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2月1日からの一週間

2月1日

久しぶりに日常雑貨を買いに行った。Sは全然服を買わないのだけどどれも古びたり穴が空いたものを繕ったりしていたが、流石に着るものがなくなってしまったのでレアルの大きなショッピングモールへ。
あまり大きな商業施設は好きではないけれど、短時間で複数の種類のものを買い揃えたいとなると便利な場所ではある。
パリは、女性を飾るものは安価でも多様な種類が手に入るが、男性の服はというとまったく酷い品揃えだ。ジーンズか、黒・茶・カーキのチノパンしかない。あとは安そうなプリントの灰色ぽいズボンかジャージ。もちろんこだわったお店に行けばあるのだろうけど、そこまで服にお金をかけるつもりがない(私もそう)のでこの中から選択するしかないが、それにしても…
私はバスソルトといい香りのろうそく、あといい匂いのクリーム(とにかく引きこもることの多い今いい匂いのなにかが欲しかった)、ルームスプレーを買う。日本だと薬局兼かわいい雑貨もあるセレクトショップがどの町にもあるけれど(名前なんだっけ、駅ビルにもあったりする)そういう便利な場所が思いつかずふらふらしていたところ驚くほど広い薬局をみつけた。近所の薬局にはなかったクリームや、いい匂い製品があった。そうか、ここにくれば揃うのか…。

帰る前に新装開店したSamaritaineに寄って内装を見てみる。
鉄骨の部分が薄い灰水色なのだけれど、ちょっとファンタジーなレースみたいな雰囲気でかっこよくなかった。もしかしたら同じ色でも、もうちょっとしっかり締まった暗いトーンならかっこよかったのかもしれないけれど。昔はメトロの入り口と同じような色だったのだけれど、その方がシックだったなあ。
そういうほんの僅かな差異がものの印象を変えるのだと思う。そういう微妙な部分にこだわることができる人が、大きな案件を任されなくなっているのだろうな。

夕方に19区に住んでいた時によく通った中華のうどん屋さんへ。
いつ食べても安定、ほっとする味。


2月2日

Monica Vittiが亡くなった。


長患いをした末、90歳で亡くなったのだそう。
私は映画は監督で見るのだけれど、この人が出ているものが見たいという俳優も何人かいて、その中のひとりだった。
見終わったあとにいつも何か理解しきれないようなものが残った。物語の行き場のなさがそうさせているのだけれど、彼女の内側に漂っているものがそう感じさせたような気もする。
いつも、遠くに彷徨いながら、内側に墜落してゆくなにかを見つめているような瞳だったな。

Ce tempérament anticonformiste allie une fibre fantaisiste et des pulsions suicidaires. Elle distrait très jeune ses frères par des spectacles de marionnettes, révèle un talent comique, et décide néanmoins à 14 ans de se supprimer. Jouer est sa soupape. « J’ai décidé de faire semblant d’être une autre, dira-t-elle. Et de me faire rire autant que possible au théâtre et au cinéma. Dans la vie, c’est une autre histoire. »

彼女の人としての背景を今までまったく知らなかったし、触れてみようともしなかったな。いくつかの作品のあとは全然出演もしていなかった。好きな女優さんだったのに不思議。

Elle confiera avoir voulu être actrice « pour ne pas mourir », pour « tout réinventer, effacer et reconstruire, rire avec moi ». Elle avouera que sauter de la farce à la tragédie « est une chance extraordinaire », que jouer à être une autre a été sa façon d’exister : « Quand la représentation prend fin, pour moi, la réalité se termine ».
Il filmera ses yeux : « C’est ce qu’il y a en elle de plus bizarre. Ils ne s’arrêtent sur aucun objet, mais fixent de lointains secrets. C’est le regard d’une personne qui cherche où finir son vol et ne le trouve pas »

好きな表現者が少しずつ去ってゆく。
新しく同じくらい好きなひとが現れたらよいのだけれど。


2月3日

Etel Adnanの良い記事をもうひとつ見つけた。
Kaelen Wilson-Goldie on Etel Adnan


2月4日

今日は友人がチケットを用意してくれたのでこちらの舞台を。明日も友人の舞台を見に行く。
https://www.104.fr/fiche-evenement/kaori-ito-chers.html


