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26歳ニートに囚われ続ける私の話を聞いてくれ ー愛に渇いて生きている話

姉に対する憎しみが消えない。

以前別のnote(「姉の呪縛から逃れられない話」‪https://note.mu/amaou_015/n/n6b4576861928‬ )でもちょろっと書きましたが、今回はもう少し深く姉のことを書きたいと思います。

大学生の私には、5つ歳の離れた姉がいます。姉は短大を一年留年して卒業した後、今までずっと無職で家にいました。たまに父の職場にお手伝いに行っているようですが、他にバイトをしている様子もありませんでした。無職2年目くらいから家事をやり始めたので、家事手伝いといえば聞こえは良いと思います。

体調不良を起こしやすく、時々寝込んでいることもあった姉。そんな姉ですが、最近、職務経歴書をせっせと書いているみたいなのです。
家ではずぼらな母に代わって洗濯や洗い物をしている姉。無職のこの5年間、それなりに負い目は感じて生活していたようでした。

分かってます。なにせ私は大学で子育て支援について学んでいるのです。
姉を責めてはいけない。社会に出れないことは本人のせいでも両親の育て方のせいでもない。暖かく見守り支援していくことが家族としてベストだと、頭ではとっくに正解が出ているんです。

だけど心の中ではいつも、姉に対する不満と憎悪が渦巻いていました。
姉自身にではありません。私と、私の両親にです。
"私はこんなに頑張って真っ当な生活を送っているのに"という不満と、無職であることを責めない両親の、姉に対する甘さへの苛立ち。

要するに、妹である私が人生を真っ当に歩んでいることは"当たり前"という扱いを受け、両親から目をかけられないことに不満を抱いていたのです。

思えば高校選択から、姉は一人では決められない人間でした。高校も大学も母がせかせかとパンフレットを集めては姉を引っ張って見学に行っていました。母は事あるごとに消極的な姉を気にかけ、呼ばれてもないのに文化祭を見に行ったりもしていました。

妹の私はといえば、昔からなんでも自分で決める性質でした。高校はそこそこ頭の良い公立を受けて(この選択は大失敗だったんですけど)、大学は「どうせ奨学金だし」と一人で勝手に決めました。

性格の違いがある姉妹を別々に育てるのは当たり前のことです。実際"この子は自分で決められる"と放っておかれたことで、楽なこともたくさんありました。
ですがそれでも、私は心のどこかで、"お母さんに私をみてほしい"と願い続けてきました。物心ついたときから、姉を心配する母しか見てこなかったからです。

「◯◯は自分でできるよね」と、まるで言われたわけでもないのに、そんな雰囲気に押されて生きてきました。
いやあ、その通り。私は一人で決められる。決めないと気が済まないし。全部自分でできるよ。
だけど、私だって心配してほしかった。
勝手に進んでいくことを気にかけてほしかった。「最近どう?」って聞いて、私に関心をもってほしかった。

心配される姉が憎い。私はこんなに頑張っているのに、無職の姉が普通に暮らして、大切にされるのはおかしいと、そんな馬鹿馬鹿しい思考がずっとずっと消えないんです。

子育て支援についての知識を蓄えて、これから保育の道に進もうとしているのに、私は今でも姉に、家族に囚われ続けています。

愛されたいと渇望して、満たされない思いを抱えて、果たして子どもたちを育む保育者になれるのでしょうか。

姉を見守っている両親の対応が間違っていないと分かっているのに、姉に何か罰が下ってほしいと願ってしまう心が苦しい。こんな醜い自分が、よく保育者になろうなんて思えるものです。

お母さん。「就活してるんだ?」と私が話すと、こう言いましたね。「そりゃね。お姉ちゃんだって就職したくないわけじゃないんだよ」まるで何かから姉を庇うような物言いでした。私はなんだか、本当にどっと疲れてしまいました。

歯を磨こうと洗面所にきた私を、気まずそうに避ける姉。無職になって暫くした頃、一度大喧嘩をしてから、私にたてつかなくなった姉。

ああ、就活がんばれ、姉よ。
私は私で、また勝手に頑張るよ。                        多分ずっとこれからも。