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2020年よんだ本を思いだせるだけ(1)

※作品の重要な展開については触れていないつもりです。

夏目漱石『それから』

 昨年、はじめて漱石の『三四郎』を読んですごくすきだと思った。わたし的にけっこう衝撃的に好みで、読みおわったときは漱石ってこんなによかったんだ…。そう…。とへなへな座り込んでしまった。

 そのときまで漱石作品で読み通したことがあるのは『こころ』だけで、『こころ』については「先生の煩悶ちょううける! この時代の倫理観ってこんな感じ〜?」と感心しながら読んでいた記憶はある(若かったんです…)。つまり多分、深く入りこむ読書体験ではなかった。そこから十年以上夏目漱石の小説を読みきることなく生きてきた。それで昨年ようやく『三四郎』に気づいたときには、こんなにいいってもっとはやくわかっていたら…としょんぼりしてしまったのだけれど、案外、二十代とかで読んでもぴんとこなかったかもしれない。本に限らず、ぴんときたときがいちばんの出会いどきなのだ。出遅れたと思ってもわたしにはそれが最速だったのだ。しかたない。これからたくさん読めばいい。

 それで『三四郎』の続編的な性格をもつといわれる『それから』をうきうきして読んだ。『それから』もすごくよかった。

 三四郎にしても代助(『それから』の主人公)にしても、体と頭と心ががっちり結びついている人たちなのだなあと感じた。現代人よりも。かれらにはなんだか時間がある。お金に困っていなくて生活に追われていないっていうのもあるし、テクノロジーに追われていないのも大きい。いいなって思う。まさにそのこと、ありあまるほど考える時間があることで思考のうずにはまりこんでいくみたいな苦悩がかれらにはあるのだけれど、それすらもまぶしい。わたしたちが忙しい日々のなかで打ち捨ててしまった時間のかかる「むだな」思考がここにはまだあって、それがどうしようもなくうらやましいというか、尊く感じられる。

 『それから』は悲劇とのことだ。でもわたしにはずいぶん笑いをさそわれることの多いお話だった。解説に「ユーモアはない」とあるのを目にしたときは「えっ!本気で言ってる?」と声に出して異を唱えた。『それから』、わたしには『三四郎』と同じくらい吹き出してしまう場面が多かったのだけれど。
 ……いや、『三四郎』だって実らない恋がでてくる話だし、やっぱり悲劇とされているのだった。わたしが思わず笑ってしまった場面にもなんにもおかしいことない、のかもしれない。悲しいことばかりなのかも。
 でもそれをいうなら喜劇とされているお話の笑っちゃうシーンだって、笑われてる本人にしてみたらなんにもおかしくないことばかりだ。Mr.ビーンなんかひどい目にばかり遭っている。じつは喜劇と悲劇にそれほど明確な垣根はないのかもしれない。かなり悲劇の『リア王』だって、あれなんかくすくす笑えるし。笑えない?

 はたから見たら笑えるくらいくそまじめに思案してくそまじめに破滅していくところにおかしみがあって業が深いし魅力が深い。代助、わたしにはそういう主人公だった。
 三千代の格好よさにもしびれた。ちょっとハックルベリー・フィンの I'll go to hell. にも通じるような恰好よさ。

 ちなみに、今こんなに漱石が沁みるならば以前はあまり響かなかった『こころ』もハマるのでは? と思いたって再読したのだが、やっぱりわたしの歳ではぴんとこなくて、あの味わいがわかるようになるには多分まだ早かった。
 でも先生が妻を「妻(さい)」と呼んでいるところは最高で、「妻(さい)」、現代でも通用させられないものかなと希望を持った。嫁とか奥とかやめてさ。クールじゃない?


西加奈子『サラバ!』

 中学生のとき以来で歩きながら読むというのをやった。小説に入り込むうち移動中にページから目を離すのももどかしくなり、人通りのすくない道を選んでずんずん歩きながら夢中になって読んだ。家の玄関でもまだ読みながら靴を脱ぎ捨てて、ソファについたら読み終わるまでそこを動かなかった。最後のページを読み終えたらソファに突っ伏して震えながら泣いた。上巻からそんな調子だった。

 『サラバ!』では主人公圷歩(あくつ・あゆむ)の幼年期から青年期までの人生が一人称のかたちで語られている。その語られかたがあまりにも全力であり、おおよそひとりの人間に起こりうる出来事・変化・衝撃がぜんぶ乗せで盛り込まれているために、読んでいるこちらもその語りの物量と「人生!」って感じにあてられて消耗する。家族・友情・不和・いじめ・離別・異界・恋愛・宗教・セックス・嫉妬・逃避・臨死・死別。すべてが『サラバ!』にはある。しかも、どこか可笑しくはありながら「作りごとだ」とは笑い飛ばせないだけの切実さで。そんなだから読むだけで息切れ必至だが、読後の走り切った感はたまらない。爽快だ。

 それにしても、これだけの長さをもつ小説が上中下巻通してずっと全力疾走みたいなパワーで進んでいくので、これを書くっていったいどれくらい消耗することなんだろう。つい想像して途方もない気持ちになった。想像せずにはいられなかった。
 すごい読書だった。


ジョン・アーヴィング
『ホテル・ニューハンプシャー』

西加奈子『サラバ!』作中で印象的に言及されていたから読んだ。映画が有名だが観たことはない。ほとんど予備知識なく読みはじめることができた。なにか予備知識があると構えてしまい、うまく物語に入っていけないサガだ。文庫版の小説の裏表紙によく書かれているあらすじも絶対に目に入れないようにしている。あれ、だいたい書きすぎなんだよな、仕方ないんだろうけど。

 『ホテル・ニューハンプシャー』すごくよくてびっくりした(本読んでびっくりしてばっかり。だからさ、いい小説ってすごい沢山あるんだよ。もっと読もうよ我)。とくに女性観には驚かされた。1980年代に男性が書いた物語なのに2020年の女性のわたしが読んでうるせー! なところがひとつもないのだった。そんなことある? って感じだ。女性の性暴力被害についてもかなり深く触れられているのに、そこに「こちらの領域に土足で踏み込まれた感」はなく、力強く寄り添うような、背中を押すような、それでいていっしょに悲嘆に暮れているような、語りに感じた。

 『サラバ!』も人生ぜんぶ盛り小説だったが『ホテル・ニューハンプシャー』のほうもたいがいぜんぶ盛りだった。舞台が大戦前後というのも手伝って、具のひとつひとつが過激である。ベリー一家には次から次へと急な展開が降りかかる。暴力に離別に死別、人種差別に性差別、テロリズム、負傷、復讐……。あまりにも劇的なことがどんどん持ち上がるためにドタバタコメディのような軽快さで読めてしまうのもすごい。テンポよく読んで気持ちのいい読後感に浸ったあとしばらくして、「あれっ? いや、今なんか実は、すごいものを腹に入れてしまったのでは?……」とじわじわ効いてくるみたいな。思い返すほど深く沁みる苦味があるような。わたしにとって、とくべつの意味をもつお話のひとつになった。



 作品に触れて感じたことも考えたことも、案外すぐに忘れてしまう。激しく感情がうごいた場合にも。
 2020年は本を読んでかみしめる時間がせっかく、いつもよりある一年だったから、この年読んだもう何冊かについて記録を残したいとおもっています。
 のこりの本は『弁護士ダニエル・ローリンズ』『ガラスの街』『ギケイキ』『きみは赤ちゃん』『八日目の蝉』『水晶内制度』『クローディアの秘密』など。

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