2020年の春に、ロックダウンでどこにも行けないことから始めてみたストレッチクラスがこんなに続くことになるとは思わなかった。
見返してみると、始めの方の放送は「レッスン」というかんじでは全然なくて、遊びに来た友だちと一緒にストレッチの種類を共有してやってみる、というようなのんびりした雰囲気が漂っている。あえてスポーツ着ではなくて部屋着、これは、初期は特に生活感満載の部屋なのにいきなりきりっとぴちっとしたものを着るのが気恥ずかしいという気持ちもあったし「さあ!ストレッチ始めますよ!」と気合いを入れないとスタートできないものよりも、思い立ったらだらだらとできちゃうようなもののほうが良い、という気持ちもあった。ヨガマットがなくてもお尻や膝が痛くないようにタオルやマットを敷けば良い。パジャマだって良い。
なるべく敷居をとっぱらいたい。運動習慣なんてまずは続けることだもの。
時間になったらなんとなく目の前のひとが「こうですよ、ああしてみてください」と始まって、そんなに何も考えずに動き始めるうちにいつのまにか自分の体の感覚に集中したり、昨日より柔らかくなったな、固くなったな、筋肉痛だ!って気づいたり、終わったときに疲れたけどなんとなく楽、とか昨日ほど効果がないなとか、あんまり変化はないけどぽかぽかした、よく眠れてよかった、かえって腰が重たくなったなど、良いも悪いも自分の体がどうだったかということを考える機会になる。
誰もが体を柔らかくしたり、俊敏に動けるようになることを体に対して求めてはいない。とはいえ多少運動して今よりも健康になったり、疲れやすかったり眠れなかったりすることを解消したい、冷えや循環を良くしたい、とは考えると思う。
それぞれの体の状態や、それぞれの今までの運動の経験などに関わらず、色んな方がその方なりに楽しめるものにしたい気持ちはずっと変わっていない。
始めてみて、体を動かすことにネガティブな印象を持っている方(体育が苦手でそれ以来運動が好きになれない、自分の体をどう扱っていいか分からなくて運動を避けてしまう)が思いの外多くて、そういう方が私の動画を見て体についての認識が少し変わった、楽しかったと言ってくれるのがとても嬉しかった。

2年経った今もまだ、外に行きづらい状況は相変わらず続いている。
色んな気晴らしの方法があるけれど、体を動かすことは想像以上に鬱々とした気持ちを晴らすものだし、地の体力を少しでも上げておくこと、冷えない状態にしておくこと、筋肉を少しでも使って代謝をあげておくことは、免疫に対しても良いはたらきをする。

毎日ライブで放送する方法はとれなくなってしまったけれど、オンラインクラスは続けたいなと思っている。
2年やってみて、もちろんその中には同じ動きがないわけじゃないけれど、わりと違うものを毎回入れているので、バラエティは豊かなはず。
単なる繰り返しとか、ただの組み合わせ違いだけでごまかさなきゃならなくなったらきっとやめると思うけれど、まだ面白い方法があるよと思ううちは続けたい。

以前のクラスのアーカイブも販売しようかなと思う。
良いメニューを組み立てたので色んな人に見てもらえたら嬉しいから。
クラスに支払って参加してくれた方がいるので、無料にはできないけれど、後から販売することは考えていなかった動画でもあるので少しだけ安く。セット料金とかも考えようかな。そのほうが見やすいものね。


2月5日

昨日の舞台はすごく面白かった。
フランスは国立の学校があるくらいにサーカスが盛んなのだけど、最新のサーカスはアクロバットや動物、ピエロが出てくるといった従来のイメージとはかけ離れているものも多くある。コンテンポラリーダンスにも通づる身体を使った演劇のようなものだったり、そこに舞台美術の仕掛けが加わったり、時には建築や哲学や物理法則など色んな要素が組み込まれている。
以前見たJohann Le Guillermは道具を舞台上で作るところから見せたり、自分の哲学をビジュアル化したりしていてこれがサーカスと分類されているのか…と驚いたものだった。

これからこの分野がどうなっていくのかちょっと楽しみかもしれない。

昨日の作品は、まるで手作りみたいな照明や舞台転換、緞帳を開けたり閉めたり互い違いになっちゃったりして笑わせつつ、その画面の切り取り方は黒澤映画の場面転換の絞りを彷彿とさせたり。
一番驚いたのは、作品の途中からどんどん舞台の床が壊れていって、そこに机や椅子、人も落ちたり、落としたりする。床板の端っこに人がいればもう片方は跳ね上がる、そしてすぐ脇の床はすでに落ち込んでいる。スリリングでもあり可笑しみもあって、感情というか全身の筋肉がこちらも忙しかった(びっくりしたり緊張したりもするからという意味で)
最後には劇場の建込み前のような状態の上にカオスが出来上がっている。

