視聴者はその様子を目の当たりにし、自分自身に重ね合わせる。

最後の魅力がこれだ。価値の捉え直しに基づく、共感を呼ぶ仕組み

自分はいま、理想通りに生きているだろうか。本当はやりたいことが今はできてないな。もっと素敵に生きられるんじゃないかな。そんなことを想起させるからこそ、「KonMari」は人々を惹きつけてやまないのだろう。

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