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島原取材紀行 ~お城周辺~

さてさて、前回は『海道の城 松倉重政伝』の企画の始まりや方向性について書いたところですが、今回は実際の取材につきまして。

船便で島原に入り、バスで待ち合わせの島原駅へ。
出迎えくれたのは、依頼者である島原観光ビューローの担当・Sさん。おっとりしたところのある好青年という感じの方で、今回の取材に合わせて、いろいろ手配していただきました。
ここに、今回の企画をコーディネートしていただいたヒストリンクの代表さんを加えた3人で故地をまわることに。

とはいえ。
島原に到着したのはお昼ごろ。まずは腹を満たさねばならぬと向かったのは、島原城脇の姫松屋さん。
島原の地元飯である「具雑煮」発祥のお店であります。

土鍋であつあつ具だくさん

具雑煮もまた島原の乱に由来があるそうで、その考案者は天草四郎との説もあるとか。
澄んだおだしに、地の野菜とお餅、鶏肉、穴子、凍り豆腐、卵焼きなどさまざまな具材を入れたお雑煮で、だしに具材の旨味がしっかりと利いて、とても味わい深い。
やっぱり、地の物は美味しいですね。

ここで、今回の取材の打ち合わせもしました。Sさんが当初考えていたコースに、少しだけこちらの要望を加えて行程の調整をしまして。

満腹になったところで、腹ごなしではないですが、まずは島原城の外郭を見てまわることにしました。

緑がまぶしい

生長の夏、水堀や石垣は緑に覆われて、これはこれで古城の趣。

Sさんのご案内で大手門や廊下橋の跡、途中市役所にご挨拶しつつ、石垣の鏡石など見ながら城の周辺をぐるっと散策。
城にもどって、今度は天守へ登ることに。
島原城の天守閣の高さは地上からおよそ33m。そこからの眺望は大変気持ちの良いものでした。

天守から雲仙を望む

当日はよく晴れて、風もほどよく通って心地よく。
面白いもので、天守の西側の景色は完全に山国のそれ。しかし、振り替えれば一気に海辺の光景に変わります。

海の向こうにうっすらと肥後の山々

この海と山の近さは、私の郷里・伊豆にも共通するところでも、いかにも火山が作った土地ですね。

同時に、関西の住民として思ったことがあります。
今朝出てきた関西とは、同じ空でもこんなに色がちがう。緑の色も濃い。
山のほうだけを見れば、関西の内陸にも似ている。けれど、ひとつ振り返ったら異郷が、海原が広がっている。

生粋の大和国住民だった松倉重政は、それをどう見たのだろう。

「どうしました?」
ひとりで考え込んでいた私に、Sさんが声を掛けてくれました。
「意外に、山の感じは奈良に似てるんですよ。でも、あちらにはない潮騒が聞こえるし、振り返ればこの海でしょう」
似ているものがあるからこそ、違いを強く感じる。
「奈良に海はありませんから、とても違和感があっただろうなと」

口に出しながら、アイデアが腹に落ちました。
松倉重政は、島原に封じられるまでほとんど大和を出ていません。豊臣家臣でしたから大坂には通ったでしょうが、海や港まで頻繁に行く事もなかったでしょう。

山は郷里に似ていると思いながら、耳慣れない潮騒と馴染みのない潮の香りがする、その違和感。関西の内陸から来た人、という自分との共通点。
偶然ではありますが、重政が島原に入ったのも私と同じ40代前半でしたし。
そういうところを起点に、物語を組み立てていきました。

その後、城下の武家屋敷と水路を見学して、最後に江東寺にある松倉重政公の廟所にお参りを。
ご冥福を祈りつつ、書きますよと報告しつつ。
そのころには、これなら作品として書けるかな、という気になっていたのでした。

島原城築城と同時に整備された武家屋敷街と水路

取材一日目はそんな感じで終わった……と思いきや。
Sさんご案内の夕食会で、大変熱量の高い方にお会いするのですが、それはまた別の機会に。

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