終演後、出演の方の飲み会に混ぜてもらって色々話ができて嬉しかった。聞きたいことがたくさんあったから、お疲れのところをつかまえて弾丸のように質問してしまった。
あとから聞いてやはりそうかと思ったのは、初日だったこともあってか失敗が多かったらしい。
ちょっと雑然としているな、ここのシーンの混乱は狙い通りなのか否か?と訝しく思うシーンも確かにあったのでそういうことだったのだろうが、でもそれでもなお、ひとつひとつのシーンで見せようとしている世界観や感触は興味深いものであったし、全体を通してわくわくさせられた。
そういう舞台体験を最近なかなかしないので嬉しかった。
あと、自分が「演じる/作品とはここまで」としていた枠をもう少しはみ出ること、壊すことを考えてみたいと思ったことも収穫。

まだしばらくモントルイユの劇場で公演してるので是非。サーカスのイメージが覆ると思う。おすすめ。


2月6日

今日は伊藤郁女さんの作品を見に行った。


劇場は19区の公共のスペース「104」。
劇場や展示スペース、小さなリハーサルスタジオもある。建物の中心には体育館のように広いフリースペースがあってこちらは無料で、誰でも使うことができる。音楽やダンス、アクロバットの練習をしているひとを見ることができる。

今日は、賃金問題で劇場スタッフがストライキをかけたため、多くの演目が中止。
私が見た演目も照明はなしで地明かりのみ、音響スピーカーも舞台上にどんと置かれているだけ。
つまり、照明や音響の操作なしでは作品として成り立たないものは中止になり、ストライキの状況をアクセプトしたものだけが上演されているというわけ。
何年もかけて今日を迎えた舞台もあるだろうに(現にロックダウンのためこの2年は多くの公演が中止になったり、延期になったりした。延期を重ねてやっと今日本番を迎えられるという作品もあったかもしれない)、ストライキならば仕方がないという納得があるのはフランスらしいなとも思う。(しかし、これについては「そういう権利が認められているフランスは素晴らしい」とは手放しに称賛できない部分もあって、そのことはいつか書くかも)

郁女さんの作品はもともと複雑な照明でもなかったし、地明かりでも見せられる内容であったため上演ができたそう。
たしかに、地明かりであそこまでしっかり引きつけて揺さぶるエネルギーを重ねられるのはすごいと思った。
近年の郁女さんの作品をいくつか観たけれど、とことんそのことについて言う、こちらが目をそらしたりはぐらかしたりすることは許さずにしっかり刮目して観ざるを得ない、純粋に「何故」を追求してくる子どものようにまっすぐ貫いてくる。そのことに自分の芯が揺すられて、その波が広がって、その場を包む。
引力のある作品を作るなあと思う。

とはいえ気になることもあって、激しい感情を高ぶらせて興奮状態のようになるシーンがあったのだが、よくもそこまで開ききることができるなとこちらの胸もわなわなするくらいの慟哭だった。でも終演の挨拶で彼女はその感情を引きずって(なのかどうかは分からないけれどそういう風に見えてしまった)涙を流していた。
それは私のなかの高ぶりをすっと冷めさせるものだった。
上演中、どんな状態になっても出演者は自分の手綱を手放してはいけないと私は思う。実際にキレることを舞台上でするのは、むちゃくちゃやったもの勝ちに通じてしまって、それはたとえその時には通常以上の効果を見せたとしても、その作品全体がどういう技術の上で成り立っていたか、どういう哲学の上で築かれていたかの信用を揺るがすようなことに繋がってしまう(と、私は感じる)。
上演中は通常ならぬものに演者も観客も連れて行かれるかもしれないが、終わったとたんにそれを通常に引き戻すのも作品の仕事だ。プロフェッショナルなダンサーならそれを自分でしなくてはならないし、または演出家がその役割を担うこともあるだろう。
感情をぶちまけたように見えるのに、あんなにタガが外れたように見えたのに、あれはちゃんとコントロールされたものだったのだ、という妙が私は見たいのであって、感情をぶちまけてみた姿を観たいわけではない。

もちろんこれは、自戒を込めて。
(最近は自分でつくったり発表もしていないのに、こんなこと言える立場なのか…という気もする。)

とはいえ、良い作品を見たという感触は否定されない。
2日連続で興味深い舞台を見られてよかったな。2月は幸先がいい。








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