見出し画像

がん細胞のたとえ‐ゴジラとエイリアンと超サイヤ人

最初は時限爆弾みたいに思えた

まず、ざっくりとした経緯から。2014年。今から10年前、乳がんに罹患した。ステージ1だった。手術後、抗がん剤治療等を経て、2021年肝臓に転移・再発。今も治療を続けている。

がん治療で一番怖かった時期は、最初にがんが見つかってから、手術までの1か月間だ。まるで、体のなかで時限爆弾がカチコチ動いているようだった。いつ、爆発してもおかくしくない。そんな不安な気持ちで毎晩、眠れなかった。うげーっ。取って取ってー!と、叫びたくなるほど。

主治医に胸の内を話し、手術日を早めてもらうよう懇願した。たまたま手術日に空きがあり、発覚から2か月後→1か月後に変更となった。さらに、がんが怖すぎて、部分摘出で良かったのに全摘にしてもらった。

手術後は、とてもすがすがしい気持ちになった。もうあの爆弾は無くなった。さようなら、がん細胞。ばいば~いと、ホッとした。そのあと、抗がん剤やホルモン治療などを続けたが、最初の恐怖よりもずっと気持ち的に楽だったように思う。

「がんと闘う」ことへの違和感

ところが、ところがだ。7年後にがん再発。あのやろうは、私の体のなかでずっと、燻って存在していたのだ。

治療を続けるうち、違和感を感じ始めたことがある。がん治療でよく言われる「がんと闘う」「がんに打ち克つ」などの言葉。「正常細胞」と「がん細胞」が「味方」と「敵」みたいに扱われているように感じた。

ご自身のがん細胞のたとえとして、お二人の作家さんは著書でこう書かれている。西加奈子さんは、「くもをさがす」で「ゴジラ」と、山本文緒さんは闘病記「無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―」のなかで、エイリアンを挙げていた。

うんうん、分かります。得体の知れない爆発的な何かがうごめいて、めちゃくちゃに暴れている感じ。自身を破滅的に追い込んで、食いちぎっていくんじゃないかという感覚。

ただ、よく考えてみる。がん細胞って、もともと正常細胞として自分にあったものじゃないの?それが変異しただけ。自分であって、自分じゃない感じがする…だから、どこからか急にやってくるものじゃない。

この感覚はそうだ、超サイヤ人だ。ドラゴンボールを読み込んでいるわけじゃないのでふんわりとした知識しか無いが、ヘアスタイルや目が尋常じゃない感じ。変身したら手がつけられない感じ。破壊力MAX。ギラギラしたオーラをまとっていて、もしさわったら感電しそうな感じ。ああそうだ、ぴったりくる。

なぜこのことを長年考えていたのかというと、がん細胞が自分であって自分じゃないと思ったら、この先の治療や体の変化について考えたとき、怖くなくなったからだ。病気や治療に対する心持ちの話だ。

がん細胞は「敵」ではないと思うし、治療で「がんを倒す」ものでもないと思う。がん細胞は、自分の体から完全に無くなるものではなく、ずっと「共存」していく。治療によって細胞が「おとなしくなる」や「われにかえる」感覚のほうが近い。ゲーム「MOTHER2」でラスボスを相手にしたときのように。

今は元気でやってます

余談だが、10年前にネットで見つけて覚えている言葉で、今現在、乳がんに罹患した方へ励みになれば。「今年で10年経ちますが、今のところ、がん細胞はおとなしくしていて、私自身元気でやってますよー!」と、叫びたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?