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なんてことない日記(気づけば春、編)


振り返ると、
2022年はその場足踏みどころか何も得ることができずに後ろを向いて歩いてしまった1年だったのかもなぁ、とすら思ってしまいます。


2022年、前々からやりたい職に就くために、新卒で入社して約3年勤めた仕事を辞めました。
そして約半年のニート期間を経て、夏に新しい職に就きました。


やりたい仕事ができる!やっとスタート地点に立った!後はぐんぐん前に進むのみ!!!

なんて強い決意を抱いていた私でしたが、
新しい職場は、前職とはまた違った苦痛が待っていました。

私がやりたかった仕事はほとんど回ってこず、、、(まぁ他にもいろいろとありました…)
会社側が100悪い!とは言えませんが、事実として言えることは、同時期に中途で入った同期は耐えきれず1ヶ月で退職した、ということです。(後で本人から聞きましたが、どうやら精神疾患が再発寸前な状態だったみたいです。そして正確には退職”させられた”。)


そんなこんなで色々あり、
私も12月初旬に退職勧告を匂わす言葉をかけられ、自分の未来が真っ黒に染まっていくような気がしました。
そんな不安に押しつぶされそうな日々を過ごしていく中で、全く予想していなかった訃報が届きました。



祖母が2023年を迎えることなく、
この世を去りました。



なんだか悪い夢を見ているような、
そんなふわふわした気持ちでした。
実家を離れて長いこともあり、とにかく実感がなかったのです。

もはや何に対して何の感情を抱いているのかよくわかりませんでした。
そんなからっぽの心の中にある確かな不安とやるせなさを抱いたまま、
急いで荷物をまとめ、祖母が灰になる時を見届けてきました。


昨年は年末年始に帰る予定ではなかったので、思わぬ帰省となりました。
親戚一同と会合したり、久々に会った妹は、やっぱり私のことを、遊んでくれるどこの誰かも知らないお姉ちゃん、と認識していて、その事に安堵してしまったことに罪悪感を抱く、といういつもの負のスパイラルに陥りつつ……
2日ほど実家で過ごして、何事もなかったかのようにいつもの生活に戻ってきました。

重い足を進めて会社に行き、仕事納めの日、
「来年もよろしくお願いします」なんて、思ってもない言葉をかけられたものの、
感情をどこかに置いてきてしまった私は全てが虚構となっていました。
にこにこしながら、よろしくお願いします、なんて言葉をそのまま返しました。
そんな虚構でつくられた自分が気持ち悪くて仕方ありませんでした。
心の中はからっぽなのに、頭の中でいろんな思考が煩いくらいに喚いてぐちゃぐちゃになっていることだけが確かでした。
そして、何かに縋ることを良しとしない私は、
このよくわからない感情を自分の中に抑え込むように、一人でひっそりと年を越しました。


祖母が見ることができなかった未来を、私は今生きているのだな、
という考えがふとした時に頭を過ぎり、
その未来で、何も成せていない自分に苛立ちと不安、そして何に対しての焦りかもわからない焦燥感を抱いて、それらに押しつぶされそうになっていました。

正直、年末のことはあまり覚えてないのです。
覚えているのは、
生前の祖母の表情、言葉、、花で埋め尽くされた棺、真っ白な顔にひときわ目立つ赤い口紅、、一瞬で何もなくなった棺、真っ白な骨と、たくさんの灰。
それらがいつも、頭に居座り続けたことでした。


そして少ない正月休みをぼんやりと過ごした私に待ち受けていたのは、
退職勧告でした。
(正確には、濁した言い方をされたので、「つまり退職勧告ということですか?」と聞きましたが)
真っ黒に染まりかけていると思っていた未来は、もうとっくに真っ黒だったのかもしれません。

ともあれ、この会社に留まる、という考えが私には一切なかったので、前に進む選択をしました。
前回のように退職を前もって決めていたわけでもないので、
退職勧告を言われたその日から、またあらゆる転職サイトに再登録して情報を集め、有給を消化してハロワに通いました。

そして、ありがたいことに、転職活動早々に、転職先が決まり、
今新たな場所で働いています。

前職場に対して言いたいことは山程あるんですが、
私は性格の悪い人間なので、
あなた方の悪いところをわざわざ教えてあげる義理もない、と思い、不満は全てゴミ箱に投げ捨てて、「このままを続けても新人は変わらずどんどん辞めていくだろうし、会社はこれから衰退していくだろうなぁ」という哀れみの目を向けるだけにしました。
1ヶ月で辞めちゃった同期も、どこかで元気にしてるといいなぁ。

2回も転職をしてるので、転職については気が向けば書くかもしれませんが、前職での云々は今後も書く予定はないです。
つまるところ、「私とあなた(会社)は合わなかったのね、さようなら」ということです。


さて、新しい会社についてですが、
今のところ、とてもいい環境で、不満は一切ありません。(髪も服も自由なところが更に嬉しいポイント。)

今の会社は、あぁこの人の元で働けたらたくさん学ぶことができそうだなぁ、と思った人が面接官にいたこと、それが決定打になりました。
そして入社前の研修で、その人が配属先の上司だと知り、尚嬉しく思いました。
どれだけ忙しくても、必ず耳を傾けてくれて、笑顔で対応してくれる人。
学生時代にも似たような人がいて、私はその人を尊敬してたし、憧れてました。やっぱり私もそうありたいなぁ、、、

今の仕事も前職と同じで、広いところでいうと、編集職です。
言葉を扱って生きていきたい、という思いを捨てきれなかったので、嬉しい限りです。
編集職、といっても前職とは業界が違うので覚えることも多く、日々頭がパンク気味ですが、頑張っていこうと思っている次第です。

そんなわけで、新しい環境で新しい毎日を過ごす日々を送っています。なんとかやっていけてます。



ところで、

きいろ。という名前は本名ではないのですが、
実は本名もひらがなの名前なんです。(読みやすくていいよね)

小学校の課題で、自分の名前の由来を知ろう、というのがあって、
その時に祖母に私の名前の由来を聞いた時、

ひらがなの名前にしたのはね、
”まあるい心を持った優しい子に育ちますように”
っていう思いが込められてるのよ、

と教えてくれました。


名前なんて所詮識別番号みたいなものだ、なんて思ってたこともあったけど、
父と母が離婚して、その2人の名前が合わさった、「まあるい心を持った優しい子」という願いも込められているこの名前が、
たまらなく大切なかけがえのないものに思えています。

そして、あの日、静かに眠る祖母を見て、
この名にふさわしい人間になろう、
この名に恥じぬ生き方をしよう、と、私は決意しました。


祖母は見ることができなかった2023年に、
私は生きています。

失ってから気づくことも、
伝えたかった言葉も、過去を悔やむことも、
たくさんあるけれど、

残されたものの使命は、
過去を憂うことじゃなく、今を懸命に生きること
だと、私は思っています。

誇れるような素晴らしい生き方はできないかもしれないけど、
いつか再会できたときに、
あなたが見れなかった世界の話をたくさんできたらいいなぁ。


ふと気づけば、いつの間にか春。
季節はいつだってあっという間にやってきて、素知らぬ顔で過ぎていく。
この春も、次の春も、私はこの目で見ていきたい。
たくさんのものを見て、学んで、生きていきたいね。



きいろ。




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