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呆れられつつ走る

弱音を吐きながら走るのが結構好きだ。
あと、この坂の上のあのトラックで今まさにカチューシャ(階下に住んでる猫)が誘拐されそうになっていると設定して「待ってえぇ!」って言いながら登りきるとか。
なんで坂になると歩くくらいのペースになっちゃうの?と呆れられつつ走っている。
長距離走が相変わらず苦手なのだ。

体のちからを抜いて、ばねだけに頼る。
手を後ろに組んで、肩だけの振力で腰を前に進める。
走っていると体が上下にとんとんと振られて、どの部分がこわばっているのか、どこを固めて使っているのか、膝や足首がどちらに蹴ろうとしているのか、各所の左右の違いが一歩ごとに積み重なるようにして感じられる。
脱力して手なら手、腰なら腰そのものが持っている重みだけで、それをふるい落とすように、整えていく。

体から力を抜くのは言うほど簡単ではない。
だからわざとぐっと力をかけて、ふうっと大げさに落としたり、重力の助けを借りたり、どこかに接しているのであればその面が増えてゆくことを感じたり、呼吸を工夫したり、いろんなやりかたを試す。思いつく限りのいろんなこと。
それでも環境とか、姿勢の癖とか、内蔵の状態とか精神の状態によって、こわばりはふたたびうまれる。
気づけば歯を食いしばっているし、パソコン仕事をしていると肩が上がっている。
もっと、獲物をねらって、さあよしいくぞ、と地面をぽんとひと蹴りして全速力に向かうチーターの、その瞬間の力みのない、どのダイレクションにも向かう準備のあるような、からだでいたい。

4/22追記:
夏月さんさんの文章、そうそう!って思うとともに、みずみずしい感覚が自分の体にまで流れてくるみたいだったのでリンクします👇


感染者が減る様子もないフランスだが、6月の舞台は本当にできるのかな。
今回は劇場側の招待を頂いての公演だから大赤字の心配はないのだけれど、それでも久しぶりにパリに踊れる、しかもこの作品をフランスで上演したかったのだからお客さんが入れるような状態だといい。
どうなるかは分からないけれど準備しておくしかないな。


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