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語らない美しさに気づく—ふたたび、ジブリ美術館へ

最初の目的は、短編アニメを見るためだった

風の冷たい晴れた3月の朝。ジブリ美術館へ行った。目的は当初、オリジナルの短編アニメを観るためだけだった。

短編映画は現在10作品あり、1か月に1本程度のペースで、順繰り放映されている。あと1本観ていない作品があるため、おそらく今回が9回目の訪問。

ジブリ美術館へは、吉祥寺駅から井の頭恩賜公園を通って徒歩で行く。途中、ドーナッツを買ってもぐもぐ食べ、一緒にコーヒーを飲みながら、木漏れ日あふれる道をゆっくり散策していくと、ほんとうに気持ちがいい。

枯れ葉をサクサク踏んでいく

途中で気づいた、説明のない引き算の美学

受付を済ませ、いざジブリ美術館へ。館内は、順路のような案内がない。上の階へ向かうにも、少し遠まわりして行くようになっている。「迷子になろうよ、いっしょに。」という美術館のキャッチコピーそのままだ。案内パンフレットは、イラストのラフ画のような簡単な建物の断面図と、説明が少しあるだけ。

実際にいろいろな仕掛けをさわったり、動かしたり、見たりするようになっている。訪れた人の気づける分だけ、持っている分だけ、楽しめるようになっているのだ。

ちなみに館内トイレのボタンは「ながす」とひらがなと、「Flush」と英語で表記してある。一般の公共トイレは、「押す」とか「流す」とか「大」、「小」などと漢字で書かれている。対してここでは、「ながす」と子ども目線になっているのだなと、あるとき気づく。それも20年以上前からだ。

また今回、トイレに設置されている、角度が調節できる鏡を見た。それは、幼児から小学生くらいの子が、ちょうど顔が映るようになっている。へぇーと感心。

ひっそりと鎮座するオスカー像

「これは、レプリカですか?」とスタッフの方に聞いたくらい、金色の像はひっそりと置いてあった。説明も何もない。千と千尋の神隠しのアカデミー賞受賞のときのもので、本物ですよ、とスタッフの方に笑顔で教えてもらって驚く。こんな地味な場所に?

そうか、作品が主役なんだね。ここは、威張ってないんだな、と察する。新しいオスカー像も、となりに飾られるのかな。すごい偉業をなしえて、何も語らないってカッコいい。

約15分間の、容赦ないスペクタクル映画

今回観た作品は「ちゅうずもう」。要は、「ちゅうたち」が「すもう」をとる話。だいたい結末は想像できる。ところが、スピード感やカメラワーク、BGM、キャラクターの表情がスペクタクルなのだ。想像や期待を凌駕する展開に、おおっ、と見入ってしまう。

ここで、食べ物の弾力のある感じとか、キャラクターの重力を感じるところとか、身長や性格が違うと画面を見切れるタイミングが違う感じとか、しっかり目に焼き付けといた。

また、ある日の訪問で「めいとこねこバス」を観終わったときのことだ。小さな子どもがわんわん泣いていた。「もう終わっちゃうの?」と。残念だよね、わたしもそう思うよ。どの作品も、出だしから終わりまで容赦ない。すぐに引き込まれる。

そしてまた、行きたくなる

映画を一度観るだけでは、受け取る情報量が多すぎて受けとめきれていない。タモリさんがひとりで声を担当されている作品なんかも、繰り返しじっくりと聞いてみたい。

美術館内も、スタッフの心配りや工夫も、年を重ねてからハッと学ぶことが多い。20代は何も気づけてなかった(ような気がする)。受け取りたいばっかりだったから。だから何度も足を運びたくなるのだ。語らない美しさに気づくために。


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